USNAでスターズの叛乱騒動が起こっている頃、新ソ連ではベゾブラゾフ専用の大型CAD『アルガン』の修理が急ピッチで進んでいた。
「進捗はどうですか?」
「博士!」
ベゾブラゾフに声をかけられた作業責任者がビックリした顔で振り返る。その男が驚いたのは、ベゾブラゾフには学者貴族的な面があって、油臭い修理現場に顔を出すような事は滅多に無かった為だ。
「修理は今日中に完了します。博士におかれましては、明日、テストをお願いしたいのですが」
また、作業責任者が必要以上に緊張して鯱張った話し方をしているのは、ベゾブラゾフが政府高官、軍の将軍並みの重要人物で、それに見合う権力者だからだ。
「良いですよ。何時頃来ればいいですか?」
ベゾブラゾフが一般人に対して、その権力を振りかざした事は無い。特に役職を持たない技術者に対しても、横柄な態度を取った事は無い。だがそれは彼が人格者だからではなく、下々に関心がないからだ。
「早朝より可能です!」
「そうですか。では……九時半に」
「承知しました!」
責任者だけでなく修理に携わっていた技術者全員に見送られて、ベゾブラゾフは修理工場を後にした。彼が珍しく工場に足を運んだのは、第一に『アルガン』を使った作戦が急がれているからだが、彼が達也に対して強い屈辱を覚えているからでもあった。
成功に絶対の自信を持っていた『トゥマーン・ボンバ』による奇襲攻撃。しかし『トゥマーン・ボンバ』専用の生体増幅器である『イグローク』まで使用したにも拘わらず、司波達也暗殺に失敗した。そればかりか、使用した二体の『イグローク』を消し去られ、『アルガン』も使用不能にされた。『イグローク』を使っていなかったら、ベゾブラゾフ自身が返り討ちに遭っていただろう。
ベゾブラゾフはそれまで、戦略級魔法師としての任務に失敗した事が無かった。ベーリング海峡を挟んで行われたUSNAとの小規模ながら激烈な戦闘では、先代のスターズ総隊長ウィリアム・シリウスを『トゥマーン・ボンバ』で葬っている。
その自分が、任務に失敗した。率直に言えば、敗北を喫した。ベゾブラゾフはこの屈辱を晴らす為、一日も早い作戦再開を望んでいたのである。
六月十二日、木曜日。東京は朝から雨が降っていた。国立魔法大学付属第一高校がある八王子周辺も、しとしとと降り続く雨に町中が濡れていた。鬱陶しいのは梅雨時だから仕方がない。他の生徒は暢気にそう思っていたが、達也は朝から警戒心をマックスにして過ごしていた。隣の席の美月に不審がられても、適当に口を濁すだけで、緊張を隠そうともしない。
季節は梅雨だが、今年の東京は例年に比べて雨が多くないようで、月の前半こそよく雨が降っていたが、後半に入って朝から雨が降り続けているのは今日が久しぶりだ。断続的にであれば雨は降ってるから、空梅雨という程でもないが、梅雨にしては雨の日が少なかった。
達也はそれが気に入らないというわけではなく、むしろ自分がいるところに雨が降らないのは彼にとって歓迎すべき事だった。元々雨が好きな質では無かったが、今年は特に歓迎出来なかった。そんな気分になったのは、伊豆から東京へ戻ってきて以来だ。
伊豆で戦略級魔法に狙われた日も、雨だった。一日中弱い雨が降り続く風のない天気は『トゥマーン・ボンバ』にとって最高の気象条件なのである。そして今日はほぼ無風、ベゾブラゾフが仕掛けてくるなら今日だろうと、達也は推測していた。達也はそれを、確信していた。十一日前に達也が葬ったのは、ベゾブラゾフ本人では無かったが、無関係でもなかったと達也は考えている。トゥマーン・ボンバの使い手がベゾブラゾフ一人とは限らない。新ソ連はベゾブラゾフのスペアを生産しているかもしれない。
その根拠は、伊豆高原からの狙撃分解した二人の魔法師の肉体情報だ。あの二人の素材は、全く同じものだった。同一の遺伝子でまったく同じように作られた人体。一卵性双生児という可能性もあるが、達也は「クローン」だろうと推測している。あの二人の情報構造には、調整体以上に不自然な歪みがあった。
あの時自分に『トゥマーン・ボンバ』を撃ったのはベゾブラゾフの指図に基づくものであり、あの二人の女性魔法師はベゾブラゾフの道具に過ぎない。それが達也の推理だった。レイモンド・クラークは達也が『マテリアル・バースト』の術者であることを知っていた。きっとこの情報も新ソ連に伝わっているだろう。
新ソ連は達也の戦略級魔法の無力化=戦略級魔法『マテリアル・バースト』の術者である達也の抹殺を決断している。伊豆の別荘に対する攻撃はその結果だ。達也はそう結論付けていた。
この事は今朝、深雪にも伝えてある。再び一高のシステムに接続したピクシーにも、最大限警戒するように命じてある。
このように待ち構えていた達也が攻撃の兆候を感知したのは、午前最後の授業終了の三分前。三年E組は端末を使った座学の最中だった。
憐れすぎる結果が見えてるのになぁ……