劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1821 / 2283
あくまでも主の為に


水波の覚悟

 絶対的不利な状況をどうにか打破出来ないか、持てる全ての知識を振り絞って考え込んでいた光宣に、思いもよらない言葉が掛けられる。

 

「光宣君。この場から立ち去りなさい」

 

「えっ!?」

 

 

 意外感を示したのは、光宣だけではなかった。深雪の横に移動して、深雪と光宣を横から見ている水波も、無言で意外感を露わにしていた。

 

「貴方を捕まえるのは達也様のお仕事。私は水波ちゃんを護れればそれで良いわ」

 

「………」

 

「逃げなさい、光宣君。私は追い掛けません」

 

 

 深雪の言葉に嘘が無いことは、理屈ではなく分かった。ここで引けば、自分は逃げられる。そう囁きかける卑怯な自分を、光宣は自分の中に見出した。

 

「……出来ない」

 

 

 だからこそ、光宣は深雪の勧告を受け入れられなかった。

 

「僕は、水波さんを救うため、ここに来た。我が身惜しさに、引き下がれない」

 

 

 自分が愚かな真似をしているという自覚はある。だが次の機会を作り出せる自信も、光宣には無かった。「これが最後かもしれない」、「今を逃せば、水波に手が届かなくなる」、それが光宣に、賢い選択をさせなかった。

 

「そう……残念です」

 

 

 深雪が光宣に右手を差し伸べる。コキュートスにジェスチャーは必要ない。これは光宣に、翻意の時間、逃げ出す時間を与える為のものだった。光宣から攻撃を受ける心配はしていない。さっきのコキュートスが光宣の精神を掠めた事、その結果光宣の魔法技能が一時的に低下している事を、深雪は見抜いていた。

 しかし光宣は、それでも、逃げなかった。右手を差し伸べた姿勢のまま、深雪の顔から完全に表情が消えた――その、直後。

 

「おやめくださいっ!」

 

 

 深雪を制止する声が上がる。その声の主は、水波だった。水波は深雪に取りすがるのではなく、深雪と光宣の間に立ち、彼を背中に両手を広げた。光宣を庇って、深雪の前に立ちはだかっていた。

 

「水波ちゃん、何を……」

 

 

 深雪が目を見開き、立ち竦み、呆然と呟く。だが深雪はすぐに、我を取り戻した。彼女は水波を説得しようとはしなかった。水波は自分でも何をしているのか分かっていない。それより、その体勢では追い詰められた光宣が何をするか分からない。それが深雪の判断だった。

 

「水波ちゃん、止めなさい!」

 

 

 深雪はコキュートスを発動しようとして、障壁魔法を全力で発動しようとしている水波を、声の限り制止した。

 

「深雪様、お願いです! おやめください!」

 

「何故……?」

 

 

 深雪は身動きが取れなくなった。自分が魔法を使えば、水波も魔法を使う。深雪のコキュートスは物理的な事象改変を引き起こすものではない。水波の魔法障壁では、コキュートスは防げない。だがコキュートスを防ごうとして魔法力を振り絞れば、水波の魔法演算領域は焼き切れ、彼女の命も燃え尽きるかもしれない。

 

「先ほど深雪様が仰ったじゃないですか。光宣様を捕まえるのは、達也さまのお仕事だと」

 

「水波さん、ごめん!」

 

 

 光宣が深雪の迷いを突く。光宣の腕が、水波の腰に回され、後ろから抱きかかえた状態で、光宣は後方へ跳躍した。窓を破るのではなく、空中を滑って階段へ。

 深雪も病室を飛び出したが、光宣の肩越しに自分を見る水波の眼差しに、魔法を放てなかった。深雪が魔法を撃てば、水波がそれを防ぐ。その予測が、恐怖が、深雪の心を縛った。

 光宣が踊り場の窓から病院外に脱出する。それを見届けている余裕は、深雪には無かった。彼女は病室に駆け戻り、何度も操作をミスしながら達也の通信機を呼び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 残りのスターダストを片付けようとしたタイミングでなった通信機に目をやり、達也はリーナに断ってからその通信を受けた。

 

『お兄様、水波ちゃんが!』

 

 

 深雪の悲痛な叫びが、達也の心に失われかけた緊張感を呼び戻した。呼び方が昔のものに戻っているのも、緊急性を感じさせたからだ。

 

「深雪、何があった」

 

 

 達也は緊張と共に呼び起こされた焦りを抑え、努めて冷静に問い返した。

 

『水波ちゃんが光宣君に!』

 

「攫われたのか!?」

 

『はい! いいえ!』

 

 

 すっかり動揺しているのか、深雪の言葉は全く要領を得ない。しかし達也は、深雪を問い詰めるような事はしなかった。

 

「深雪、すぐにそっちへ戻る。いいか、深雪。俺が、お前の許に戻る」

 

『……はい』

 

 

 力強い達也の言葉が、深雪の狼狽を、少しだけ取り除いた。

 

「深雪。俺がついている」

 

『はい……はい!』

 

 

 達也は一旦深雪との通信を切って、リーナへ振り向いた。だが達也が話しかけるより早く、リーナが達也に告げる。

 

「達也、行ってあげて。ここは私が引き受ける。達也は早く、深雪のところへ」

 

「頼んだぞ、リーナ」

 

 

 亜夜子、文弥には声を掛けず、達也はエアカーに駆け寄った。運転席に乗り込むや否や、エアカーが急発進する。その音に、亜夜子が振り向いたが彼女は何故達也がそこまで慌てているのかが分からなかった。

 亜夜子と、リーナと、無言で状況を見守っていた兵庫に見送られて、淡いブルーのエアカーは東京へと飛び立った。巳焼島にやってきた時とは違い、全工程を亜音速で翔け抜ける事も厭わないようなスピードに、見送っていたリーナと亜夜子は驚きの表情を見せたが、兵庫は表情一つ変える事無く、飛び去るエアカーに一礼したのだった。




次回からまたちょっと脱線します

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。