達也が九重寺から伊豆の別荘に戻った時には、既に午後十時近くになっていた。帰ってすぐ、達也は電話機に向かったが、真夜を呼び出すつもりは無かった。時間も時間だ。葉山か、葉山の補佐の白川に「了解が取れた」と一言だけ、伝言を依頼するつもりだった。
『――達也さん、何かしら』
だがヴィジホンの画面には何故かいきなり、真夜が登場した。まるで彼が電話を掛けてくるのを待っていたようなレスポンスだ。
「遅い時間に失礼します。ただ今、九重寺より戻って参りました」
思わず面白味の無い返答になってしまったが、真夜も達也にされた会話を期待してはいなかった。
『そう、ご苦労様。閣下にはお目に掛かれましたか?』
「はい。計画についてはお許しをいただきました」
『そう……』
真夜が達也の表情を窺うような感じに、少し目を細める。
『代わりに何を命じられたのかしら?』
どうやら真夜も最初から、東道の指示を得るためには取引材料が必要だと考えていた模様だ。それを前以て教えられなかった件については、達也もどうせそんな事だろうと考えていたので実害は無かったし、特に気にもならなかった。
「諸外国に対する抑止力を務めるよう求められました」
『今、達也さんがなし崩しに置かれている立場を、公式に認めろという事ね』
「いえ。今はまだ、公表の必要は無いと。やり方については全てこちらに任せると、閣下は仰いました」
『全てこちらに? それはそれは……責任重大ね』
真夜の思考は、達也と全く同じ経路をたどっている。それが合理的な思考プロセスだからか、それとも達也と真夜が似ているのか……達也は頭の片隅で軽く悩んだ。
『――とにかく、閣下のご承諾が得られたのは何よりでした。記者会見の件は、予定通り進めましょう』
「ありがとうございます」
真夜は東道の応諾が得られて一安心なのだろうが、達也は真夜の言質を得られて同じようにホッとしていた。誰かに使われる気苦労は、本当の意味でトップに立たない限り上も下も同じものらしい。
『ところで達也さん、巳焼島の話は覚えている?』
突然変わった話題について行く為、達也は余計な思考を全て棚上げして意識を集中した。
「四月中旬に聞かせていただいた話でしょうか。巳焼島に新しい研究施設を建設するという」
『ええ、それ。その計画を一部変更して、達也さんのプロジェクトのプラントを誘致しようかと思うのだけど』
真夜の提案に、達也は咄嗟に答えを返せなかった。
『葉山さんとも相談したのよ。達也さんの計画を進めるうえでは最適に近い立地だと思うのだけど、どうかしら』
「……誘致と仰いますと、外部の事業者を入れるのですか?」
自分にとって都合が良すぎる、という警戒感を顔に出さないよう意識しながら、達也はとりあえず当たり障りが無さそうな疑問だけを口にする。彼の質問を受けて、真夜は「よく気が付きましたね」という表情で笑った。
『規模を抑えればウチの傘下企業だけでも可能だけど、将来を展望すれば最初から外部の協力者を入れた方が良いと思うのよ』
その点については、達也も同感だった。仮に四葉関連企業だけでプラントをスタートさせると、そこで働く魔法師も四葉の息がかかったものだけとなる可能性が高い。それでは魔法師の解放ではなく、四葉家の新規事業になってしまう。
『土地もあの程度の広さなら、実質的な自治区になっても騒ぐ人は少ないだろうし』
その意見にも、達也は納得を覚えた。確かに八平方キロ程度であれば、小さな市には匹敵するとはいえ、ミュータントの反乱とか魔法師の王国とか騒ぎ出す者もあまりいないに違いない。
『どうかしら』
「ありがたいお話しだと思います」
『では、進めさせてもらって良いのね?』
「はい。よろしくお願いします」
自分のプランを別の目的に、良いように利用されるかもしれない、という漠然とした不安が達也の意識を過ったが。だが彼は、計画の推進を優先すべきと己を納得させた。
『じゃあ、記者会見、楽しみにしていますね』
「あまり期待されるようなものではないと思うのですが」
『息子の晴れ舞台ですもの。期待とかじゃなく、純粋に楽しみなのよ。達也さんが無能なマスコミ連中をどうやって黙らせるのかがね』
「母上、だいぶフラストレーションが溜まっている様子ですが、何かあったのですか?」
真夜の機嫌が悪そうな事は、電話越しでもはっきり伝わってきていたので、達也は思わずそんなことを尋ねたのだ。その質問に、真夜は不機嫌なのを隠そうともしない口調で答えた。
『貢さんが、たっくんの事を四葉家で監禁して表舞台から消しさろうと動いていたのよ。人間主義の連中に殺された事にすれば、多少なりとも同情を得られるだろうとか言ってね』
「はぁ……」
『そもそも、たっくんが次期当主に決まった時点で、分家の方たちはたっくんに対しての態度を改めるのが当然なのに、未だにたっくんの事を認めようとはいないなんて……私に対して不満を言っているのと同義だって何で分からないのかしらね?』
「長く染みついた癖みたいなものですから、そう簡単に抜けるものでは無いのではありませんか?」
達也自身も、無理に態度を改める必要は無いと思っているので、分家の人間の態度はさほど気にしていないのだが、真夜はそうではないみたいだと、達也は面倒な事を聞いてしまったと数分前に自分の言動を後悔したのだった。
真夜さんも怒らせたらヤバい……