劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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忘れてた……


クラークの悩み

 エドワード・クラークが提唱したディオーネー計画は多少のつまずき事あったが、足踏みすることなく進んでいる。現在は彼一人の手を離れ、USNA国家科学局の学者グループが木星の衛星から金星へ氷の塊を送り届けるシミュレーションを行っているところだ。このシミュレーション結果を基にして、必要な要素を盛り込んだ魔法式が作成される。

 国家科学局の研究スタッフは、金星の二酸化炭素を分解するより大量の氷塊を投入して気温を下げ、水を供給する事を優先する方針に傾いている。エドワード・クラークは、その方針に異を唱えていない――どうでもいい事だからだ。

 金星のテラフォーミングは、あくまでも表向きの目的に過ぎない。ディオーネー計画の真の狙いは、質量・エネルギー変換魔法などというバカげた大規模破壊手段を持つ日本の戦略級魔法師、司波達也を地球から追放する事にあった。この観点から見れば、ディオーネー計画は破綻しつつある。

 司波達也本人が企画した魔法核融合炉エネルギープラント計画は、予想に反して実現に向けて着々と前進している。司波達也はその中核人物として、ディオーネー計画への参加を辞退する口実を手に入れていた。

 プラントの構想自体は別に目新しいものではない。大規模なエネルギープラントを建設し、そこから得られる電力を利用して海水から水素を製造し、海水中に溶けている鉱物資源を抽出し、海水中から有害物質を除去する。在来技術では採算が取れなかったプランだが、重力制御魔法を使った核融合炉、『恒星炉』を用いればビジネスとして成り立つ。エドワード・クラークも、それを否定出来ない。

 人口増大による居住空間の不足に備えるというディオーネー計画の大義名分は、まだ説得力を失っていない。しかし、そこに司波達也を参加させなければならないとは強弁出来なくなっている。ディオーネー計画の推進に、恒星炉は必ずしも必要ではない。国家科学局のスタッフは、木星圏のミッションに必要な電力も太陽光発電で賄えると試算していた。

 一方、司波達也のプラント計画は恒星炉を前提に組み上げられている。恒星炉プラントは将来的に、より多くのエネルギーを人類にもたらす可能性がある。故にその試みを妨害すべきではない、という意見が上院議員の間にも広がってきている状況だ。ここで司波達也の引き抜きを強硬に主張すれば、世間にもクラークの真意を覚られてしまうかもしれない。

 このままでは、ディオーネー計画の真の目的は達成出来ない。だからといって下手な動きは取れない。マスコミにも資本家や政治家の言いなりにならず、真実を暴くジャーナリストが、一人や二人はいるかもしれないのだ。そういう本物のジャーナリストでなくても、勝手な憶測が多数積みあがって、その中から何の根拠もなく真実に至る確率も無視できない。

 手詰まり感が高まる中で、それでもエドワード・クラークは諦めていなかった。状況をひっくり返す糸口を求めて、彼はオリジナルの『フリズスキャルヴ』が集めてくる膨大なデータと格闘を続けていた。

 家にはもう十日以上帰っていない。息子のレイモンドと直接顔を合わせたのは半月以上前の事だ。その所為で――と言い切って良いのかどうかは不確かだが――クラークはレイモンドがパラサイト化した事も知らない。レイモンドが日本に渡る事も、クラークはメールで許可を与えたくらいだ。

 今日もクラークはデータの海でもがいていた。オリジナルの『フリズスキャルヴ』は世界にばら撒いた端末と違って、大型コンピューターに接続しデータを保存・整理出来る。クラークは戦略シミュレーションAIのアシストを利用しながら逆転の道筋を探していたが、妙案はなかなか見つからない。

 その電話が掛かってきたのは、蓄積した疲労が諦めを呼び込み始めた午前三時のことだった。

 

『クラーク博士、ご機嫌は如何ですか?』

 

 

 ヴィジホンのディスプレイに、ずっとコンタクトを取れなかったベゾブラゾフが登場した。

 

「ベゾブラゾフ博士、お久しぶりです。正直なところ、気分は芳しくありません」

 

『そうですか。しかしそれは、私の所為ではありませんよ』

 

 

 クラークは思わず罵声を放とうとして、辛うじて自制した。ベゾブラゾフに、クラークの反応を気にした様子はない。

 

『私が失敗したのは事実ですが、元はと言えば恒星炉プラント計画を政治工作で阻止出来なかった事が原因ですから』

 

「博士のお立場では、そうなるでしょうな」

 

 

 喧嘩別れは有害無益。自分にそう言い聞かせても、口調に棘が生えるのをクラークは抑えられなかった。

 

『ご理解いただけて幸いです。私の立場では、司波達也を放っておく事は出来ませんでした』

 

「事態は余計に悪化しましたけどね!」

 

 

 反省の欠片も無いベゾブラゾフの態度に、クラークがとうとう怒りを爆発させてしまう。

 

「司波達也を暗殺する。それは結構! 失敗したのも仕方がないでしょう。相手が一枚上手だっただけです。しかし博士が分かり易い状況証拠を残してくれたお陰で、ディオーネー計画の平和的性格を疑われる羽目になっています」

 

『平和的なプロジェクトを装う事に、意味があったのでしょうか?』

 

「何ですと……!」

 

 

 ベゾブラゾフの思わぬ指摘に、クラークは更なる怒りを覚え、思わずディスプレイを睨みつけていた。




くだらない悩みだ……

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