劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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その例えは役に立たない


深雪の迷い

 水波がいない今、深雪は達也と二人きりで生活している。ここ最近は巳焼島へ向かう都合上こちらに帰ってくることが多くなってきているので、学校ではエリカやほのかから睨まれたり羨ましがられたりしている。元々水波は隣に部屋を構えているので、家の中に深雪を監視・牽制する目はない。

 婚約者の間では、達也が「高校を卒業するまで契りは交わさない」という言葉を守っているので、積極的に求める人はいないが、深雪が本気で望めば、達也は彼女を拒まないだろう。最期の一戦を踏み越える事にも、大して抵抗しないに違いない。文字通りの意味でベッドを共にする程度なら、達也は何時でも頷くと思われる。

 深雪はそれだけでも嬉しいはずだ。また彼女には、間違いを恐れる理由もない。だが今でも二人の寝室は別々だった。深雪は達也に、ベッドどころかベッドルームを一つにする事も求めていない。感情の暴走を恐れているという面は確かにあるが、それ以上に彼女の歯止めとなっているのは、間違いなく水波の現状にあった。

 水波は自分を守る為に死にかけた。深雪はそう思っている。またそれは、客観的な事実でもある。その後遺症で水波は今、入院しているのだ。自分が浮かれている場合ではない。幸福に浸るのが後ろめたい。この想いが、深雪の気持ちにブレーキをかけている。

 だから、と言うと多少語弊はあるが、深雪は自分の部屋で一人、眠りに就こうとしていた。ベッドに座り、音声コマンドで照明を消す。そこでふと、深雪は先程達也と交わした会話を思い出した。

 光宣は今まで以上に、厳しい状況へと追い込まれている。それでも彼は、水波の事を諦めないだろう。達也はそう言っていたし、深雪も同じ思いだ。光宣は本気で水波を愛しているのだろう。達也の意見は確認していないが、深雪はそう考えている。

 愛を自覚するのに、時間は必要ない。深雪は自身の経験から、それを知っている。だが何故そうなったのか、理由が理解出来ない。

 深雪は五年前の沖縄でこの上なくドラマティックな体験をして、自分の気持ちに気付いた。心を入れ替えた、の方が妥当かもしれない。だが光宣は? 水波と光宣の間には、特別な出来事は無かったはずだ。それとも水波を光宣の看病に残したあの日に、何かあったのだろうか? あの日、光宣は急に容態を悪化させて、水波は達也に電話で対処方法を尋ねた。普通に考えれば、水波に光宣の病状を改善する事も緩和する事も出来なかった。水波はただ、光宣の側についていただけだ。

 

「(だけど……光宣君にはそれが、特別な事だったのかもしれない)」

 

 

 他人には何でもない出来事でも、本人にとっては忘れられない思い出になる。深雪にも覚えがある事だ。他人には分からない、光宣にとっては忘れられない大切な思い出を、水波は自分でも知らない内に与えていたのかもしれない。それが何か、深雪には分からない。彼女にはまだ、推測の糸口も見えていない。

 ただ光宣を動かしている物が何であれ、彼の思い通りにさせるわけにはいかない。光宣の方法では、水波を人間以外の存在に変えてしまうのだ。桜井水波という個体の命は保てるかもしれないが、桜井水波という名の人間はいなくなってしまう。意識の継続性が何処まで保たれるのかも分からない。

 

「(でも……水波ちゃん本人はどう思っているのだろう?)」

 

 

 水波は自分と達也の側に仕える事を選んでくれたが、それは光宣の熱い想いを聞かされる前だ。彼女が迷っていても仕方がないと深雪は思っている。達也の方法では、今まで通りとはいかなくても魔法を使う事は出来るだろう。だが自分の『ガーディアン』として役に立てるのかと問われれば、それは微妙だ。もしかしたら水波が、光宣の治療方法を選んでガーディアンである事を選ぶかもしれない。

 

「(水波ちゃんの本音はどうなのかしら……)」

 

 

 魔法師にとって魔法とは、手足も同じだ。その手足を失くすのは確かに怖いが、心臓を失うのはもっと怖い。魔法を守る為に「人である事」を諦めるのは、片腕と心臓を引き換えにするようなものではないだろうか。普通ならそんな選択はしない。もしそのような決断に至るとすれば、プラスアルファとして、心臓に匹敵するほど貴重なものが手に入る場合だけだ。

 

「(水波ちゃんにとって、光宣君がそれだけの価値を持つ相手だとしたら……?)」

 

 

 水波は達也を選んだが、達也は「水波が本当に一緒にいたいと思える相手が現れたら、彼女を縛り続けるつもりは無い」とも言っている。もし光宣が水波が本当に一緒にいたいと思える相手だったとしたらどうだろう。深雪はそんな事を考えるが、彼女に水波の気持ちは分からない。

 

「(こういう時は、水波ちゃんの状況に自分を当てはめてみればいいわよね……もし水波ちゃんが私で、光宣君が達也様だったとしたら……私は人であることを捨てて、達也様の手を取る事を選ぶ。たぶんほのかや雫に聞いても同じことを言うでしょうね)」

 

 

 その答えを出すのに、深雪は迷わなかった。それは彼女たちにとって、当然の結論だからである。だが自分を水波に、達也を光宣に戻した場合、それが当然なのかどうか、深雪は再び思考の迷宮に落ちていくのだった。




そもそも迷わないだろうしなぁ……

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