劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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そこに気づけるのは優秀だから


隠された目的

 夜八時過ぎ、東富士演習場の士官用宿舎の一室。防衛大特殊戦技研究科四年生、卒業前でありながら少尉の階級で従軍している千葉修次の部屋を、同科二年生で臨時に軍曹の地位を与えられた渡辺摩利が訪ねていた。

 

「シュウ、一服しないか?」

 

「そうだね。ありがとう、摩利」

 

 

 個室だが、シングルベッドと小さなロッカーと申し訳程度のライティングデスクでいっぱいになる、細長く小さな部屋だ。キッチンなどついているはずもなく、デスクに置かれたアイスコーヒーは自販機コーナーで調達してきたもの。恋人に自販機のドリンクを差し入れるのは摩利としては大層不本意だったが、出動中に贅沢は言えなかった。

 もっとも、男のみとしては自販機のドリンクでも可愛い恋人が持ってきてくれたというだけで一味違うのだろう。アイスコーヒーを一口飲んでデスクに戻した千葉修次の表情は、満足げなものだった。

 摩利は飲みかけのボトルを手に持ったまま、ベッドに腰掛けた。修次が毎晩使っているベッドに座るのは正直なところ気恥ずかしかったが、他に腰を下ろせるところが無いからやむを得ない。

 

「シュウ。随分苦戦してるようだけど……」

 

「僕は元々、デスクワークが得意じゃないから」

 

 

 心配そうに問いかける摩利に、修次は苦笑いで答える。

 

「摩利、手伝ってくれるのかい?」

 

「あたしがそう言うのを苦手にしてるのは、シュウも知っているじゃないか」

 

「ハハハッ、そうだったかな」

 

 

 そっぽを向く摩利のご機嫌を取るでもなく、修次は小さなキーボードに向かって作業を再開した。

 

「書く事が何も無いと、かえって時間がかかるね」

 

 

 背中に視線を感じたのか、修次はノート型のディスプレイに目を向けたまま背後の摩利に話しかける。彼が悪戦苦闘しているのは日報の作成だ。毎日書いているのであればコツもつかめるのだろうが、今回の出動は当番制。まだ出動から三日目、修次の番になったのは無論初めてだし、他人の書いたものを参考にしようとしても二日分しかない。

 それでも、戦闘や演習、陣地構築などの活動実績があれば、行は埋まる。だが修次の言うように、今日は完全な待機状態だった。元々捜索は各地の師団や公安の協力任せ、手掛かりを得られるまで待機というのが今回の方針だ。だがそれにしても、記録できる出来事が無さすぎた。

 

「やはり国防軍の情報リソースは、新ソ連の動向に占められているのだろうか?」

 

 

 摩利の問いかけに、修次は椅子を回して振り返る。

 

「まだ三日目とはいえ、情報が全く入ってこないのはそういう事だろうと僕も思う」

 

「こんなことを言ってはならないのかもしれないが、いったん仕切り直して東京に戻った方が良くないか? 九島光宣の最終目的は、桜井水波という少女なのだろう?」

 

 

 ここで修次は何故か、失笑を堪えているような表情を見せた。

 

「……何が可笑しい」

 

「いや、ごめん。桜井水波って子は摩利と三歳しか変わらないんだろう? それで『少女』っていうのがちょっとね……」

 

「他に適当な表現が無かったからだ!」

 

「ああ、そうだね。うん、確かに九島光宣の目的はその少女の拉致で合っているはずだ」

 

 

 摩利は釈然とせずムッと唇を引き結んだが、生憎彼女は拗ねる、泣く、我が儘を言うといった駆け引きが極めて苦手だ。

 

「僕も、摩利の考えが正しいと思う。だけど本来の目的とは別の理由で、小隊はここに留まらなければならないんじゃないかな」

 

 

 本来の目的――九島光宣の捕縛とは別の理由。摩利がすぐ真顔になったのは、苦手だからという理由ではなかった。真剣にならざるを得ない未来が示唆されたからだ。

 

「新ソ連の侵攻か……?」

 

「上陸部隊に対する奇襲要員だろうね」

 

 

 摩利の推測に、修次は言葉を換えて頷いた。

 

「しかし、そのような可能性が考えられるのならば、国防軍から何らかの情報があっても良いんじゃないのか?」

 

「上の方には入っているのかもしれないけど、それを僕たちにまで報せる必要は無いんじゃないかな? 下手に緊張されては、いざという時に役に立たなくなってしまうとでも思われているのかもしれないけど」

 

「それは有るかもしれないが、そのいざという時にいきなり言われても、覚悟を決められるかどうか分からないだろ?」

 

「覚悟を決めざるを得ない状況にしてしまえば、うだうだと文句を言われる心配もない、という事かもしれない。まぁ、そう言った事を考えるのは僕たちの仕事じゃないし、本気で気になるなら司波君か七草さんに聞いてみれば解決するだろうしね」

 

「何故そこで達也くんや真由美の名前が出てくるんだ?」

 

 

 いきなり出てきた名前に、摩利は本気で首を傾げた。だが修次は、摩利がその事を失念している事に苦笑いを浮かべた。

 

「件の少女――桜井水波は四葉家の関係者だ。次期当主である司波君なら情報を持っているだろうし、七草さんは十師族の人間で、十文字家当主とも懇意にしている。国防軍内の情報を持っていたとしても不思議じゃないだろ?」

 

「あぁ、そうだったな……」

 

 

 摩利にとって真由美は友人であり、達也は後輩である。その考えが先に出てしまった所為で、簡単な事を見落としていたと、摩利は自分の頭の柔軟性の無さを恥じ、修次から視線を逸らしたのだった。




しっかりしてそうで何処か抜けてる摩利……

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