劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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後々問題になるとも知らずに……


佐伯の計算

 ウラジオストクに着いてすぐ、ベゾブラゾフは司波達也の動向を情報部員から告げられた。

 

「伊豆の別荘に、婚約者と滞在中か……」

 

 

 人里離れた場所にいるのは好都合だ。婚約者である深雪も強力な魔法師だと聞いているが、ベゾブラゾフは自分の魔法に自信を持っている。まして今回は、彼の魔法力を増幅する外付け端末『イグローク』を連れてきているのだ。

 ベゾブラゾフは人工授精により誕生した人間だ。遺伝子操作は行わず、無数の受精卵を作り出しその中から選ばれた最高の成功例。それが新ソ連の国家公認戦略級魔法師イーゴリ・アンドレビッチ・ベゾブラゾフ。当然の試みとして、彼の元となった受精卵は生化学的にコピーされ、彼の「妹」とも言えるクローンが作られた。彼女たちはベゾブラゾフと同じ戦略級魔法師になることが期待され、事実七人のクローンがトゥマーン・ボンバをマスターした。

 しかし『アンドレエヴナ』の名を与えられた彼女たちクローンは、健康体では無かった。一応トゥマーン・ボンバを発動できるものの、射程距離と発動速度の点で実戦に耐え得るものではなかったのだ。

 しかし、単独では使い物にならなくても、ベゾブラゾフを補助する外部端末としては有用だった。オリジナルであるベゾブラゾフの受精卵をコピーした、性別が違うだけのクローンだ。魔法演算領域を同調させるのは、難しくなかった。本体であるベゾブラゾフの精神が浸食を受けないようアンドレエヴナたちは自我を奪われ、ただ魔法を発動する為の生体機械『奏者(イグローク)』となった。『指揮者(ディリジオール)』ベゾブラゾフが操るままに、魔法を奏でるプレイヤー。それがアンドレエヴナの名を持つし七人のクローンに与えられた役割、彼女達に強制された人生だった。

 ベゾブラゾフが彼女たちを使うたびに、使用されたイグロークの精神は壊れていく。その事に、ベゾブラゾフは躊躇いを持っていない。それはもしかしたら、彼自身の運命だったかもしれない。

 今は新ソ連有数の科学者として名を成していようとも、作られた存在であるベゾブラゾフに他の生き方は選べなかった。それは今でも、本質的には変わらない。ベゾブラゾフにイグロークを使わないという選択肢は無い。彼は新シベリア鉄道の軍用列車で牽引してきた大型CADの最終調整を係員に指示した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 世界の軍事バランスに大きな影響を及ぼす国家公認戦略級魔法師「十三使徒」の動向は、各国軍事関係者の注目の的だ。これまでその動向が極めて掴みにくかった新ソ連のベゾブラゾフは、ディオーネー計画への協力表明以来表舞台に出る事が多くなったから、十三使徒の中でも特別の注目を浴びている。

 日本にとっては特に、ベゾブラゾフは国境を接する非同盟大国の戦略級魔法師。直接的な脅威である。しかも四月には佐渡島近海及び宗谷海峡でベゾブラゾフの戦略級魔法トゥマーン・ボンバによるものと推定される攻撃を受けている。ベゾブラゾフの行動を監視し推測する事は、日本の国防上、最重要級の課題だった。

 六月八日土曜日の夜、陸軍第一○一旅団を統括する佐伯広海少将は、陸軍内の公式ルートではなく参謀本部に築いた私的ルートから、重大なニュースを得た。ベゾブラゾフが専用列車で、極東に移動したというのである。

 

「極東といっても沿海州は広いけど……たぶん、ウラジオストクでしょうね。それにしても専用列車か……」

 

 

 トゥマーン・ボンバの発動には、一車両をまるごと占める大型CADを使うという情報がある。未確認で異論も多い情報だが、この説によればベゾブラゾフはCAD車両をつないだ専用列車で新ソ連国内を移動し、ターゲットに接近してトゥマーン・ボンバをコントロールしている。

 魔法には本来、物理的な距離は関係ないが、現にそこに存在する「距離」を飛び越えるためには、魔法に対する深い理解と強い確信が必要だ。もしその種の意志力においてベゾブラゾフが達也に劣っているならば、トゥマーン・ボンバを使用するために標的へ近づく必要があってもおかしくはない。

 そして同時に、ベゾブラゾフが専用列車で極東に移動してきたのは、トゥマーン・ボンバで日本に近い何処かを狙う為だという事にもなる。狙いは日本そのものかもしれない。今度は本州、四国、九州、北海道の陸地を直接狙ってくる可能性も否定できない。

 

「……現在の情勢下で最もターゲットとなる可能性が高いのは『彼』か」

 

 

 警告すべきか、と佐伯は考えた。しかし一分間近く悩んだ末、放置する事にした。いや、観測する事にした。佐伯は基地内電話機を手に取り、短縮番号をプッシュする。

 

「――風間中佐、私です。こんな時間にすみませんが、至急指令室まで来てください」

 

 

 宗谷海峡方面の緊張状態も去った現在は平常態勢。時間外もいいところだが、風間はすぐにやってくるだろう。

 風間ならば「彼」に悟られずに何が起こるか観察できるはずだ。上手くすれば「彼」とベゾブラゾフ、両方の攻略ポイントを見つける事が出来る。佐伯はそんな風に、そろばんを弾いたのだった。




その計算は間違っているんだがな……

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