劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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最初から勝負になってないですが……


レイモンド、完敗

 レイモンドが問うのを途中で止めたのは「ESCAPES」が何を略しているということよりも「escape」の語義そのものに達也は意味を持たせていると直感的に悟ったからだった。

 

「君は本気でESCAPES計画を実行するつもりがあるのかい?」

 

「皆、似たような事を聞くんだな。ESCAPES計画はディオーネー計画の当て馬ではない。そもそもこの計画は、お前たちが金星テラフォーミングをでっちあげる前から組み上げてきたものだ」

 

 

 達也はうんざりしたような表情を浮かべた後、レイモンドに対して好意の欠片も無い口調でそう答えた。

 

「でっちあげとは酷いね」

 

「本気で金星をテラフォーミングするつもりなのか? 実際に移住できるようになるまでの期間は、恐らく十年や二十年ではきかない。百年単位の事業だ。数世代にわたって資金と労力を投入し続ける必要がある。そんな大事業に本気で取り組む動機がUSNAにあるとは思えない。いや、USNAだけではない。現在の地球上に、そんな動機を持つ国家が存在するとは思えない。その大事業を成し得るものがあるとすれば、それは世界政府ではないか? 俺にはそう思えるんだが」

 

「……火星移住計画は、それこそ百年単位のプロジェクトとして実際に進められているよ」

 

「計画されているだけだろう。まだ移動手段すら確立されていない」

 

「壮大なプロジェクトを通じて、世界政府建設が促進されるとは思わないかい?」

 

「世界を無理矢理一つにしても、戦争が内乱に変わるだけだ」

 

 

 旗色が悪いと見て、レイモンドは反論の切り口を変えたが、達也から別の反論を引き出すだけに終わった。

 

「……達也って夢がないんだね」

 

「叶えられる夢しか見ない事にしている」

 

「それじゃ、ロマンがないよ。叶えられるから夢を見るんじゃない。叶えられるかどうか分からないけど、それでも見てしまうのが夢なんじゃないの?」

 

「ロマンティストだな。ディオーネー計画はお前にとって、実現可能性を度外視したロマンとでもいうことか?」

 

「人が魔法で、心の力で、宇宙に飛び出す。まさしくロマンじゃないか」

 

「何故そこに俺が巻き込まれなければならない」

 

「……えっ?」

 

 

 完全に意表を突かれた表情でレイモンドが固まった。

 

「魔法の力で宇宙に出たい。その『夢』を否定するつもりは無い。だがそれはお前の夢だろう? 俺が協力しなければならない理由は無いはずだ」

 

「それは……」

 

「俺をディオーネー計画に縛り付けたい理由は、夢を追いかける為では無い。もっと現実的な計算に基づくものだ」

 

「……分かった。じゃあ、現実的な話をしよう。海洋開発により、地球のキャパシティの限界が到来するのは、少し先延ばしに出来るかもしれない。でも地球の広さには限りがある。どんなに引き延ばしても、いずれは人類の人口増大に耐えられなくなる限界がやってくる」

 

「その未来は否定しない」

 

「じゃあ、宇宙開発は困難だからと言って目を背けられない現実じゃないか! 人類が繁栄を続けていくためには、まだ余力がある内に宇宙へ踏み出さなきゃならないはずだ」

 

「何故宇宙開発が人口増大の解決策になるんだ?」

 

「えっ……? だって、そんなの決まってるじゃないか。地球のキャパシティには限界があるんだから、地球の外に出ていかなきゃ……」

 

「宇宙は有限空間だ」

 

「それは……そうかもしれない。けど――」

 

「人類の生存に適するような改造可能な空間は、さらに限られている。宇宙を開発しても、限界からは逃れられない。人類に可能なのは、限界の到来を先送りにする事だけだ」

 

「……極論だ」

 

「何をしようと限界が到来するまでの時間を引き延ばす事にしかならないのであれば、出来る事から順番に手を付けるべきだ」

 

「極論を用いた詭弁だ! 宇宙には、事実上の限界なんて無い! 魔法があれば、人類は無限のフロンティアに羽ばたけるんだ!」

 

「もっとも、ESCAPES計画の目的は人口増大に対応するだけではないがな」

 

「――っ」

 

「俺は、俺の目的を叶える為、恒星炉を完成し、プラントを実現する。お前たちはお前たちの目的を叶える為、宇宙を目指せばいい。それがお前たちの、本当の目的であれば」

 

 

 反論の言葉を見つけられなかったレイモンドは、打ちひしがれた表情で、のろのろと立ち上がった。

 

「ティア、ゴメン。僕はもう帰るよ」

 

「うん」

 

「……達也。僕たちは決して、君を逃がしたりはしない」

 

「逃がすも何も、俺は元々お前たちに捕まってもいないし、俺がお前たちに囚われる事は決してない」

 

 

 達也の言葉に何かを言い返そうとして、やはり何も反論の言葉が見つけられなかったレイモンドは、一度だけ未練がましく雫の方へ振り返った。

 

「じゃあ、ティア。また会おうね」

 

「もう会うつもりは無いよ」

 

 

 雫の答えに完全に打ちひしがれたレイモンドは、開け放たれていたドアから出ていった。

 

「雫、お塩はあるかしら?」

 

「気持ちは分かるけど、止めておいた方が良いと思うよ」

 

「……そうね。余計なお仕事を増やすだけになるものね」

 

 

 深雪が何故塩を欲しがったのか的確に理解した雫は、自分も同じ気持ちだけどメイドに迷惑が掛かるからという理由で深雪を押しとどめた。二人のやり取りを見ていた達也は、少しだけレイモンドに同情したのだった。




以外と古典的な深雪さん

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