第一高校の通学路にある喫茶店『アイネ・ブリーゼ』の扉を達也がくぐった時には、既に深雪と友人たちが顔を揃えていた。
「あっ、達也くん、いらっしゃーい」
「達也さん、お待ちしてました!」
エリカとほのかが、ほぼ同時に声をかけて達也を歓迎する。達也は軽く手を上げてそれに応え、空いている深雪とほのかに挟まれた席に腰を下ろした。店内に、他の客の姿は無い。達也が尋ねる前に、深雪が「今日は貸し切りにしてもらいました」と説明した。
「達也くん、これはサービス」
マスターが小型のガラスポットをカウンターに置いた。中にはしっかりと淹れられた水出しコーヒー。ほのかと雫が素早く立ち上がって、ポットをほのかが、カップを雫がトレーに載せて、テーブルに運ぶ。達也が二人にお礼を言っている間に、マスターは「帰りに声をかけてね」と言って店の奥に引っ込んだ。
達也が入って来た時から、店の中には盗聴防止の魔法が掛かっていた。幹比古の音声結界だ。それを大袈裟に感じている者はいない。こうして達也が自分たちをわざわざ集めたからには、よほど重要な内容なのだろうと、全員が察していた。
「せっかくマスターに気を遣ってもらったんだ。早速本題に入ろう」
ほのかがカップに注いだコーヒーを前にして、達也が話を切り出す。友人たちの目と耳は、既に達也へ向いていた。
「九島光宣がパラサイトになった」
「……『九島光宣』って、論文コンペで二高の代表だった九島光宣くんですか?」
「そうだ」
光宣と面識があるメンバーと、既にある程度の事情を聞かされていた人間は声を出さなかったが、そのどちらでもない美月が遠慮がちに問い掛け、達也はためらわずに頷いた。
「……達也くん、詳しい事情をもう一度話してくれる?」
エリカが鋭い眼差しを達也に向ける。何故美月まで巻き込んだのかという目だと達也は気づいたが、それに対応するつもりは無かった。
「俺も全てを知っているわけではない。分かっているのは、光宣が自分の意思で人間を捨てたという事と、光宣が何を目的としてパラサイトになったのかという事だ」
「その『分かっている事』は教えてもらえるんだろ?」
レオはいち早く落ち着きを取り戻していたが、その双眸に宿る光の強さは、エリカに劣るものでは無かった。隠し事は許さない。彼の目は、そう語っていた。
もっともレオに睨まれたからといって、達也がこの場で話す内容に変化はない。多かれ少なかれ事情を話しているとはいえ、彼は最初から光宣がパラサイト化した背景について、教えられる範囲内で説明しておくつもりだったからだ。
「光宣の目的は、水波が入院した理由に関係している」
「……ただの怪我じゃねぇのか?」
「何を言って……あぁ、あんたはお見舞いに行ってないんだっけ?」
「あぁ。さすがに女子が入院してる部屋にはいけねぇよ」
意外と紳士的な回答に、エリカが茶化そうと何かを考えたが、結局何も言わなかった。
「水波が入院している理由は、魔法演算領域に大きなダメージを受けたからだ。完全な回復は望めない」
達也が打ち明けた事実に、質問したレオだけでなく、深雪を除く全員が絶句した。水波の入院理由を知っていたエリカたちも、完全な回復が望めないとまでは知らなかったのだろう。
「今すぐ命に関わる事は無い。だが高威力の魔法が引き金になって、症状が決定的に悪化する可能性がある」
「何故そんなことに!」
言葉を失っていたレオが吼える。水波はレオが部長を務める山岳部の部員。この中では達也と深雪に次いで、身内意識を持っているのだ。
「それを説明するつもりは無い。今、話しておかなければならない事は別にある」
「……良いぜ。だったら、そっちを聞かせてくれ」
歯を食いしばったレオの顔は、達也の言葉に納得しているようには到底見えなかったが、彼はこの場面でも強い自制心を発揮した。
「光宣は水波を治療する方法を試す為に、自らパラサイトとなった」
「ちょっと待って、達也」
達也の言葉を受けて質問をしようとした幹比古だったが、彼はなかなか次のセリフを発する事が出来なかった。
「……つまり光宣君は、桜井さんを治療するために、パラサイトを取りつかせようとしているのかい? 自分を実験台に使って?」
「本人はそう言っている」
「馬鹿な……正気の沙汰じゃない」
「光宣は本気だ」
放心状態に陥った幹比古に、達也は容赦なく事実を告げた。
「要するに、光宣が水波を攫いに来るということ?」
「光宣は桜井を、攫いに来たんだな? それで、達也に撃退された。そういうこったろ?」
達也が言おうとしたセリフをエリカが横取りし、レオが更に踏み込んだ問いかけを達也にぶつけた。
「そうだ。一度目は撃退出来た」
「達也、君が……負けるかもしれないと?」
「やられはしない。だが、容易な相手でもない」
幹比古の問いかけに、達也は「負けない」と断言しなかった。
「それは、達也くん自身がやられちゃう事は無いけど、水波を守り切れないかもしれないって思っているという事だよね?」
「そうだ」
エリカのセリフに達也が頷いたのを見て、幹比古はとりあえず安堵した。彼は達也が負けるかもしれないという事に不安を覚えていたのだ。無意識に胸を撫で下ろした自分に気が付き、幹比古は誰に聞かせるでもなく一つ咳ばらいをしたのだった。
信頼度は相変わらず