抑止力になれとは、どういう意味なのだろうか。自分が戦略級魔法『マテリアル・バースト』の使い手であることを公表する事を求められているのだろうか。しかしそれでは「これまでと同じ」とは言えない。達也は思考の袋小路で無駄に時間を費やさず、東道の真意をストレートに尋ねた。
「――自分に戦略級魔法師として名乗りを上げろと、お求めになっているのですか?」
「今はまだ不要だが、それが必要になったならば、そうするが良い」
「では、軍事的脅威が生じた場合にそれを退けよ、という意味でしょうか?例えば一昨年秋のように」
「抑止力とは、脅威が現実のものとなる前にそれを断念させる力だ。現実のものとなった軍事的脅威に対抗する力は単なる戦力であって抑止力ではない。抑止力は、使用されないことが望ましい。分からぬか」
「恥ずかしながら」
実際には、東道が何を言いたいのか全く分からないという事は無かったが、達也は小賢しく推測を並べるより、正解を請う方を選んだ。
「其方にとっては、難しい事ではない。恐怖を示して、他国を牽制すれば良い」
「先程閣下は、抑止力は使用されないことが望ましいと仰いました。しかし相手を恐怖させる為には、威力を見せつける必要があると思われますが?」
「示威の為に必要であれば、再使用もやむを得ぬ。その判断は其方に任せる」
東道は、達也が抑止力として機能すれば、ESCAPES計画を――魔法師を兵器の宿命から解放するための第一歩を、黙認するだけでなく後押しもしてくれるというのだ。達也に断る理由はない。
「閣下の御心のままに」
達也は遠回しな表現で東道の申し出を受ける意思を表明した。そこれ、それまで達也と東道の話を黙って聞いていた八雲が、初めて口を挿む。
「良いのかい? 君を待っているのは、孤独だよ?」
「構いません」
達也が本当の意味で必要としているのは、ただ一人の人間だ。その一人が側にいれば、彼が孤独を覚える事はない。達也の心はそういう風に出来ている。そしてそのただ一人の人間――深雪が自分から離れていくことは決してないと、彼は知っている。死すらも、達也と深雪を引き離す事は出来ない。彼がそれを許さない。
他の孤独は、達也を躊躇わせる理由にはならない。八雲の警告は達也にとって、脅しになっていなかった。
「話は決まった」
八雲には、まだ言いたい事があるようだった。だが東道が強引に、説得――東道にとっては横槍――を切り上げさせた。
「閣下。具体的に、自分はまず何をすれば良いのでしょうか」
達也にも、これ以上八雲と話を続けるつもりは無い。八雲が自分の事を心配しているのが分かるから余計に、後味が悪くなるに違いない口論を避けた。
「私の方から其方にあれこれ指示をするつもりは無い。其方は自分の意思で、必要と判断する事を為せ」
東道のこの言葉は、白紙委任状ではない、その逆だ。何をしても東道が責任を取るという事ではなく、何か不都合が生じれば達也に責任を取らせるという意味だ。
「承りました」
それを正しく理解した上で、達也は東道にそう答えた。素より、何か不都合が起った場合に、黒幕が責任を取ることはない。責めを負わされるのは常に実行者だ。東道が言っている事は、今更でしかなかった。
「うむ。では私の方も、知り合いに声をかけておこう。有意義な時間であった」
東道が面談の終わりを告げる。
「それでは、これにて失礼させていただいてもよろしいでしょうか」
「退出を許す」
達也は額が畳に付くほど、深々と頭を下げて、畳から立ち上がる。最初から座布団は与えられていなかった。達也は相手を見下ろさぬよう顔を伏せたまま、東道に背中を向けた。
「では拙僧も、彼を山門まで送り出してきます」
「うむ」
八雲も東道に断りを入れてから奥の間を辞し、達也を山門まで送り届けるために達也の前に立つ。
「本当に良いのかい? 幾ら深雪くんが君の側から離れる事はないと言っても、他の婚約者たちが全員その覚悟を持っているかどうかは分からないだろ?」
「この計画が破断すれば、世論が俺をUSNAに差し出せと騒ぎ出すでしょうし、結局側を離れる事になります。同じ離れるなら、地球上に存在している方を選ぶでしょう」
「まぁ、ディオーネー計画に参加させられたら、宇宙空間に放り出されるわけだしね……それでも、もっと平和的な解決策があったんじゃないかい?」
「あるかもしれませんが、それを探している時間は俺にありません。トーラス・シルバーの正体をレイモンド・クラークが発表した『つもり』になっている時点で、その時間は無くなりました」
つもりになっている。その表現を八雲は皮肉だとは思わなかった。彼はトーラス・シルバーが連名であることを知っている。だから達也を名指ししてトーラス・シルバーだと言っても、それは半分しか正解ではないのだという事も。
「君にとっても不本意だった、という事にしておくよ」
「ありがとうございます、師匠。それから、次こういう機会があった場合、先ほどの様な悪戯はもう勘弁してもらいたいのですが」
「それは僕の方かな。次が何時か分からないけど、その時に僕が君より強いなんて自惚れは持てないからね」
何時ものように飄々とした笑みを浮かべて答える八雲に、達也は無言で一礼をして石段を下りていくのだった。
達也の嫌味がかなり効いてる……