劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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まだ穏やかな感じで


二度目のお見舞い

 深雪がそろそろ帰ろうかと思い始めたころ、水波の病室へ新たな来訪者が現れた。

 

「はい、何方ですか?」

 

 

 ノックの音に深雪が応え、恐縮する水波を手で制してスツールから立ち上がり、ドアに向かう。

 

「九島光宣です」

 

「光宣君?」

 

 

 深雪が途中で立ち止まり、水波へ振り返る。水波が頷いたのを見て、深雪はそのまま扉に手を伸ばした。

 

「はい、今、開けますね」

 

 

 深雪が病室の扉を開く。深雪と光宣が、手の届く距離で向かい合う。この光景を見ていた者が無かったのは、不幸なのか、幸運なのか。

 

「光宣君、いらっしゃい。水波ちゃんのお見舞いに来てくれたの?」

 

「はい。あの、入っても良いですか?」

 

「どうぞ」

 

 

 深雪は光宣を先導するのではなく、彼の為に道を空けた。光宣は淡いピンクのバラや同じ色のガーベラ、オレンジのカーネーションをまとめたアレンジメントを持っていた。これは直接手渡したいだろうと、深雪が気を利かせたのである。案の定、アレンジメントを渡した光宣は頬に薄く朱を掃いて水波から微妙に目を逸らしていた。受け取った水波は、恐縮しきった表情でアレンジメントを見詰めている。

 

「光宣君、ありがとう。水波ちゃん、何処に飾ろうか?」

 

「では、そちらに」

 

 

 深雪は笑顔で水波の手からアレンジメントを受け取り、彼女が指定したサイドチェストの上に置いた。

 

「あ、あの、達也さんはどちらに……?」

 

 

 気恥ずかしくなったのか、光宣が唐突に話題を変える。

 

「あら。光宣君、達也様にもご用事があったの? お医者様のところに向かわれたらしいから、今もそこにいらっしゃると思うけど、急ぎ?」

 

「いえ、急ぎというわけでは無いんですが、ちょっと相談したい事があって」

 

「俺に相談が?」

 

 

 光宣のセリフに応えたのは、開いたままだったドアの外から聞いていた達也だった。

 

「達也様! お医者様とのお話は終わられたのですか?」

 

「ああ。聞きたい事は一応聞けた」

 

 

 深雪の問いかけに答えながら病室に入り、達也は扉を閉めた。なお深雪がドアを閉めなかったのは閉め忘れではなくわざとだ。たとえ女二人とはいえ男性がいる部屋を締め切るのは良くないと思ったからだ。もちろん、その男性が達也だったならば、深雪は迷わずにドアを閉めただろうが。

 

「それで光宣――」

 

 

 そういって光宣と目を合わせた達也は、言葉を切って眉を顰めた。意識しての行動では無かったが、達也は難しい顔のままで中断したセリフを続けた。

 

「――俺に相談というのは?」

 

 

 水を向けられた光宣だが、すぐには口を開かなかった。否、開けなかった。

 

「……水波さんの身体の事です」

 

 

 やがて苦し気に、そんなセリフを絞り出す。

 

「分かった。場所を変えよう」

 

「お待ちください!」

 

 

 光宣のただならぬ様子に気を回した達也だが、他ならぬ水波本人がその判断に異を唱えた。

 

「達也さま、光宣さま。私の身体の事であるならば、私にもお話を伺わせてください」

 

「でも……」

 

 

 水波の訴えに、光宣が難色を示す。

 

「お願いします! 私は、本当の事が知りたいのです」

 

「……分かったよ、水波さん」

 

 

 だが結局、水波の望みに頷いた。

 

「私は席を外した方が良いでしょうか?」

 

「「いえ」」

 

 

 深雪がお伺いを立てた相手は達也だが、光宣と水波から異口同音に答えが飛んだ。光宣と水波が、目配せで続きを譲り合い、光宣がその後を続けた。

 

「……深雪さんにも聞いてもらった方が良いと思います」

 

 

 その問答の間に、達也が部屋の隅から光宣と自分用のスツールを運ぶ。

 

「まずは座ろう」

 

 

 光宣は恐縮した表情で、達也が持ってきたスツールに腰を下ろした。深雪が光宣の来訪まで座っていた枕元のスツールに戻り、達也はその隣に腰掛ける一方、光宣はベッドの足側だ。達也、深雪、水波と向かい合う格好になった光宣は、まだ躊躇いを捨てきれない表情で口を開いた。

 

「……医者が何と言っているかは知りませんが、水波さんの『怪我』が完治する事はありません」

 

 

 表情がオブラートに包まれていないのは、光宣に余裕がないからか。彼の言葉に、最もショックを受けているように見えたのは、深雪だった。彼女は両手で口を押え、目を見開いて硬直している。水波は、少なくとも表面的にはショックを受けているようなそぶりは見せず、光宣の言葉を受け止めていた。

 そして達也は、ただ冷静な瞳で光宣を見返していた。

 

「――達也さんにも、分かっていたんですね」

 

「いや。分かってはいなかったし、完治が不可能という意見にも同意しない。どうやら光宣が考える『完治』と俺が考える『完治』は意味が違うようだからな。光宣が言いたいのは、水波の魔法演算領域が完全に元通りになる事は無い、という事じゃないか?」

 

「達也さんは症状が悪化しなければ完治という考え方なんですね」

 

「それも違う。だが細かい定義を争っても仕方がない。光宣が本当に探り上げたい問題は何なんだ?」

 

「……調整体の肉体は、生物としての安定性を欠いています」

 

「突然死の問題か」

 

「ええ、そうです。医学的には何の異常も無いはずなのに、不意の風に蝋燭の火が吹き消されるように、ある日突然、死が訪れる」

 

 

 達也の視線の先で、光宣の瞳が暗い色に染まる。

 

「――僕も、水波さんも、背負ってる宿命です」

 

「どうして……」

 

 

 どうして水波が調整体だと知っているのか、そう呟き掛けたのは深雪だった。




光宣なら知ってても不思議ではないだろ

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