クラークが感情をむき出しにしたのに対して、ベゾブラゾフは彼の気色ばんだ表情を見ても、冷笑的な口調は変わらなかった。
『ディオーネー計画の目的は戦略級魔法師・司波達也の排除。その目的さえ達成出来れば、金星開発はどうでもいいはずですが』
ベゾブラゾフの本質を突く指摘に、クラークは反論出来なかった。
「……博士には何か妙案があるのですか?」
クラークの反問は、苦し紛れのものだ。
『妙案と言えるかどうかは分かりませんが、一つ、提案があります』
ベゾブラゾフの答えは、クラークにとって思いがけないものだった。具体的な答えが返ってくるとは、クラークは予想していなかった。
「……伺いましょう」
クラークのこのセリフは時間稼ぎを意図したものだが、手詰まり感に追い詰められている中で出口を求める深層心理が吐かせたものであった。
『ご存じの通り我が国は現在、大亜連合の侵攻を受けております。この局地戦は大亜連合が一方的に仕掛けてきたものですが、明日には我が国の勝利で決着する予定です』
「博士がトゥマーン・ボンバを使われるのですね」
『そうです』
戦略級魔法を投入しただけで勝敗が決するというのは戦争を単純化し過ぎているようにも思われるが、今回のケースに限ってはその単純な図式が現実になる可能性が高いとクラークも知っていた。大亜連合の軍事行動はベゾブラゾフの不在を前提に立案されたものだ。一個人の存在が開戦を左右するといえば大袈裟に聞こえるかもしれないが、戦術核クラスの大量破壊兵器が投入される可能性の有無を考慮して軍事行動を決定していると言い換えれば、奇異には思われないだろう。
大亜連合はトゥマーン・ボンバによる反撃が無いと計算して新ソ連領沿岸地域に進攻した。だから余計に、トゥマーン・ボンバによって大打撃を受ければ、精神的に継戦が難しくなるに違いない。新ソ連軍と大亜連合の戦力が拮抗している中で、大亜連合軍の戦闘意識欲低下は致命的だ。新ソ連の勝利、大亜連合の敗北は容易に予想できる。
『我が国はこの勝利に乗じて、日本海を南下する予定です』
「日本へ攻め入るのですか!?」
『大義名分は用意するのでご心配なく。それに、本州へ上陸する計画もありません。そもそも領土を求めての侵攻作戦ではありませんので』
「………」
『お分かりのようですね。そう、これは陽動です。司波達也の恒星炉プラントが何処に建設されているのかは、ご存じでしょう?』
「……東京南方八十キロ、『巳焼島』と呼ばれる火山島ですね」
『その通り。我が軍が南下する海域の、ちょうど逆サイドです』
「貴国の南下に会わせて、建設中のプラントを破壊しろと?」
『難しくはないでしょう? 施設が国籍不明のテロリストの標的になったと知れば、プラントに出資する資本家も考え直すのでは? 恒星炉プラント計画は中止せざるを得なくなり、司波達也はディオーネー計画参加を拒む口実を失います』
ベゾブラゾフの提案に、クラークは即答出来なかった。理性的に考えれば、即座に蹴るべき有害なプランだ。国家による破壊工作が明るみに出れば、USNAの国際的信用は地に堕ちる。そして、露見するリスクは小さくない。一人や二人の暗殺なら兎も角、建設中のプラントに対する破壊工作を完全に隠蔽する事は困難だ。
だが思うに任せぬ状況の中で閉塞感に苦しんでいたクラークには、ベゾブラゾフの申し出が魅力的な打開策に思われた。ベゾブラゾフが唆す作戦案は、クラークにとってはまさに甘美な悪魔の囁きだった。
「……貴国の艦隊が出動するのは何時になりますか」
『作戦が順調に進行すれば五日後、七月八日になります』
「五日後ですか……」
間に合う、とクラークは思った。短い準備時間は、彼の精神内で歯止めとならなかった。
「分かりました」
『引き受けていただけると思っていました』
ベゾブラゾフが満足げに笑う。クラークはその笑顔に、以前の――司波達也に敗れる前のベゾブラゾフからは感じられなかった寒気を覚えた。
『ではこちらも準備がありますので、今日のところはこれで失礼いたします。クラーク博士、くれぐれも失敗などせぬよう、万全を期してください』
「それは勿論です、ベゾブラゾフ博士。貴方ほどの実力者が、万全を期してもなお勝てなかった相手ですから、油断などするはずがありません」
クラークの返答に、ベゾブラゾフは顔を顰める。自分が必勝の布陣で挑み敗北したと知られていた事に対してなのか、それともクラークの皮肉が効きすぎたのかは分からないが、先ほどまで薄らと浮かべていた笑みを消し、憎悪に満ちた表情を浮かべている。
『……万が一でもあり得ないでしょうが、破壊工作に失敗した挙句、我々が裏でつながっているという証拠を掴まれることだけは避けていただきたい。司波達也を地球上から追いやるには、貴方が目論んだ通り、ディオーネー計画はあくまでも平和的なプロジェクトとして世間に思いこませねばならないのですから』
「分かっています。では五日後、良い報告が出来る事を祈っております」
クラークの白々しい反応に鼻を鳴らし、ベゾブラゾフは通信を切る。暗くなったディスプレイに映ったクラークの表情は、先ほどのベゾブラゾフのような寒気を覚えるような笑みを浮かべていた。
こいつら消される可能性考えてるのだろうか……