劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1442 / 2283
不安になるのも仕方がない……


リミッター不全説

 水波が収容された病院は、調布のマンションのすぐ近くにあった。もちろん、偶然ではない。深雪が転居した調布のビルは四葉家の東京本部として建てれらた物。傷病者対策は最初から考慮されていた。達也は深雪と共に、マンションへ戻っている。深雪は水波に付き添っていたいと希望したのだが、担当の医師からやんわりと断られたのだ。彼女が無意識に放出している魔法力が治療の妨げになる、と言われては深雪も強情を張れなかった。

 

「水波ちゃん、大丈夫でしょうか……」

 

 

 達也の隣に全く距離を置かず腰掛けた深雪が、不安を隠せない声で呟く。恐らく、隠す気も無かったに違いない。

 

「命に関わる事は無い、と思う」

 

 

 達也から期待したものに近い言葉が得られて、深雪の顔から少しだけ不安の色が薄れた。

 

「……そうですよね。達也様が『再成』を使われたのですもの。万が一のことなどありえません」

 

「……俺が行ったのはあくまでも応急処置でしかない。完治はさせられなかった。だが肉体の衰弱が致命的なレベルにまで進行する事は避けられたはずだ。それに水波は第二世代。第一世代の穂波さんより、自分の魔法に対する抵抗力は強いはずだ」

 

「そうですよね!」

 

 

 深雪が俯かせていた顔を上げる。伏せられていた目が、寄る辺を求めて達也の眼差しを捉える。

 

「世代を重ねる事で、魔法が遺伝子に定着する……この傾向は、私たち調整体にも当てはまる事ですよね?」

 

 

 深雪が自分を「調整体」と呼んだことに、達也は抵抗を覚えた。

 

「普通の調整体は、第一世代よりも第二世代の方が安定している。少数の例外はあるものの、こうした傾向があるのは間違いない」

 

 

 一般的に調整体は、生物として安定を欠いている。ある日突然、急激に衰弱して死んでいくこともあれば、何の前兆も無く突然死するケースも少なくない事例が記録されている。その原因について、まだ定説はないが、幾つかの仮説は考え出されている。その中で最も有力だと達也が考えているのは「調整体の魔法は精神のリミッターが外れた状態で行使されている」という仮説、「リミッター不全説」だ。

 この説によると、本来人間の精神は、魔法の行使が可能なようには出来ていない。魔法演算領域は魔法師に固有の物ではなく、人間一般の精神に備わっているが、魔法の行使は人間の精神に許容限度を超えた負荷を与える為、通常は無意識領域に備わるリミッターで百パーセント稼働が制限されている。つまり、完全に凍結されている。

 しかし稀に、魔法に対して強い耐久力を持つ精神の持ち主がいて、そういう者のリミッターは僅かに解除されている。百パーセントのリミッターが九十九パーセントの状態に設定されて生まれてくる。たとえ一パーセントでも二パーセントでも、使用可能な容量がゼロパーセントとは本質的な違いが生じる。例え最初は一パーセントでも、とにかく使えないはずの魔法が使えるのだ。筋肉と同じく、魔法演算領域も使用する事により出力が増す。そして骨や腱が筋肉の増大を支えるべく強度を増していくのと同様に、精神も魔法という負荷に対する耐久力が上昇していくと「リミッター不全説」の論者は言う。

 ところが、調整体魔法師は魔法を使える状態で人工的に作り出している所為で、このリミッターが機能していないと主張する。精神の魔法耐久力向上に従って解放されるはずの魔法演算領域が、最初から解放されている。精神は耐久力を超えた魔法の負荷に曝され続ける事により、遂には破損しそれが肉体の生命活動に波及する。調整体の不安定な生命力を、このように説明する。

 調整体の「第二世代」は「第一世代」が自滅への道を歩みながら手に入れた魔法耐久力を生まれながらにして持っているのが「第二世代」であり、「第三世代」は「第二世代」が高めた耐久力を更に受け継いでいる事になると仮定されている。

 それはあくまで仮説であり、正しいという保証はないが、「第二世代」の水波は「第一世代」の穂波よりも、魔法の過剰行使に耐える力が備わっている。そう考える事で深雪は多少なりとも気持ちが楽になった。

 深雪の顔から悲壮感と罪悪感が薄れた。彼女は、水波が自分の為に我が身を犠牲にしたと少なからぬ罪の意識を懐いていたのだ。それを見て、達也が深雪に微笑みかける。心の中に懸念を秘めて。

 深雪が調整体というのは、達也にとって不愉快な事実だ。出来れば信じたくないが、否定する根拠がない。調整体に忌避感や差別意識を懐いているのではなく、深雪が誰かの手で弄り回されたと考えるのは、たとえそれが誕生前の事であっても不快感を覚えてしまうのである。

 達也は意識していないが、一種の独占欲だと言える。しかしそういう感情を抜きにして深雪が調整体であるという事実を受け容れたなら、深刻な懸念を無視できなくなる。それは、第一世代が持つ生命力の安定性欠如を、真夜が言うように本当に克服できているのかという不安。真夜の言葉を前の仮説に当てはめるならば、深雪は調整体でありながらリミッターが正常に機能しているという事だろう。あるいは、リミッターがそもそも必要ない程に生来の対魔法耐久力が高いのか。

 達也にそれを確かめる術はないので、信じるしかないのだ。もし真夜が達也に告げた言葉が偽りで、深雪が調整体の欠陥を持っていたとしたら。そして深雪に、調整体の宿命である突然の死が襲いかかったなら。その先の未来を、達也は思い描く事が出来ない。

 その時、自分は生きていないだろう。そしてその時、自分だけで済ませる自信が、達也には無かったのだった。




いるだけで妨げになるとは……深雪もなかなかの人外だな……

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。