劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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そんな覚悟いらないだろ、普通なら


人を捨てる覚悟

 二〇九六年六月二日、日曜日の夜。第九研の、パラサイドールが厳重に保管されている倉庫に近づく人影があった。非常灯の微かな光に浮かび上がる、この世の物とは到底思えない程に妖しい、神魔の美貌。

 九島光宣は元々非人間的なまでに美しい少年だったが、夜の闇の中で神秘性と魔性が人間性を塗りつぶし、人の範疇から逸脱した存在に見せていた。光宣は倉庫の扉を、あっさり開けた。魔法を使ったのでもシステムをクラックしたのでもなく、普通に鍵を使って。

 光宣が、保管庫の中に足を踏み入れる。空調が効いた室内は、寒いくらいに冷やされていて、程よく乾燥していた。霊気は殆ど感じられない。古式魔法と現代魔法のハイブリッドである「九」の魔法の申し子である光宣は精神干渉系魔法に適性があり、霊子波を知覚する事が出来る。特殊な目を持つ美月のように、霊子そのものを見る事は出来ないが、霊子が作り出す波は見分けられる。彼の実感に沿うならば「聞き分けられる」と表現する方が適切かもしれない。

 その光宣にも、活性化した霊子の波動は感知出来なかった。パラサイドールの本体である妖魔、パラサイトが休眠状態で固定されている証拠だ。

 

『こいつらを取り込めば、僕は健康になれるのか?』

 

『取り込むのは一体で十分です。肉体の一部がパラサイトの物に変容するのは避けられませんが、「僕」ならば自我を侵食されることはないでしょう』

 

 

 心の中で発した問い掛けに、周公瑾の知識が答える。光宣はパラサイトを隷属させる忠誠術式で、周公瑾の亡霊を吸収した。忠誠術式は「従える」為のものであり「一体化する」ものではない。その性質から、周公瑾の亡霊は第二の意識のような形で光宣の意識に追加された。

 光宣にとって自我の無い助言者、霊的なAIアシスタントが意識に追加された、いや、接続されたような感じだった。

 

『……肉体の一部?』

 

『米軍の情報によれば、脳に交信用の器官が追加されます』

 

『そんなものが出来て、害はないのか?』

 

『完全に無害だと保証は出来ません。ですが「僕」が頻繁に体調を崩すのは、想子を肉体の許容範囲内に制御出来ていないからです。パラサイトは人間よりも想子のコントロールに長けていますから、パラサイト化する事により肉体の不調は完全に取り除けます』

 

『だったら、僕が想子をコントロールする技術を身につければいいんじゃないか?』

 

『理屈の上ではそうです。しかし「僕」の肉体はその修行に耐えられないでしょう』

 

 

 光宣が唇を噛む。この議論の最期の部分は、今が初めてではない。追加された意識――「増設知識」とでも表現すれば適切だろうか――は聞かれた事に答えるだけなので「またですか」等は言わない。だからついつい、同じ問答を繰り返してしまうのだが、繰り返しの概念を持たないが故に、答えも常に同じだ。

 結局、普通に努力するだけでは、光宣は肝心の場面で活躍出来ないままだ。そして彼の肉体は、欠陥を克服するために必要な、普通ではない努力をする事すら許されない。努力では、肉体の欠陥を克服出来ないと、光宣は分かってしまった。だから彼は今夜、ここに来た。

 ここには、彼を肉体の欠陥から解放する為の手段がある。休眠しているパラサイトを起こすのも、それを自分に憑依させるのも、彼には難しくない。経験は無いが、問題無く可能だと分かっている。

 第九研で蓄えられた知識と「増設知識」が、光宣には可能だと教えている。後は、決断するだけだ。光宣が決意するだけだ。人を捨てる、決意を。

 彼が立ち尽くしていた時間は、如何ほどだったのか。少年美を形にした彫像と化していた光宣が、身動ぎをする事で人間に戻る。

 

『これで僕は、達也さんにも負けない力を手に入れたんだな』

 

『もともと「僕」は司波達也に負けない力を持っていた。ただそれを発揮出来るだけの器が無かっただけで。今なら司波達也に勝つ事も、桜井水波をこの手に抱く事も難しくはないでしょう』

 

『べ、別に桜井さんは関係ないだろ』

 

 

 追加知識の言葉に、光宣は思わず意識を背けた。自分の中に「追加された相手」を誤魔化そうとしても無意味なのだが、彼も年相応の恥ずかしさを覚え、他人に自分の思い人を知られている事に耐えられなかったのだ。

 

『兎に角これで、肝心な時に倒れる事はなくなったんだな』

 

『今までのように、魔法を行使し過ぎて体調を崩したり、何もしていないのに息が苦しくなったりはしないでしょう。後は、相手次第です』

 

『そうか……ご苦労だった』

 

 

 光宣は踵を返した。部屋を出て扉を閉める。亡霊が変じた助言者は、それ以上何も言わない。増設知識は聞かれた事に答えるだけだ。光宣は背を向けた自分の選択が正しいかどうか、亡霊に問おうとはしなかった。

 

「さてと、鍵を戻しておかないと、お爺様や父様に不審がられてしまうな。カメラは誤魔化せても、さすがに鍵が無くなっていたら騒ぎになってしまうだろうし」

 

 

 そう呟いてから、光宣は拝借した鍵を元の場所に戻すべく行動し、何事も無かったかのように自分の部屋に戻ったのだった。




光宣が完全に人ではなくなった……

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