劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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忘れてました


幽体離脱

 西暦二〇九七年七月八日十四時七分。アークトゥルスを閉じ込めていた闇が、激しく震えた。彼は知らない事だが、一条将輝の『海爆』によって引き起こされた余剰想子の大波が一瞬で押し寄せてきたのだ。その事により、アークトゥルスの意識を覆っていた靄が晴れる。思考が一気に、明瞭なものとなる。

 

「(今のは、想子の波動か? 大規模な想子波が、想子の殻を揺さぶった? 私は自分自身の想子情報体に閉じ込められているのか?)」

 

 

 肉体は精神の牢獄。そう語ったのはプラトンだが、今のアークトゥルスの精神はこの古代ギリシャの哲学者が説いたのとは別の意味で、肉体の檻に閉じ込められていた。古式魔法で肉体に焼き付けられた封印の呪句。それが彼の心を、外界から隔てている。アークトゥルスは現代魔法を修めると同時に、アメリカ大陸先住民の古式魔法も受け継いでいる。だから自分を縛る術式を理解出来た。この術式が極めて強固で、彼の古式魔法スキルでは解除出来ないという事も。

 

「(だが、封印を解除出来なくても……)」

 

 

 彼を閉じ込めている古式魔法は、精神と肉体の結びつきを利用して肉体の側から精神を縛るものだ。

 

「(ならば、精神と肉体の結び付けを断てば)」

 

 

 アークトゥルスは精神だけで魔法を準備した。肉体感覚の欠如に思いの外、戸惑ったが、苦労して魔法式を構築する。

 

「(幽体離脱)」

 

 

 CADを操作する代わりに心の声でコマンドを唱えて、精神体を肉体の外に放射する魔法を実行する。彼がこの魔法を使うのは、これが初めてではない。使い慣れたとまでは言えないが、制御を失敗しない程度には経験を積んでいた。自分を固定している留め金が外れたような感覚。アークトゥルスは、身体を置き去りにして起き上がる。幽体離脱を行使する際に特有の感覚で肉体を抜け出そうとした。

 今までに感じた事の無い、網を被せられているような抵抗があった。見えない網目に手を掛けて、強引に引きちぎる様をイメージする。急に視界が開け、目の前には輸送機の天井。彼の記憶が正しければ貨物室だ。振り返らなくても背後が見える。床に置かれた「棺」の中に、血の気が引いた顔の、自分の肉体が横たわっている。

 これまで経験した幽体離脱では「自分」と自分の肉体を細い糸が繋いでいた。しかしその「糸」が見当たらない。肉体と繋がっている手応えもない。先程「網」を引きちぎった際に、一緒に切れてしまったのだろうか。

 

「(私は……死んだのか?)」

 

 

 この魔法を授けてくれた祖母は、あの糸が肉体と魂を繋いでいると教えてくれた。若い頃に指導を受けた日本人の僧侶は、あの糸が切れると肉体に戻れなくなると言っていた。

 アークトゥルスが動揺したのは、一瞬だけだった。直前までの境遇を思い出すことで、死に対する恐怖がパニックに繋がる前に未発のまま消えた。全てから断絶された虚無の暗闇。その中に寿命が尽きるまで閉じ込められていたかもしれないと思えば、世界を見て、聞いて、感じる事が出来る状態は、たとえ今の自分が幽霊だとしても、比べようもなく好ましい。そもそもパラサイトになった時に、人としての命は終わったようなものだ。今更、生に執着のは無様で滑稽な事に思われたのだった。

 それより、この自分が亡霊なのだとしたら、アレクサンダー・アークトゥルスとしての意識が保たれている内に為すべききことを為さればならない。彼はそう考えた。アークトゥルスはUSNAの軍人であることを、己のアイデンティティと定めている。人間からパラサイトに変じても、祖国アメリカの軍人として義務を果たしている限り、自分は「自分」でいられる。それは思考や主義というより信仰に近い念いだ。

 アークトゥルスは自分が自分で無くなるその時まで「アレクサンダー・アークトゥルス」でいたいと念じた。その為には、何をすれば良いのか。

 

「(……私に与えられていた任務を遂行すればいい)」

 

 

 彼に与えられていた任務は何か。

 

「(……タツヤ・シバの恒星炉プラントを破壊し、彼がディオーネー計画参加を拒めない状況を作り出す。それが私に与えられた任務だ)」

 

 

 魔法は、幽体の状態でも行使出来る。ダンシング・ブレイズのように武器を併用する魔法の使用はシステム的に不可能だが、流体や電磁波に干渉するものならば問題なく発動可能だ。精神干渉系の術式は、幽体の方がむしろスムーズに使える。

 

「(まずは恒星炉プラントがある島を目指す。恐らくそこに仲間もいるだろう)」

 

 

 アークトゥルスがこの決断に至るまで、暗闇の中で覚醒した時からおよそ一時間。この時点ですでに、彼の仲間たちによる巳焼島襲撃は失敗に終わり、レグルス、ベガ、デネブの三人は肉体を達也によって分解消失され、精神体の状態で封印されているのだが、アークトゥルスはその事を知らない。知りようがない。彼は仲間たちが達也の恒星炉プラントへの破壊工作を失敗するなど思っていないのもあるが、軍人として優秀だった彼らがパラサイトとなり、魔法技能が向上しているのだから自分が向かわなくても作戦は成功しているのではないかと思っていたのだった。




下手にカットすると話繋がらないな……

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