その一つの可能性を、ベゾブラゾフが見落としていたわけではない。
「(防御シールド魔法……? 今の衝撃波を、受け止める程の?)」
司波達也や彼の婚約者がシールドを張っても、衝撃波を受け止められないと計算していたのだ。ベゾブラゾフはそれだけ、集束衝撃波の威力に自信を持っていた。このバリエーションのトゥマーン・ボンバは、かつてベーリング海峡を挟んでUSNAとの間に発生した局地的武力紛争『アークティック・ヒドゥン・ウォー』(The Arctic hidden war:北極の隠された戦争)で先代のスターズ総隊長、ウィリアム・シリウスを葬った魔法なのだ。
「(まさか、十文字克人が護りに加わっていたのか!?)」
強力な障壁魔法を持つ十文字克人の存在も、ベゾブラゾフは知っていた。自分のトゥマーン・ボンバを防ぎきる可能性を持つ、最も手強い存在としてベゾブラゾフは克人の事を認識している。
「(いや、そんな情報はなかった)」
脳裏を過った懸念を、ベゾブラゾフは妄想だと自ら否定した。そんな要注意人物の動向を、情報部が見逃していたはずがない。
「(しかし、だったら何者が……)」
ベゾブラゾフが答えの出ない自問の迷路に陥る。彼はこの、意味のない迷いの所為で貴重な時間を――勝機を失ってしまった。
水波の朝は早い。メイドの心得として、司波家で誰よりも早く起きる事にしている。それは自宅を離れ別荘に来ていても同じだった。
とはいえ朝の五時は、いつもならまだボーっとしている時間だ。彼女は決して低血圧ではないが、特別に寝起きが良いわけでもない。寝ぼけ眼の水波の意識を一気に覚醒させたのは、彼女のライバルであるピクシーだった。
『上っ!
無防備の頭をガツンと殴られたような衝撃。脳内に直接響いたピクシーの能動テレパシーだという認識は、CADを操作した後に訪れた。何時でもガーディアンとしての指名を果たせるように、CADは常に電源を入れた状態で手元に置いてある。今はもう着替えた後だったので、エプロンのポケットに入っていた。
意識するよりも早く愛用の携帯端末型CADを手に取り、水波は指に想子を込めてショートカットキーを押した。目を上に向ける。魔法の発動に要する時間を可能な限り短縮する為に、座標は起動式に「目を向けた先の個体がない空間」と定義してある。
水波の中で、屋根の上に覆い被さったドーム型の魔法障壁のイメージが形成される。その直後、シールドを衝撃波が襲った。達也の分解魔法が間に合わず、水波の防御魔法が間に合ったのは、彼女のシールド魔法が自分だけで完結しているからだ。あらゆる物理的な攻撃を受け止める魔法。
しかしその曖昧な定義は、術者の魔法演算領域に負荷を掛ける。防御する対象を限定する方が、魔法としては容易だ。しかも襲いかかっている衝撃波は、水波のシールドを破り掛ける威力があった。
単層の防御として比較すれば、水波のシールドは克人のファランクスに匹敵する。ただ、ファランクスとは衝撃を維持する方法が違う。
十文字家の防御型ファランクスでは、いったん形成したシールドは基本的に放置だ。持続時間を指定するだけで、耐久力を超える攻撃を受ければ崩壊するに任せる。その代わり、既に存在するシールドの崩壊の兆候を発動条件として次のシールドが用意されている。複層のシールドがタイムラグゼロで次々と作り出され維持される、それが十文字家の防御魔法。
対して水波の――「桜」シリーズの防壁は、物理的な攻撃を受け止める障壁の生成と、それを維持する断続的な魔法行使の、二段構えの術式だ。
同じ種類の魔法であれば、重複による弊害は無い。例えばレオが得意とする硬化魔法は、先に発動した魔法の効果が残っている内に次の硬化魔法を発動しても、必要となる事象干渉力の増大は無い。
水波の障壁魔法も同じだ。同一の領域に、障壁魔法をかけ続ける。それによって、水波はシールドが破られるのを防いでいる。
だがそれは、ただでさえ負荷が重いランダム攻撃に対する防御魔法を、途切れることなく発動し続けるという意味だ。魔法演算領域に過重な負荷を掛け続ける行為だ。
「(――負けない! 負けられない! 達也さまと深雪様は、私が守るんだ!)」
客観的に考えれば、水波がそこまでして二人を守る理由はない。達也のように、血縁の愛に駆り立てられるわけではない。水波の遺伝子上の叔母に当たる桜井穂波は家族に等しい愛情を深雪に注いでいたが、それは水波には関係のない過去の出来事だ。
深雪の護衛は彼女たちを買い取った、ある意味で彼女たち調整体「桜」シリーズを奴隷として隷属させている四葉家の女主人に命じられたことでしかない。
水波が深雪と一緒に暮らした期間も、丸一年と少しでしかない。それでも、魔法演算領域がオーバーヒートする苦痛に耐えて、水波は障壁を維持した。
魔法師としての意地?
偏った教育によって植え付けられた、歪んだ価値観?
用済みとされる恐怖?
そんな、薄っぺらい動機でも消極的な動機でもなかった。そんなものでは、自分の身を削れるはずがなかった。
何故守るのか?
そう問われても、水波自身答えられないだろう。理由も分からぬまま、理由を必要とせず、水波は達也と深雪の盾となって、戦略級魔法トゥマーン・ボンバに立ち向かっていた。
ベゾブラゾフの魔法が作り出した、酸水素ガスが燃え尽きた。衝撃波が消える。それは時間にしてみれば、一瞬にも等しい短い間の出来事だった。しかしその一瞬は、水波が限界を迎えるには十分長い時間だった。
攻撃が止んだことを手応えで知って、水波は障壁魔法を解除した。同時に、意識が遠のく。身体が支えを失い、床に崩れ落ちる。
魔法の過剰行使により、魔法演算領域のオーバーヒート。かつて桜井穂波が命を落とした原因と同じ理由で、水波は倒れ、意識を失った。
原作ではどうなるか分からないけど、助けてあげたいな