小高い丘の上にある寺、九重寺にやって来た達也と深雪は、門をくぐろうとはせず、その前で立ち止まった。
「少し此処で待っていてくれ。今日のメニューは乱取りのようだ」
「はい、頑張ってくださいね」
目の前に立っているのは坊主なのだが、坊主と言うよりは修行僧と言った方が的確な雰囲気を持っているのだ。
達也が1歩踏み入れたと同時に襲い掛かってくる修行僧相手に、達也は驚く事も無く捌いて行く。
門の傍に控えながら、兄の勇姿をうっとりとした表情で見ていた深雪の背後に、何者かの気配が生まれた。
「やあ深雪君、久しぶりだね」
「先生! あれほど気配を消して背後に現れるのは止めてくださいと申していますのに!」
いきなり声をかけられて、さすがの深雪も少し慌てる。先生と呼ばれた相手はイタズラの成功した子供のような笑顔で、綺麗に剃りあがった頭を撫でながら深雪の叱責を受け流す。
「そんな事を言われても、僕は忍びだからね。気配を消すのは職業病みたいなものさ」
そう言って九重八雲は笑った。
「今の時代に忍者なんて職業はありません。そんな職業病は早急に治す事をお勧めします」
深雪は結構真面目に注意しているのだが、この坊主には何を言っても柳に風なのだ。
「忍者なんて俗物と一緒にしないでよ。僕は由緒正しい忍びなんだから」
「由緒正しいのは存じております。だからこそ不思議なのですが、如何して先生は……」
そんなに軽薄なのかと続けたかったのだが、もう既に何度も言ってる事なので、無駄に終わる事も分かっていたので途中で言葉を切った。
目の前に居る僧侶もどき――身分上はれっきとした坊主なのだが――の名前は九重八雲と言い、自称の通り忍びだった。より一般的な呼称は忍術使い。本人が区別をつけていたように、身体技術が高い前近代の諜報員とは一線を画す、古式魔法を伝えるうちの1人だ。
深雪が先生と呼ぶのも、達也が師匠と呼ぶのもこの事が少なからず影響しての事なのだが、やはり何処か胡散臭いのだ。
「それが第一高校の制服かい?」
「はい、昨日が入学式でした」
「そうか……う~ん、いいね」
「……今日は入学のご報告にと……」
「真新しい制服が初々しくて、清楚の中にも隠しきれない色香があって」
八雲が興奮気味なのに対し、深雪は若干引き気味になっている。坊主のくせに興奮してるのかと深雪が思ってたかは定かでは無いが。
「まるで咲き綻ばんとする花の蕾。萌え出ずる新緑の芽。そう……これは萌えだ! 萌なんだよ深雪君!」
僧籍にあるくせに、随分と俗っぽい事を知っている八雲に、さっき自分を忍者と一緒にするなと言っていた時に俗物だと言っていた事を覚えていた深雪は、
『先生も十分俗物なのでは?』
と言いたかった。だが深雪が何かを言う前に、八雲に襲い掛かる影があった。
「ムッ!」
「師匠、深雪が脅えてますのでそれくらいで」
「やるね達也君、僕の背後を取ると……は!」
「クッ!」
達也の手刀を受け止め、左手で達也の右手を巻き込みながら右の突きを放つ。右手を八の字に振ることで極め技を逃れ、拳を包み込むようにうけてそのまま脇に挟み込む。
「凄い、師匠と互角か!」
「さすが達也殿だ」
「我々では相手にならないはずだ」
先ほどまで達也にやられて寝転んでいた修行僧たちが立ち上がり、達也と八雲の組み手を見て感嘆の息を吐く。自分よりも若い達也にやられたのに、すがすがしい顔で居られるのは力の差を自覚しているからだろう。
「今日はこれくらいにしておこうか」
「そう…ですね……」
組み手を終え、まだまだ涼しい顔の八雲に対して、達也は地面に倒れこんだ。
「組み手だけじゃもう達也君に敵わないかもね」
「組み手で互角でも、此処まで差があるんですから、俺はまだまだです」
「そりゃ魔法を織り交ぜても互角だったら、僕はもう師匠と呼ばれる事は無くなっちゃうからね」
「お兄様、先生、よろしければどうぞ」
深雪から差し出されたタオルと水を受け取り、すぐに使用した八雲とは対象に、達也は受け取る事も出来なかった。
「お兄様、大丈夫ですか?」
「あ、あぁ……問題無い」
膝をついて心配そうに覗き込んできた深雪を安心させる為に、達也は勢いをつけて起き上がった。
「おや、まだ動けたんだね」
「これくらいは出来ますよ」
寝転がっていたのでもう限界だと思っていた達也が、軽やかに起き上がったのを見て、八雲がイタズラっぽい表情でそんな事を言った。
「それよりもすまないな、深雪。お前のスカートまで汚れてしまって」
「これくらい問題ありません」
兄の心配を必要無いものとし、深雪は懐から薄型の携帯端末を取り出した。一般的に普及しているブレスレット型のCADに比べれば、落下の危険性があるのだが、慣れれば片手でも使えると言うメリットがあるので、深雪は携帯型端末を利用している。
その端末に
「お兄様も、少し動かないでください」
自分の服を綺麗にした後、達也の服についた汗と汚れも綺麗にする。自分だけ綺麗で兄が汚れたままなのは、深雪的に許せない事なのだ。
達也がついでなのでは無く、深雪がついでであるのだが、本人以外は逆だと思っているのだ。
「そうだ! お兄様、そろそろ朝食にしましょう。よろしければ先生もご一緒に」
「そうだな」
「もちろん頂くよ。深雪君の料理は美味しいからね」
魔法を使った疲労感も無く、当たり前のようにバスケットを広げる深雪を見て、達也も八雲も少し苦笑い気味に笑った。
これが深雪にとって、何の苦労も無い事だとは分かっているので、その後の行動に苦い笑いを浮かべたのだ。
達也が中村悠一さんで八雲が置鮎龍太郎さん、母親の深夜が井上喜久子さんでまだちょっと出てないですが某生徒会役員が中原麻衣さん。これだけでピンと来た人は自分と話が合いそうですね。