劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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半分は遊びですね


手荒いお出迎え

 午後六時四十五分。達也は九重寺の山門に続く階段の前で自動運転のコミューターを降りた。同行者はいない。一人で来ること、それも東道青波から達也に課せられた条件だった。

 コミューターを降りた達也は、見せつけるようにゆっくりと左右を窺った。実際に彼は、監視者がいれば見つつけるつもりでわざと目立つ行動を取ったのだが、見張っている者の気配は感じられなかった。

 少し前から、具体的にはこの小高い丘の麓に差し掛かってから尾行の気配が途絶えていたのだが、間違いではなかったようだ。偶然ではあるまい。恐らく八雲の弟子が、もしかしたら八雲自身が何か手を打ったのだろう。加減を間違えるような未熟者に客のもてなしを任せる八雲ではないから、自分が心配する必要は無いと達也は判断した。

 それに心配しなければならないのは自分の事だ。幾ら八雲でも政財界の黒幕として密かに有名な東道青波との面談を邪魔するような真似はしないだろうが、確信は持てない。この場を選んだのは達也を試す為かもしれないのだ。その可能性を考慮して十五分も前に到着したのだが、八雲が本気になればその程度の時間で足りるかどうか怪しい。

 

「(悪ノリだけはしないでもらいたいものだ)」

 

 

 そう心の中で呟きながら石段に足を掛けた。だが残念ながら達也の懸念は的中した。石段の半ばを過ぎた辺りで、いきなり遠近感が狂わされる。自分が小さくなっている幻影を見せられようとしていた。

 自分の意思に魔法が働きかけているのが分かる。こういう断続的な作用の仕方は古式魔法ならではだ。達也には今、現実の視界と幻覚の光景が重なって見えている。これは達也が、精神に侵入しようとする魔法式を術式解体の要領で押し返しながら、その魔法式の記述内容を読み取っているからだ。彼に仕掛けられた魔法は、時間を掛けて術中に落としていくタイプのものだったが、達也で無ければ既に幻影の虜となっていただろう。

 しかし彼は、幻影魔法にかからなかった。それはもう術者にも――八雲にも分かっているはずだ。九重八雲は、通用しなかった手に何時までも固執するような甘い相手ではない。幻術が通用しないと分かったならば次は――

 

「(――実体による攻撃)」

 

 

 達也が心の中で呟くのと同時。左右からカマイタチが襲いかかってきた。真空の刃ではなく、極薄の板状に固めた空気で細かく砕いた石の粉を支えて、それを高速で飛ばす魔法だ。石段の左右は開けている。立木どころか、低い生垣も無い。文字通り何もない闇の中から飛来する四本のカマイタチを、達也は瞬時かつ同時に分解した。

 無論、八雲の攻撃がこれで終わるはずがない。たとえ本気でなくても、幻術とカマイタチの二段構え程度で済ませるような善良な性格ではないのだ、九重八雲という人物は。

 達也が今いる石段は、そんなに長いものではない。今夜は張れていて月も出ている。夜であっても普通なら山門の中まで見えるはずだが、今そこは暗く塗りつぶされている。その闇の中から、矢が降ってきた弓弦の鳴る音は聞こえなかったし、魔法で音を消した気配も、矢そのものを飛ばす魔法の気配も感じられない。音を立たずに矢を射る技術があるのか、音を立てないように作られた弓なのか。頭の片隅でそんなことを考えながら、達也は矢の雨に意識の主な部分を向けた。

 

「(情報体偽装魔法!?)」

 

 

 分解しようとして、矢に実体がない事に気付いた達也。単なる幻影ではなく「情報」を「視」る視力を欺く、情報の次元に干渉する幻術。実体物で攻撃してくる、という予想の裏をかかれた格好だ。

 達也は五感を研ぎ澄ませて石段を駆け上がると、前方で気配が揺らいだ。達也が立ち止まるでもなく、ゆっくりと周囲を警戒しながら進むのでもなく、突っ込んできた事に意外感を禁じられなかったのだろう。この戦いの場で、達也は初めて「敵」の所在を掴んだ。

 研ぎ澄ませた聴覚が、衣擦れの音を捉える。研ぎ澄ませた嗅覚が、衣服に染み込んだ香の匂いを捉える。研ぎ澄ませた視覚が、闇の外に踏み出した影の輪郭を捉える。階段の、上と、下。下方に位置する達也の方が明らかに不利な態勢だ。

 達也が跳躍する。足場が無くなることを恐れず、駆け下りてくる敵と同じ高さに並んで蹴りを繰り出した。敵は上体を屈めて、達也の跳び前蹴りを躱す。前に跳躍した達也の身体は、そのまま相手を飛び越して石段に着地した。

 今度は達也が上。だが達也は敵に背中を向けている無防備な状態だ。研ぎ澄まされた触覚が、空気の流れを捉えた。背後から敵の突きが迫っている。達也はフラッシュ・キャストで移動魔法を発動した。

 フラッシュ・キャストで発動する魔法は、規模も小さく威力も低い。ただスピードだけが取り柄と言える。だが僅か六十センチ移動するだけなら、フラッシュ・キャストの出力でも問題はない。そして敵の拳を躱す為ならば、六十センチは十分な距離だ。敵の縦拳突きが三十センチを進むより早く、達也の身体は石段の二段上にいた。

 敵の攻撃が不発に終わる。敵が更に踏み込むのと、達也が振り返り攻撃態勢を整え終えたのは、同時だった。達也の手刀が敵の首筋に。敵の――八雲の拳が達也の脇腹に。二人の手が、互いに、その寸前で止まる。

 

「師匠、随分手荒なお迎えですね」

 

「そろそろ時間だ。行こうか。閣下は既にお待ちだよ」

 

 

 達也は腕時計に目を落とした。デジタルの文字盤は、午後六時五十分を表示していた。石段を上り始めてから、まだ五分しか経っていないという事だ。たったそれだけの時間で八雲を撃退出来るとは、達也には思えない。おそらく、八雲の方で時間を調整していたのだろう。

 達也は今の攻防で、周囲に被害を及ぼさない範囲ではあるが本気を出していた。だが八雲には予定を気にする余裕があったという事だ。

 達也は少しの悔しさと共に、八雲にまだまだ及ばぬ自分を自覚したのだった。




遊びレベルでは無いんですが、本人たちはまだまだ本気じゃない……

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