深雪の持ってきた朝食を食べ終えた八雲が、2人を見ながらしみじみと言った。
「それにしても2人が高校生か、僕も歳を取るはずだね」
「師匠はまだ若いでしょうが」
「そんな事無いよ。達也君を相手にして疲れるようになってきたんだからさ」
「それは先生が衰えたのでは無く、お兄様が伸びたのではありませんか?」
深雪の言ってる事はある意味では正しいのだが、その言葉の中には、八雲が受け入れがたい表現が含まれていた。
「衰えって……」
「あら? 先生がご自分で言ったのではありませんか?」
「僕は疲れるようになったと言っただけで、衰えたとまでは言ってないよ」
「これは失礼しました」
八雲の形だけの抗議に、深雪も形だけの謝罪をする。普段礼儀正しい深雪のこんな姿に、八雲も達也も苦笑いを浮かべている。
「それにしても達也君、君の成長速度には驚かされるよ。半年前までは此処まで僕も苦戦しなかったと思うんだけど」
「そんな事無いですよ。俺はまだまだ半人前です」
珍しく八雲が褒めたのだが、褒められるのに慣れていない達也はこの言葉を否定した。だが兄が否定した言葉を、深雪は素直に受け取っていたのだ。
「お兄様、謙遜が過ぎると嫌味に聞こえてしまいますよ? せっかく先生が褒めてくださったのですから、胸を張って高笑いしていらした方が良いと思いますよ」
「それはちょっと嫌な奴じゃないか?」
深雪のブラコン発言に、達也の笑いが苦笑いから完全に苦い笑いに変わったのを見て、八雲は苦笑いから普通の笑いに変わった。
「それじゃあ師匠、そろそろ学校なので」
「そうかい、じゃあまた明日」
「先生、失礼します」
達也の挨拶に手を上げて応えた八雲に、丁寧なお辞儀付きで挨拶をする深雪。その姿を見て八雲は再び苦笑いをする。深雪の歳のわりにしっかりとした動作に、呆れと関心が入り混じってどんな顔をしたものかと悩んだ末に、苦笑いを選択したのだった。
一旦家に帰ってから駅に向かった達也と深雪は、丁度キャビネットがやって来たので乗り込む事にした。
個別に移動できるようになったおかげで、満員電車と言うのはいまや死語になっているのだ。
「あの、お兄様……」
キャビネットの扉が閉まり、完全に達也と2人きりになった深雪が、聞き取りづらいくらいの小さな声で達也を呼ぶ。いくら聞き取りづらくても、達也が深雪の言葉を聞き逃す事などありえないのだが。
「如何かしたのか? 少し顔色が悪いようだが」
「昨日、あの人たちから電話があったのですが……」
「あの人たち? ああ……それで、親父たちがまた何かお前を怒らせるような事をしたのか?」
深雪が父親の事を『あの人』呼ばわりしても、達也は別に驚きもしない。自分も生物学上だけの親だと思ってるのだし、深雪が父親相手に嫌悪感を抱いている理由も、達也は知っているからだ。
「いえ、違います! あの人たちにも娘の入学を祝うと言う事は出来たみたいでして……その電話の中でお兄様の事を聞いたのですが、お兄様にはやはり?」
「ああ、何時も通りだよ」
妹が何を気にしているのか、何を怒っているのかに検討がついた達也は、短くそう答えた。
「やはりそうですか……電話でお兄様の事をモノ扱いしただけでは飽き足らず、私が言ったのにお兄様にはお祝いのメールの1つも無かったなんて……」
深雪の周りに何やら不穏な空気が流れ始める。それに伴ってキャビネット内の気温が徐々に下がって行き、自動でヒーターが作動した。
怒りに身を震わせると、無意識の内に魔法を発動させてしまうのが、深雪の悪い癖なのだ。その事を知っている達也は、静かに深雪に“命令”した。
「深雪、落ち着け」
「ですが……」
「落ち着けって」
兄に言われたら従うしか無い。深雪は自分が兄に迷惑を掛けてしまっていた事を自覚し、もの凄い勢いで頭を下げた。
「申し訳ありません! つい取り乱してしまって……」
そんな妹の姿を見て、達也は優しく頭を撫でた。
「会社を手伝えと言う親父たちの命令を無視して進学したんだ。親父たちが俺を祝う訳ないだろ。それに親父たちの性格は、お前だって良く知ってるはずだろ?」
兄に頭を撫でられながら、深雪は達也に反論する。だが顔は嬉しいのを隠せてなかったのだが……
「15歳が進学するのは当たり前です。それをあの人たちは……第一お兄様を手元に残しておきたかったのなら、まずは私に許可をとり、次に叔母様に許可をとるのが筋ですのに、あの人たちにはそんな度胸も無いんですから……自分の親がそんなのなんて恥ずかしくて堪りませんよ」
深雪もだが、あの叔母が達也を父親の許に置くのを許可するとは思えなかったのだが、達也はその事を無視した。
「高校は義務教育じゃ無いんだし、手伝えと言うのは期待してるって事だろ」
「そうですが……あの人たちにお兄様の本当の凄さなんて分からないんです!」
「当てにされてると思えば、腹立たしい事も無いさ」
「……お兄様がそう言うのならば」
深雪を上手く丸め込んだ達也は、撫でていた手を止め、深雪から離れる。
「あっ……」
「ん? 如何かしたかい?」
「い、いえ! 何でもありません」
少し寂しそうに声を漏らした深雪に、普段以上に優しい声と表情で尋ねた達也を見て、深雪は一瞬で顔が赤くなった。
達也が普段以上に深雪に優しくしたのは、自分が当てにされている訳では無い事を、妹に知られないようにする為だった。
父親たちが自分の事を便利な道具としか思って無い事を、この妹に知られれば如何なるか……いくら生物学上だけとは言え、親を見殺しにするのは忍びないと思っていたのだった。
次回から結構新キャラが登場します(予定)