深雪の呟きを聞いて、達也の表情が固まる。彼は完全に意表を突かれた顔をしていた。
「……すまない!」
「……あの、達也様?」
達也が、がばと、平伏する。深雪が恐る恐る顔の向きを戻して、達也に呼びかける。
「紛らわしい言い方で誤解させてしまった、許して欲しい」
達也が顔を上げて深雪と目を合わせる。極めて珍しい事だが、達也の目にも羞恥の色が浮かんでいる。
「深いレベルの触れ合いというのは、精神的なもので……今回のケースでは、肉体的な交わり……は、精気を散らす事になるから、むしろ邪魔になる」
達也の言葉が深雪の心に染み込むまで、一秒を要した。その一秒が経過した途端、深雪は両手で顔を覆い、腰を浮かせて達也の前から逃げ出そうとした。素早く延びた達也の手が、深雪の二の腕を掴んで引き止める。
「離してください! 達也様、後生です!」
「俺が悪かった! だから落ち着いてくれ!」
ここで手を離すと、この件は長引くに違いない。そんな予感に突き動かされて、達也は必死に深雪を宥めた。その甲斐あってか、深雪は十分間で落ち着きを取り戻し、再び達也の前に腰を下ろした。
「……申し訳ありません。お見苦しいところを……」
「……いや、俺の方こそすまなかった」
達也と深雪が見つめ合う。最初はお互い、照れくさそうな表情で。やがて、真剣な眼差しで。
「始めましょう、達也様」
「ああ、始めよう」
口火を切ったのは深雪の方だった。その言葉を合図に、達也が深雪ににじり寄る。膝が触れ合う程の距離で、二人は再び見つめ合う。
「術式を説明する」
「はい」
「現在無意識下で魔法力供給をしている状態の誓約への供給を止める」
「はい」
「誓約の術式は、誓約の履行を求めて活性化を高める。意識の深層に隠れていた魔法の本体が観測可能になる」
「はい」
「そこを、俺のゲートキーパーで狙い撃つ。意識に混じり合った状態では精神干渉系魔法に慣れていない俺には手出しが出来ないが、魔法式が露出した状態なら分解可能だ」
「はい。お任せします、達也様」
達也の眼差しを正面から受け止めて頷き、深雪は腰を浮かせた。達也の両肩に手を掛けて身体を支え、達也と意識を共有させるために簡易的に封印解除する際にした、額に唇を押し当てるという行為に出る。その行為で想子光が迸った。
吹き荒れる想子の嵐の中、深雪の手から力が抜ける。達也は深雪の身体をしっかりと抱き留めた。白小袖の薄い生地で隔てられただけの、深雪の身体の柔らかさと温もりが達也に伝わる。だが彼はそれを実感しながら、動じなかった。荒く息を吐く深雪の身体をしっかりと腕の中に抱き、達也はその「眼」を深雪の中へ向ける。
達也が意識を集中する。精神は本来、彼の「眼」が届く領域ではない。達也は過度の集中によって精神が焼き切れそうになる苦痛に耐えて、「視」えないはずのものに「眼」を向けた。精神は「視」えない。だが、想子情報体は――魔法は「視」える。
達也は深雪の中に潜む、彼女のものではない魔法を探し、遂にそれを発見した。頭をもたげている誓約の魔法式へ、彼のエレメンタル・サイトが狙いをつける。達也が、ゲートキーパーを発動する。
達也のそれは、魔法師の『ゲート』――魔法式を無意識領域から放出する出口――をターゲットにする術式解散だ。術式解散は想子情報体そのものを分解する、魔法の天敵とも言える魔法。たとえ精神に働きかける魔法でも、その本体は霊子で更生された情報体ではなく想子情報体だ。術式解散には抗えない。
深雪の中に残っていた誓約は、本体を露わにしたことで達也の魔法によって消し去られた。
「……誓約の消滅を確認。深雪、ご苦労だったな」
「いえ、私は何もしていません。達也様の技術があってこそです」
肉体的な疲労度は深雪の方が高いだろうが、精神的の疲労度は達也の方が何倍も上だっただろう。本来「視」えないものを見ようとして極限を超えて集中していた達也とは違い、深雪はただ達也に身を任せていただけ。誓約の強制解除の際に被る疲労度よりも、達也の疲労度の方が上回っていたのだった。
「達也様こそ、凄い汗ですが」
「すまないな。すぐ離れる」
達也としては、人の汗が自分の身体につくと不快な思いをするだろうと思って申し出たのだが、深雪は優しい笑みを浮かべながら首を左右に振った。
「この汗は、達也様が深雪の為に力を振り絞ってくださった証ですから。達也様がそのように気遣いをする必要はありません」
「だが、あまり気分が良いものではないだろう?」
「他の男性だったらそうかもしれませんが、ほかならぬ達也様のものですから。深雪は不快などと思ったりしません」
「そうか……さすがに疲れた。少し横にならせてくれ」
「分かりました。では、お使いください」
そう言って深雪は、自分の膝をポンポンと叩く。一瞬何のことか分からなかった達也だったが、すぐに深雪の意図を理解し、少し逡巡したのちにその膝に頭を乗せる。
「お疲れさまでした、達也様。これで、明日万が一があったとしても、私も『全力』で対峙する事が出来ます」
「深雪の全力を相手にしなければならないとは、十文字先輩も可哀想に」
「まぁ。お兄様の全力に比べれば、深雪の全力など可愛いものだと思いますけど?」
達也の冗談に、深雪は本気で拗ねてみせる。その仕草が可愛らしかったのか、達也は深雪の頭に手を伸ばし、あやすように撫でたのだった。
IFが出来ない分、本編でにやにやシーン追加で