劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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彼の性格上仕方ないですが……


緊張する幹比古

 達也と遅くまで練習して、その後に美月と話した事である程度の落ち着きを取り戻していたが、幹比古は決勝リーグ当日の朝、胃の痛みに襲われていた。

 元々緊張に強いタイプではないのに加えて、十師族の跡取りと真正面から戦わなければいけないというプレッシャーが幹比古を押し潰していたのだ。

 

「はぁ……柴田さんや達也から期待されてるのは嬉しいけど、本当に僕が一条選手に勝てるんだろうか……」

 

 

 加えて一度どん底に落ちたからこそのネガティブ思考が相まって、幹比古は既に勝てるという気持ちを失い掛けている。

 

「あら、おはよう吉田君」

 

「あっ、小野先生……おはようございます」

 

 

 遥に声をかけられ、幹比古は慌てて丸めていた背筋を伸ばしてきちんと一礼した。カウンセラーとはいえ目上の相手を前にしてだらしない恰好をし続ける程、彼は育ちが悪いわけではない。むしろ古式魔法の名門として、そういった礼儀は叩き込まれている。

 

「緊張で今にも吐きそうって感じの顔をしてるわね」

 

「そ、そこまで酷いつもりは無いのですが……」

 

「誤魔化そうとしても無駄よ。時間もある事だし、少しお話ししましょうか」

 

 

 遥の本業が公安の調査員だという事を知らない幹比古は、随分と職務熱心な人だと感心した。美月が暫くお世話になっていたという事は知っていたが、彼自身がお世話になった事は無いので、そんな事を思ったのだ。

 

「達也くんの記録を止める事になるかもしれないって緊張してるのかしら? それとも、勝てっこないって思ってるのかしら?」

 

「……両方あると思いますが、よりプレッシャーに感じているのは前者ですかね……ここまで来たら達也には無敗で高校生活を終えてもらいたいって思ってますし……」

 

「彼本人が負けるわけじゃないんだから、そこまで気にする必要は無いんじゃない? 達也くんも、担当した選手が事実上無敗なんて記録、気にしてるわけじゃないでしょうし」

 

 

 その事は幹比古も達也から聞かされている。彼は選手自身が頑張った結果が自分の記録に繋がっているだけで、何時途切れてもおかしくはないと考えている。だが彼の周りの人間は、達也の記録が彼の調整のお陰で何時も以上の力を出したお陰だと思っている。実際達也が調整したCADを使った選手に感想を聞いても、実力以上の力を出せた気がすると答えるので、あながち間違えではないのだが。

 

「僕一人が負けるならここまでプレッシャーを感じる事は無かったでしょうけども、やっぱり達也の記録は意識しちゃいますよ……まして相手があの一条選手ですから。彼のバックには吉祥寺真紅郎がいます。達也の事を必要以上にライバル視している彼が担当している一条選手に僕が負けたら、総じて達也も負けたことになってしまうかと」

 

「こんな言い方したら吉田君に失礼かもしれないけど、吉田君と一条君とじゃ地力が違うわよ。ましてやアイス・ピラーズ・ブレイクは一条家の得意魔法である『爆裂』が使えるわ。幾ら防御を固めたからといって、あの魔法は防げない。そんな彼を担当して勝ったからといって、吉祥寺君が達也くんに勝ったとは言えないんじゃないかしらね? もしそんな風に思うんだったら、吉祥寺真紅郎という人間はその程度だって思えば良いのよ。実力じゃ一生達也くんに勝てない小者だって」

 

「さすがにそこまでは思えませんよ」

 

 

 彼の性格上、相手を徹底的に悪だと言い切る事が出来ない。その相手が犯罪者で明らかに悪者であるのなら話は別だが、今回はたかが高校生のお遊びの大会だ。その程度の事で相手の事を貶せるなら、そもそもこのような事で頭を悩ませたりはしないだろう。

 だが遥の言葉である程度吹っ切れたのか、幹比古の表情は先程と比べればだいぶ良くなっている。それでもまだ青白い顔をしているのは、将輝に対する不安が残っているからである。

 

「一高としては吉田君が勝ってくれた方が嬉しいでしょうけども、君自身は勝てると言い切れないんでしょ? だったらそのままでいいじゃない。負けたとしても誰も文句なんて言わないでしょうから」

 

「そう…ですね……ありがとうございます。少しは気楽に戦えそうです」

 

「これがお仕事ですからね。まぁ、多少なりとも心の負担を軽くできたのなら、私としても良かったわ」

 

「もう少し肩の力を抜いて準備します。それでは、僕はこれで」

 

 

 幹比古は遥に対して丁寧に一礼してからその場を去って行く。遥は幹比古を見送ってから、誰もいないはずの壁に話しかけた。

 

「これで良かったの? あんまり効果があったとは思えないんだけど」

 

「今の幹比古に絶対に勝てるなんて思いこませることは出来ません。元の性格なのか事故の原因かは分かりませんが、悪い方に考えが向く傾向がありますからね」

 

「というか、達也くんがすればよかったんじゃないの?」

 

「俺はカウンセラーではありませんし、小野先生は試合前に不安を抱えている選手のケアの為にここにいらしたのですよね?」

 

「ぐっ……ここぞとばかりに人の事をカウンセラー扱いするんだから……」

 

 

 普段は諜報員としていい様に使われていると思っている遥としては、達也にカウンセラーとして扱われると複雑な思いがするのだ。だが達也はそんな事に構うはずもなく、幹比古の負担を軽くするために遥を差し向けたのだった。




普段は諜報員って認識なのに……

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