劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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よく考えたら凄い事をしてるんですよね……


達也の成長

 二〇九七年六月九日、日曜日早朝。正確な時刻は、午前五時六分。伊豆半島中央やや東寄りの高原地帯が、大規模魔法による爆破攻撃を受けた。新ソビエト連邦の国家公認戦略級魔法師、イーゴリ・アンドレビッチ・ベゾブラゾフの戦略級魔法『トゥマーン・ボンバ』によるものと推定される魔法攻撃は、民間の別荘二十七戸を全半壊させ、幸い死者は出なかったものの十一人の重軽傷者を出した。

 爆発の規模に対して相対的に被害が少なかったのは、家屋が疎らな地域であるのに加えて、オフシーズンで利用客が少なかったからだ。負傷者は全員、別荘の管理業務に従事する者だった。

 とはいえ、国土が不当な攻撃に曝され、国民の身体と財産が脅かされたのは、紛れもない事実だ。日本政府は同日、国際社会に向けて、正体を確定出来ない攻撃者に対して厳重な抗議の意思を表明し、相手国を指名しないまま犯人の引き渡しを要求した。

 なお、その攻撃の規模は完全な奇襲、しかも夜明け直後の時間帯だったにも拘わらず、国防陸軍により地上から近距離で撮影されていた。不当な先制攻撃の確たる証拠であるその映像は同時に、日本軍が奇襲を事前に察知していながら外交上の交渉材料とするため、国民を見殺しにしたのではないかという疑念を招くものでもあった。

 国防軍のスポークスマンに対して、当該疑惑を正面から質問した気骨のある記者もいたが、国防軍は当然の如くこの「言い掛かり」を事実無根と一蹴した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ダイニングの床に倒れた水波を見て、悲鳴を上げて立ち竦んだ深雪だったが、パニックに支配されていたのはごく短い時間の事だった。未だにパニックに囚われているが、身体の硬直は解けていた。

 

「水波ちゃん!」

 

 

 倒れている水波のすぐそばに駆け寄り両膝を突く。既に水波の横にはピクシーがいて、手首に指を当てて脈を取っている。深雪はその向かい側に座り込んで、水波の鼻の前に手を翳した。僅かに狼狽の色が薄れたのは、水波の呼吸が確認出来たからだろう。だが、翳していた手で首に触れて、深雪は顔色を失った。

 

「冷たい……脈も弱い……達也様!」

 

 

 深雪が達也を見上げて、眼差しで縋る。自分では看取る事が出来なかった穂波の最期を、深雪は水波の姿に重ねていた。

 

「ピクシー、水波の容態は!」

 

 

 達也も焦りを隠せない。ピクシーに問いかける声は、不必要に荒れている。

 

『外傷はありませんが、体温、血圧、脈拍数、全てが危険な水準です、マスター。このままでは衰弱死の可能性があります』

 

 

 達也の焦燥を感じたからだろう。ピクシーは機械の音声ではなく、能動テレパシーで答えた。許可無くテレパシーを使う事を達也はピクシーに禁じていたが、今、彼はそれを咎め無かった。そんな事を問題にしている場合では無かった。

 達也は左手を水波に向けた。そこにCADは握られていない。右手には迎撃に使った『雲散霧消』用の大型拳銃形態CAD『トライデント』を握ったままだが、左手に『再成』用のCADを掴み上げる時間的な余裕は無かったし、『再成』用のストレージを取りに行く心理的な余裕も無かった。

 達也は自分だけの力で『再成』を発動した。

 エイドス復元魔法『再成』は、エイドスの変更履歴を遡及し、任意の状態――多くの場合、劣化や損傷がない状態――のエイドスをコピーして現在のエイドスを上書きする魔法だ。事象には情報が伴う。情報を書き換えられた事象は、その情報に従って変化する。情報を書き換えて、事象を改変する。これが現代の「魔法」だ。事象の情報『エイドス』には修復力があって、書き換えられた偽りのエイドスは時間経過とともに本来のエイドスに書き直されていく。だから魔法による改変は、永続しない。

 しかし「過去のエイドス」は、確かにその事象そのものを記述した情報体。情報に矛盾が無ければ、エイドスの修復は行われない。ただ、時間経過による内在的変化が調整されるに留まる。

 エイドスを自分自身の過去の情報に書き換えられた物体は、その時点から外的な作用を受けずに時間だけが経過した状態で現在に定着する。その事象が固有にもつ時間を遡り、過去の一時点からその事象に限定して世界が上書き更改される。

 達也の『再成』は、通常の魔法のように因果の「果」を変更するのではなく「因」を変更する事により「果」を変えるものなのだ。その固有時間遡行、世界限定更改の魔法が水波に向けられた。

 水波の肉体の情報を読み取り、その変更履歴を遡る。衰弱の原因は見つからない。水波の肉体に付随する想子情報体そのものを読み取り、その変更履歴を遡る。衰弱の原因は、まだ見つけられない。

 達也は更に深く、桜井水波という少女の情報にアクセスする。水波の肉体と精神を繋ぐ想子情報体の構造を読み取り、その変更履歴を遡る。以前の達也には、難しかったことだ。五年前の夏、穂波の時には出来なかった事だ。

 あの夏よりも成長を遂げた、半年前も、恐らく不可能だった。想子情報体である以上、アクセス自体は可能だった。だが、おおむねの情報を読み出す事は出来ても、構造情報を完全に読み取ることは困難だった。しかし今の達也には、それが可能なのだ。




「桜井水波」という少女の全てを見たわけですし……

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