劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1450 / 2283
多少邪な気持ちがあるのも事実……


ちょっとした温度差

 光宣は絶世の美少年だが、男女交際の経験値はゼロだ。神秘性すら漂わせる美貌の所為で、女の子が尻込みして近寄ってこなかったのである。世の「モテない男」とは理由が対照的だが、それでも「非モテ少年」の一人である光宣には「可愛い少女の名前呼び」は少々ハードルが高かった。深雪くらいの美少女になると逆に抵抗を覚える感覚自体が麻痺してしまうのだが、水波は高校二年生の少年にとって――いや、光宣にとって、丁度気恥ずかしさが刺激される「可愛い少女」だった。

 

「そうでなければ、私も『九島さま』とお呼びしなければならなくなってしまいます……」

 

 

 水波と光宣の立場を考えれば、本来は「九島さま」と呼ぶべきなのだ。そもそも水波が光宣の事を「光宣さま」と呼んでいるのは、光宣が達也と深雪を「司波さん」では区別がつかないという理由で名前呼びした釣り合いを取る為だ。達也と深雪がいない場所では「九島さま」が正しいのである

 

「分かったよ、水波さん」

 

 

 水波の言葉を受けて、光宣は羞恥心を忘れた。彼女の言葉を聞いて、光宣は反射的にそう答えていた。名前で呼んでもらえなくなることを、光宣は惜しんでいるように見えた。

 

「はい、光宣さま」

 

「………」

 

「………」

 

 

 しかし、恥じらう気持ちが消えてしまったわけではない。光宣が恥ずかしそうに視線を逸らした所為で、水波の方まで恥ずかしくなってしまい、病室内には実に青春的な空気が充満した。

 

「……えっと……触覚の鈍化について、医者は何か言っていた?」

 

「あっ、はい、その点…脳にも神経組織にも損傷は見られないから、一時的な異常だろうと……」

 

 

 水波の答えを聞いて、光宣の表情が険しいものになった。光宣の変化を見て、水波の心の中で押し殺していた不安が膨らむ。何でもないように振る舞ってはいたが、彼女も本音では自分の身体に生じている異常に怯えていたのだ。

 水波は調整体の不安定性について、四葉家で教わっている。それが何時か、自分に降り懸かってくる運命かもしれないという事も知っていた。その「何時か」がやってきたのかもしれない。水波がそう思わなかったと言えば、嘘になる。

 単に身体が怠いだけなら、然して気にならなかったに違いない。だが明らかに普通ではない、五感の異常。それが魔法演算領域の過負荷により生じているものだと水波には分かっている。調整体に訪れる突然死が、魔法の使い過ぎと密接に結びついている事も。

 達也と深雪を守る為に力を振り絞った。その事に後悔は無い。あの時の水波にはポーズではなく命を懸ける覚悟があったし、今もそれを後悔していない。だがやはり、死を意識するのは怖かった。だからなるべく、考えないようにしていた。平気なふりをして、自分を誤魔化していた。

 しかし今、深刻な表情をした光宣と向かい合って、目を背けていた不安が水波にのしかかる。

 

「水波さん、その、手を触ってもいいかな……?」

 

「……はい、どうぞ?」

 

 

 水波が外骨格のアシストを受けて右手を光宣に差し出す。自分から言い出した事にも拘わらず、光宣の白い頬は薄く紅潮していた。

 光宣が水波の右手に、下からそっと自分の右手を重ね、更に光宣は水波の右手の甲に左手を重ねる。水波の右手を左右の手で挟み込む形だ。これにはさすがに、水波も赤面してしまう。

 光宣が左手をゆっくりと、微かに動かす。頬を赤く染めたまま、真剣な表情で。熱がこもった光宣の瞳を、水波は吸い寄せられるように見詰める。

 光宣が時折眉を顰めているのは、医者にも水波本人にも分からなかった何かを感じ取っているのだろうか。一分近くそうしていた後、光宣は水波の手を放して大きく息を吸い込み、吐き出した。呼吸を忘れる程に集中していたのだろう。

 

「……水波さん。残酷と思うかもしれないけど、水波さんの怪我は治っていない。魔法演算領域は傷ついたままだ。一時的に体調が回復しても、何時また倒れるか分からない」

 

「……そうですか」

 

「信じられないのも無理はない」

 

 

 水波は光宣の言葉が信じられなかったのではない。既に達也からも「激しい戦闘には耐えられない」と言われているので、自分が完全に回復する事は無いのだろうと覚悟はしていた。だが光宣は、水波が信じられないのだと勘違いしたのだった。

 

「でも、信じて欲しい」

 

 

 水波は声に出さずに「えっ?」と心の中で漏らしていた。何を信じろと言うのか……光宣のセリフは、水波にとって思いがけないものだった。だが彼女の疑問は、すぐに解消された。

 

「僕が必ず、治療法を見つけ出す。だから、諦めないで欲しい」

 

 

 水波の脳裏に浮かんだのは「何故?」という疑問だった。水波は今朝、同じ質問を達也にぶつけたが、光宣に同じ問いを向けるのは、何故だか躊躇われた。

 

「……はい。よろしくお願いいたします、光宣さま」

 

 

 水波の口から出た答えは、光宣にとっても彼女自身にとっても、予想外のものだった。

 

「そ、それじゃあ僕はこれで……無理はしないでくださいね、水波さん」

 

「はい。わざわざありがとうございました、光宣さま」

 

 

 気恥ずかしくなったのか、そそくさと病室から去っていく光宣を、水波はただただ見送ったのだった。




光宣が必死なのに、何処か冷めてる水波

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。