深雪としては異例の譲歩をしたので、これで十三束が大人しくなると思っていたのだが、自分一人で追い詰められた気分になって、精神的な視野狭窄に陥っていた相手には逆効果だった。
「……司波会長。僕は貴女に決闘を申し込みます」
「決闘ですか?」
「はい。僕が勝ったら、司波君の居場所を教えてください」
十三束の勝手な言い草を、深雪は冷静に聞いていた。いや、表面的には冷静に受け止めているが、彼女の内側では怒りが燃え上がるのではなく、殺意にも似た敵愾心が冷たく研ぎ澄まされていた。
「……いいでしょう。我が四葉家は、十三束家の宣戦布告を受け容れます」
「いえ、そこまで言ってはいないのですが……」
「貴方は十三束家の人間として、四葉家の次期当主をUSNAに差し出せと言っているのですよね? それはもう、家を巻き込んでの戦争になっても不思議では無いと分からないのですか? 胃潰瘍程度では済ませませんよ?」
深雪の言葉を聞いて漸く、十三束は深雪の逆鱗を蹴り上げた事に気が付いた。問答無用で消されても不思議ではない状況を打破したのは、意外な事に深雪側の人間だった。
「深雪様、お待ちください」
「水波ちゃん?」
今にも十三束を凍り付けさせような深雪に声をかける事で、とりあえず深雪に冷静さを取り戻させる。だが声をかけられた事に、深雪は驚きと訝しさがブレンドされた声で水波の意図を問うた。
水波は今「会長」ではなく「深雪様」と呼んだ。深雪が四葉家の人間であることが知れ渡る事で、水波は深雪の従妹などではなく四葉家に仕える身分だろうと周囲の皆が認識していた。だから水波が深雪の事を「深雪様」と呼んでも違和感はない。ただ校内では深雪が嫌がるので、主従関係を匂わせるような態度はなるべく控えていた。
だからこの場であえて「深雪様」と呼びかけ、後輩の域を超えた臣従の姿勢を見せたのには、何か理由があるはずだった。
「私は達也さまから深雪様をお守りするよう命じられています。達也さまのご信頼にかけて、深雪様が必要のない戦いに臨まれるのをお止めしないわけには参りません。ましてや家を巻き込んでの戦争など、達也さまの意思を確認しないままそのような事をすれば、後々「何故止めなかった」と怒られてしまいます」
深雪は水波に、何も言い返せなかった。達也の意向を持ち出されては、深雪に反論の言葉は無い。
「ですがそれだけでは、十三束先輩は納得出来ないでしょう。ですから、深雪様の代わりに私が十三束先輩のお相手を務めます」
「……分かりました。十三束君、それでいいですね? 水波ちゃんが負けた場合は、十三束君の要求通り、達也様のご滞在中の別荘を教えます」
「……司波君の居場所を教えてもらえるなら、僕は構いません」
とりあえず家を上げての戦争という展開は避けられたので、十三束は深雪の提示したルールに文句はつけなかった。今の彼には目的以外の事に気を掛けている余裕がなかっただけだったかもしれないが。
生徒同士の諍いを、当事者の実力行使で白黒つける。それは一高のルールに組み込まれている問題解決方法の一つだ。当然模擬戦の手続きも定められていて、生徒会長と風紀委員長の許可を得なければならない。実力に格差がある場合等で、模擬戦が一方的な暴力に利用されることを防止する為の措置だ。
「……今年は生徒会絡みの決闘なんて無いとおもったのに」
模擬戦の承認印を申請に来た泉美に、風紀委員長の幹比古が愚痴を零す。今回は生徒会長が一方の当事者なので、副会長である泉美が模擬戦を仕切っていた。
「決闘ではなく試合ですよ、吉田先輩」
幹比古のセリフに軽い修正を入れ、泉美は試合形式が記された生徒会決済済みの許可書を差し出した。それを見て幹比古が驚きに目を見張る。
「白兵戦形式!? 良いのかい? 十三束君と桜井さん、男女の試合なんだろう?」
通常、男子同士の試合以外で白兵戦形式が採用されることはない。特に男女の模擬戦の場合は、セクハラ行為の問題が発生する。
「模擬ナイフを使った寸止め有りのルールです。水波さんは、自信があるみたいですよ」
泉美の説明は、幹比古にとって少しも安心要素にならなかった。模擬ナイフの寸止めで決着が付くと言っても、殴ったりけったりが認められている事に変わりはない。
「(いくら桜井さんが四葉家の従者といえど、さすがにこれは認められないよな……でも、双方引き下がるつもりはないみたいだな)」
泉美の態度からも、既に話し合いで解決出来る状況ではないという事が理解出来た幹比古は、小さくため息を吐いてから承認印を押した。
「ありがとうございます」
「……ただし、僕が審判を務めるよ」
自分が見ていないところで女子生徒が男子生徒に怪我をさせられるかもしれないと思うと、とてもじゃないが承認印は押せなかったのだろう。幹比古は審判に立候補する事で承認印を押したのだ。
「ではお願いします。私たちでは、水波さんに有利な判定をしそうですから」
「まぁ、十三束君の行動を聞けば、そうなってしまうのも無理はないだろうけどね……」
決闘に至るまでの経緯を聞いているので、泉美の思いも仕方がないと思えた幹比古だが、彼はあくまでも公平にジャッジしようと心に決めていたのだった。
とりあえず死なずに済んだみたいだな……