劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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かなりえげつない切り札ですし


深雪の切り札

 病院内に侵入した光宣と四体のパラサイドールは、階段を使って四階に上がった。水波の病室があるフロアだ。病院の入口から四階の廊下まで、光宣は妨害に遭わなかった。警備員に呼び止められるどころか、その姿も見なかった。

 

「(罠……か?)」

 

 

 光宣を警戒していないという事は考えられない。警備員だけでなく、他の入院患者も、看護スタッフもいないのだ。しかし罠だとしたら、それはどのようなものか。光宣にはまるで見当がつかない。病院の中に人の気配は、水波と、そして深雪のみ。どんな罠を張っても、これでは水波を連れ出してくれと言っているようなものだ。光宣には、そんな風にすら思われた。

 

「(なんだか気味が悪い……)」

 

 

その思いから、足取りは自然と重くなる。パラサイドールに「不気味だ」などという感情は無い。だが主に同調して、その歩みはゆっくりしたものだ。

 通常の倍近い時間をかけて、光宣とパラサイドールは病室の前にたどり着いた。中から攻撃してくる気配はない。光宣は一度深呼吸して、パラサイドールの一体に突入を指示した。鍵のかかっていないドアを開けて、パラサイドールが病室に足を踏み入れる。次の瞬間、光宣は白く煌めく氷原を幻視した。

 命の気配が無い。絶対的な静寂に包まれた氷の世界に立つ自分。それは心臓が止まりそうな圧迫感をもたらす幻影だった。そして、気付いた。病室に足を踏み入れたパラサイドールが止まっている。動作が停止しただけではない。物理的に硬直しているだけでは、決してない。

 戦闘用ガイノイドをパラサイドールたらしめているもの――パラサイトの本体が活動を止めている。精神生命体が凍り付いている。パラサイドールが、突き飛ばされたように廊下へ戻ってきた。ドアとは反対側の壁にぶつかり、そのまま廊下に崩れ落ちる。

 光宣には分からなかったが、パラサイトと繋がっていた電子頭脳の機能が凍結され、機体のコントロールが失われているのだ。

 病室の扉は開いたままだ。中から人が出てくる気配はない。このまま時間が経過すれば、警備の魔法師が戻ってくる。それだけではなく、達也が今にも、戻ってくるかもしれない。

 光宣はレグルスたちが達也を長時間足止め出来るとは思っていなかった。彼らが達也に勝てる可能性はゼロだと考えていた。今、時間は光宣の敵だ。

 光宣は三体のパラサイドールに突入を命じ、自分は全力の仮装行列と鬼門遁甲を纏って、そのすぐ後に続いた。

 

「コキュートス」

 

 

 その呟きは、せめて自分たちに死をもたらすものの名前を教えてやろうという慈悲だったのだろうか。再び襲い来る、絶対的な氷雪の世界。光宣が展開していた、仮装行列の幻影が凍り付いた。鬼門遁甲は、全く役に立たなかった。仮装行列で身を、否、心を守っていなければ、自分の精神は凍死を迎えていた。それを光宣は、直感的に理解させられた。外からの損傷は一切なく、床に崩れ落ちるパラサイドール。ただの人形と化した女性型機械を挟んで、光宣は深雪と向かい合っていた。

 静かにたたずむ深雪と、立ち竦む光宣。動かない深雪と、動けない光宣。先に口を開いたのは、深雪だった。

 

「目障りね」

 

 

 そう言って深雪が、軽く右手を振る。床に倒れたパラサイドールが、部屋の隅に掃き寄せられる。

 

「今のは……?」

 

 

 光宣が呻くように問う。彼が尋ねたのは、人形を動かした単純な移動系魔法についてではなった。深雪も、誤解はしなかった。

 

「精神凍結魔法・コキュートス。私の切り札よ」

 

「精神凍結魔法……?」

 

 

 呆然と、光宣が呟く。彼は「何だそれは!?」と言いたかったに違いない。だが深雪は、今度の問いかけには答えなかった。

 

「光宣君、貴方は計算違いをしているわ」

 

「計算違い……?」

 

「貴方は、私が達也様より弱いと思っているのでしょう?」

 

「………」

 

「確かに私は、達也様より弱い」

 

 

 光宣は無意識に、唾を飲み込んだ。深雪の魔法ではなく彼女の言葉がもたらす緊張が、光宣の身体を拘束していた。

 

「でもパラサイトにとっての天敵は、達也様ではなく私なのです」

 

 

 深雪の口調から、わずかに残っていた親しみが消える。その反応を受けて、漸く光宣は体の自由を取り戻した。そして深雪の背後にいる水波から向けられている視線に気付き、思わず下唇を噛む。

 

「私はパラサイトの本体を殺す事が出来る。精神生命体であるパラサイトは、私のコキュートスに抗えない」

 

「精神凍結魔法……精神を、凍死させる魔法ですか……」

 

「コキュートスは精神を止めてしまう魔法です。物理学では、絶対零度でも原子の振動までは止まらない事が分かっています。ですがコキュートスを浴びた精神は、完全に停止し、二度と動き出す事はありません」

 

「精神的な、絶対零度……?」

 

「肉体という確固とした存在との繋がりを持たない精神は、情報体を保てず霧散します。精神生命体の消滅です」

 

「……クッ……」

 

 

 深雪の言葉は正しかった。光宣は自分の計算違いを認めぬわけにはいかなかった。達也だけを引き離すのでは、不十分だった。陽動を企画するなら、むしろ深雪を遠ざける方が重要だったのだと、今ここに至って理解させられたのだった。




そもそも水波が自分を待っていると思ってる事から読み違えてるんですがね……

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