何処に行って何をすれば良いのかに頭を悩ませた水波が選択したのは、達也の服を選ぶために男性用セレクトショップに向かう、という事だった。普段深雪と二人で達也に似合いそうな服を見て回るという事はしたことがあるが、隣に達也がいるというシチュエーションは初めてで、水波は先程から緊張でガチガチに固まっている。
「お客様、本日はどのようなものをお探しでしょうか?」
水波の緊張を感じ取ったのか、店員が声をかけてくる。だがその声掛けに反応できるだけの余裕が水波には無く、つい店員を手で制して下がらしてしまう。
「(私は何をしているのでしょう……せっかく店員の方が助けてくれそうだったのに、それを断ってしまうなんて)」
自分に余裕が無い事は水波も気付いている。だがその所為で助けを拒んでしまう程焦っていたと知り、水波は自分の選択を後悔する。
「(深雪様がいらっしゃってくださる時ならいざ知らず、何故私は達也さまと二人きりの時にこの店を選んでしまったのでしょう……私一人で達也さまにお似合いになる服を選べるわけがないのに……)」
水波のセンスは、決して悪いものではない。むしろ同年代の女子と比べても引けを取らないものなのだが、それはあくまでも自分が身に付けるもののみ。他人の――ましてや異性の服を選ぶなど、水波の人生経験の中で体験した事は皆無だ。焦ってしまっても仕方がないのだが、そう思えない程今の水波は冷静さを欠いている。
「(ここまで来て何か買わないという事は許されないでしょうから、せめて当たり障りのない物を選ばなければ……ですが、当たり障りのない物とは、いったい何を指して言うのでしょうか?)」
普通に考えれば、ハンカチや靴下といった、身に付けていても目立たない物を選べばよかったのだが、水波が視界に捉えたのは別のものだった。
「(そうだ! 達也さまは既に社会人として表舞台に立つことがある。ネクタイならそれほど目立つことも無いですし、何本あっても困る物ではないはずです)」
水波は自分がその事に気付いたことを誰かに褒めてもらいたい衝動に駆られたが、それを表に出すことなく達也をネクタイ売り場の前まで移動させる。
「達也さまはネクタイをなさる機会が増えているので、私が一本選んでも宜しいでしょうか?」
「あぁ、水波の気がそれで済むなら、俺は構わないぞ」
あっさりと達也から許可が出て、水波は再び焦りだす。達也が拒むはずないと分かっていたが、こうすんなりと話が進んでしまうと、なんだか焦りを覚えてしまうのだろう。
「(いざ達也さまのネクタイを選ぶとなると、ちょっと緊張しますね……)」
水波は並べられているネクタイを一個一個真剣に眺めながら、達也に似合いそうな色いあのネクタイを二、三見繕う。そして店員に声をかけ試着させてもらう事にした。
「(ネクタイといえば、好きな相手のネクタイのゆがみを直すというのにはちょっと憧れますね)」
恋愛小説を好んで読んでいる水波は、前世紀の作品にも手を伸ばしていた。その中の一つにそういったシーンがあった事を思いだし、水波は達也のネクタイを直す自分の姿を妄想し顔を赤らめる。
「(私は達也さまの婚約者ではなく愛人! そのようなシチュエーションになるなどありえない!)」
いきなり首を振り始めた水波を見て店員は驚いたが、ネクタイを締めた達也が表れて水波の事は意識から追いやられたようだ。
この店員は達也が高校生であることは知らないようで、ネクタイ姿の達也を見て大人の色香を感じているようだったが、水波が気になったのは別の事だった。
「達也さま、少しネクタイが曲がっているようです。動かないでください」
実は曲がってなどいないのだが、水波は先程の妄想を現実のものにするチャンスだという悪魔の囁きに逆らう事が出来ずに達也の首筋に手を伸ばし、ネクタイを少し左右に動かして元の位置に戻す。
「すまない、ありがとう」
「いえ、こちらこそ」
「?」
「な、何でもありません!」
自分が頓珍漢な発言をしたと自覚し、水波は慌てて達也から距離を取る。まさか自分の妄想を現実のものにしてくれたお礼を言ったなど、恥ずかし過ぎて言えるはずもなく、水波は慌てて別の話題を探した。
「やはり黒や青がお似合いになるようですね」
「普段からそういった色を使っているから見慣れてるだけではないか? まぁ、あまり派手なものは困るから、この色で構わないんだが」
「達也さまなら他の色でもお似合いになるでしょうけども、やはりこの二色が良いと私も思います」
派手なネクタイを締める達也の姿を想像出来ない水波は、初めから黒か青のネクタイを選んで試着させている。高校生にしては落ち着き過ぎている雰囲気も相俟って、ネクタイ姿の達也はますます高校生には見えない。
「せっかく水波が選んでくれたんだ。この二本を買っていこう」
「よろしいのですか?」
「研究職とはいえ、ネクタイが必要となる場面は少なくないからな」
試着を終えた達也が会計の為に離れて行くのを、水波は夢見心地で眺めている。自分が選んだものを達也が着用してくれるという事がよほどうれしいのか、さっきまで感じていた焦りは、水波の心から完全に消え去っていた。
ご褒美だからこれくらいは