観戦していても面白くなかったので会場を抜け出し外の空気を吸いに来たエリカだったが、屋上には先客がいた。全くの他人だったらエリカも遠慮してこの場を辞したかもしれないが、先客は彼女が良く知る友人の一人だったので、無遠慮にその隣に立って声をかけた。
「深雪も逃げ出してきたのかしら?」
「そんなんじゃないわよ。ただちょっと泉美ちゃんが暴走して香澄ちゃんがそれを抑え込んでる間に私も頭を冷やそうと思っただけ」
「逃げ出してきたんじゃない」
深雪の言い訳にエリカが率直な感想をぶつけると、二人は同時に噴き出した。深雪自身も自分があの場から逃げ出してきたという自覚があるので、エリカにツッコまれて漸く認められたという感じだ。
「そっちは? 雫たちと観戦してたんじゃないのかしら?」
「しょっぱい試合ばっかだったからちょっとね。あの程度が普通だって言われても、物足りないって思っちゃうのは仕方ないじゃないって」
「まぁエリカの中では私たちや泉美ちゃんたちが出場してた新人戦が基準になってるんだろうしね」
「そもそもあたしに関係ないって思ってた大会だし、どのくらいが普通なのかなんて分からないわよ」
達也たちが参加するから一昨年の九校戦も観戦したのであって、知り合いが出場しなかったらエリカは実家のコネを使ってまで九校戦を観戦しなかっただろう。それが知り合いが出場するからなのか、達也が出場するからなのかは深雪はあえて追及しない事にした。
「こんなことならホテルで寝てるんだったわ」
「エリカがこんな時間まで寝てるなんてあるのかしら?」
「別に本当に寝てるわけじゃないわよ。ベッドの上でゴロゴロしてた方が良かったって思ったの」
「まぁ、確かにそっちの方が気楽だったかもしれないわね。私は選手だからそんな事出来ないけど、エリカは大会中は一人のお客様だものね」
「あの女も似たような事を感じてると思うと、なんだか癪だけどさ」
「あの女って、渡辺先輩?」
「そっ」
そっけない態度で告げるエリカに、深雪は呆れたのを隠そうともしない視線をエリカに向ける。大好きな兄を盗られた妹の気持ちが分からないわけではないので堂々と非難したりはしないが、それでも少しは歩み寄ってもいいのではないかと思うくらいは深雪にもあるのだ。
「エリカ、いい加減渡辺先輩の事を認めてあげたら? もう婚約も済ませてるんだから、エリカがとやかく言っても状況は変わらないわよ?」
「別にそんなんじゃないわよ。そもそも次兄上があの女と婚約したのは次兄上の意思でもあるわけだから、あたしが文句を言えた義理じゃないってことぐらいあたしだって分かってるわよ。でも何となく面白くないって思う気持ち、深雪なら分かるでしょ?」
「まぁ、分からなくはないけど」
深雪も出来る事なら達也を独り占めしたいと思った事は一度や二度ではない。むしろ達也が新居へ泊っている日はほぼ毎日そう思っている。だからエリカの気持ちが痛い程理解出来るのだが、そんな事は面に出さずにエリカと会話しているのだ。
「魔法無しならあの女の事をいたぶる事が出来るけど、そうなるともう稽古じゃなくてただの虐めだし」
「何となくだけど、その光景が容易に想像出来るわ」
「どういう意味よ!」
「エリカならやりそうって意味よ?」
深雪の冗談に、エリカは身体から力が抜けていく感覚に襲われた。自分に余計な力が入っている事はエリカも感じていたが、まさか全身に力を込めていたとは思っていなかったのか、彼女の表情には驚きが含まれていた。
「それにしても、一人になりに来たっていうのに、深雪といると余計なことまで喋っちゃうわね」
「状況的には似てるからね、私たちは」
「別にあたしは次兄上の事を『盗られた』だなんて思ってないわよ。そもそもあたしはあの家の事なんて知ったこっちゃないわけだし」
「私だって『司波家』がどうなろうが知らないわよ。あの男が私の生物学上父親であることは否定出来ないけど、父親らしい事をしてくれた覚えなんてないし」
「あっ、その気持ちもちょっと分かる。あたしもあのクソオヤジがどうなろうが気にしないし」
「エリカみたいにはっきりと言えるのが羨ましいわ。私は思ってても口に出せないし」
エリカのように口汚く父親を罵る事をしてみたいと思った深雪だが、彼女の過ごしてきた環境がそれを許さない。達也は別に気にしないだろうが、深雪自身がはしたないと思われるんじゃないかと遠慮してしまうのだ。
「深雪のお父さんってFLTの重役でしょ?」
「あんなもの、達也様の実績を食い物にしたのと、四葉の後ろ盾で今の地位にあるだけよ。大した実力も実績も無いのに図々しい」
「深雪も十分悪辣だって」
「そうかしら? エリカの前だから気が緩んでるのかもしれないわね」
「深雪にとってあたしがどんな存在なのか、何となく分かった気がするわよ」
「別に悪い意味じゃないわよ? エリカの前なら気を使う必要が無いって感じてるのは確かだけど」
「あたしが深雪の愚痴相手になるとは思ってなかったわよ」
「良いじゃない。私たちは似た境遇なんだから」
「何か納得出来ないけど……」
確かに似たような状況ではあるが、イマイチ素直に受け入れられないエリカではあったが、否定するほどでもなかったので深雪の言葉にとりあえず同意しておいたのだった。
素直に受け入れたら負けなような気もする……