六月十日、月曜日。海を隔てた遠距離魔法攻撃を受けるという、極めつけの非日常に見舞われたのがつい昨日の事であっても、日常は容赦なくやってくる。深雪は水波の容態を気に掛けつつ、何時も通り一高に登校した。
「達也さまもいろいろとお忙しいのではありませんか?」
リクライニングを起こしたベッドに背中を預けた水波が、申し訳なさそうな声で達也に尋ねる。なお彼女はまだ自力で身体を支える事が出来ない為、補助外骨格を上半身に付けている。
「今は通学を免除されている身だ。俺の事を気にする必要は無い」
「ですが……」
「それより、まだ横になっていた方が良いのではないか?」
「いえ。アシストを受けながらでも寝たきりにならない方が、日常生活に早く復帰出来るとお医者様に勧められましたので」
「しかし、余り付け心地の良い物ではないだろ?」
パワーアシスト機能自体は達也もムーバル・スーツでお馴染みだ。今のアシストシステムはフィードバックスピードが速いので、動きの邪魔になることはない事は知っている。最先端の軍事用装備とは性能に差があるかもしれないが、少なくとも動作を妨げられていると意識する事はないはずだ。重さも外骨格自身が接地面で自重を支えているので、装着したものが重量を感じる事はないが、身体にしっかりと固定しなければならないから、ある程度締め付けられるという感じは避けられない。決して快適なものではないだろうと、達也はそう予想したのだが、水波の答えは思いがけないものだった。
「大丈夫です。まだ皮膚の感覚が完全には戻っていないので、これを付けても気になりません」
「触覚が麻痺しているのか……?」
意識的に瞬きを繰り返して達也が低い声で尋ねる。声のトーンは、意識しての物では無かった。
「麻痺しているという程、大げさなものでは……少し鈍く感じるだけです」
「医者は何と?」
「脳にも神経組織にも損傷は見られないから、衰弱による一時的な異常だと仰いました」
「ならば良いが」
口ではそういったが、達也の顔には依然として心配そうな表情が浮かんでいた。
「達也さま……一つ、伺っても宜しいでしょうか」
自分が何故このような質問をしたのか、後になっても水波にも分からなかったが、この時は疑問を心の内に留める事が、どうしても出来なかった。
「言ってみなさい」
「達也さまは何故、私の事をそんなに心配してくださるのですか?」
最初、質問の意図が分からなかったのか、達也は軽く眉を顰めたが、すぐに「合点がいった」という顔になって、自嘲気味の苦笑いを浮かべた。
「感情が欠落している俺が赤の他人の事を心配する姿は、確かに奇妙なものかもしれないな」
「い、いえ、そんな!」
「良いんだ。お前の認識は間違っていない」
水波は慌てて、達也の思い違いを正そうとしたが、達也に言われて自分の問いかけの背後に思い込みがあった事に気付き、自分の非礼を恥じた。
「水波に考え違いがあるとすれば、俺はお前の事を他人だと思っている、という点だ」
「えっ……?」
「水波は俺の事、どの程度知っている?」
達也からの反問。しかし、水波の立場として答えられる問いではない。達也もそれを理解していたのだろう。彼は自分から正解を口にした。
「俺は深雪に関わる事以外、基本的には強い感情を持てない。婚約者の中でも、深雪に対して最も強い感情を持っているのはそういう事だ、という事は知っているな」
問い掛けの形を取ってはいるが、達也は水波が答えるとは思っていない。水波も知っているからこそ、何も言えなかった。
「そして深雪はお前の事を姉妹同然に思っている。水波、お前は深雪にとってもう身内だ。だから俺には桜井水波という少女が、深雪に深く関わる人間として認識されている。俺がお前を心配するのは、深雪がお前の事を心から案じているからだ。お前にとっては失礼な事かもしれないが、俺は深雪に対する想いを通じて、お前の事を本気で心配しているつもりだ」
「……恐縮で、光栄です」
自分の事を深雪が姉妹同然に思ってくれている。それに対して水波は「恐縮」と言い、達也が自分の事を、深雪に対する愛情を通じて心配してくれている。それに対して水波は「光栄」と言った。深雪への愛情に付随する感情は、彼にとって心からのものであると水波は理解していた。
「意味が良く分からないが」
「……申し訳ございません。気にしないでください」
達也には、水波がどういう思考プロセスを経た結果なのか理解出来なかったようで、水波にも自分がどう考えたのか上手く表現できる自信が無い。だから水波は無理矢理回答を捻りだすのではなく、誤魔化す方を選んだ。
「……夜になると思うが、深雪と一緒にまた来る。今は仕事の事を忘れて養生してくれ」
「はい。仰せの通りに致します」
達也は回答を得る事に拘らなかった。水波も無理に答えるつもりは無いので、辛うじて動かせる首を縦に振って、達也に小さく一礼した。
「そうかしこまる必要は無い。深雪にとって姉妹も同然なら、俺にとっても水波は従妹同然だからな」
そう言って達也は水波の髪を撫でる。深雪にするときと同じように、優しく。それが気持ちよかったのか――気持ちいいと感じられたのか、水波は眼を細め達也に身を委ねたのだった。
それ以外でもちゃんと思ってはいるんでしょうが、そこから来るのが一番強いですから