劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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戦闘中でも他の事を考えられる余裕


達也の自問自答

 達也は戦闘経験が豊富だ。年齢を考慮に入れなくても、百戦錬磨と言って良い。幽体離脱を使う魔法師との戦闘も、何度か経験している。しかし、これほどタフな幽体と出会ったのは初めてだ。幽体離脱は通常、索敵用の魔法に分類される。直接戦闘に向いた魔法ではない。

 本来、幽体は肉体に固定されているもので、肉体を抜け出して活動するのは不自然な状態と言える。受動的な能力を使うだけなら兎も角、能動的に魔法を行使すれば、その「不自然な状態」を維持できなくなるのが普通だ。この術式に相当慣れた魔法師であっても、正面切っての戦闘は二、三分が限度だろう。

 ところがアークトゥルスの幽体は、戦端が開かれてからすでに五分が経過しようとしているにも拘わらず、存在感が薄れる兆候は一向にない。今も達也を攻撃する魔法を放っている。それに、達也の術式解体に耐えた幽体も過去にはいなかった。術式解体を直撃させても、精神体を滅ぼすには至らないが、過去に戦った幽体に対しては、肉体から離脱した状態を維持できなくなるだけのダメージは与えられた。

 敵の系統外古式魔法が達也を狂気の幻影に引きずり込もうとする。これも厄介だった。精神を標的とする魔法は、いくら肉体的な回避行動を取っても躱せない。霊的な偽装魔法を使えない達也には、敵の魔法それ自体を無効化する以外に対抗手段がない。

 アークトゥルスが精神干渉系魔法を使うたびに、達也は術式解散の発動を余儀なくされる。ただでさえ有効な攻撃手段が見つからない状況で、防御に手を取られてしまう。

 

「(このままでは、ジリ貧だな……)」

 

 

 今のところ達也はアークトゥルスの魔法を全てシャットアウトしている。だが相手のスタミナが切れて幽体離脱の魔法が先に解除されるのでなければ、達也が墜とされてしまう未来も十分にあり得る。再び精神を攻撃する魔法が達也に襲いかかる。『カオス・ファントム』。幻覚剤でトリップしている最中の被験者が体験するサイケデリックな視界と音を対象の意識内で再現する魔法。元は精神障害に対する、肉体的な副作用が存在しない治療手段として開発された医療用の魔法だ。その段階では『混沌の幻影(カオス・ファントム)』などという物騒な名称ではなく『無秩序な幻影(ディスオーダリー・イリュージョニスト)』と呼ばれてた。

 それ自体に殺傷力は無いが、致命的な隙を作り出す魔法を、達也は今回も術式解散で分解した。術式解散はこの魔法のシステム上、どうしても後手に回ってしまう。相手の魔法式の構造を解析してそれを分解するというプロセスは、敵の攻撃を待たなくては始められない。局面の打開には、こちらから攻撃を仕掛ける必要がある。アークトゥルスの幽体は系統外魔法のみで攻めてきてはいない。精神をターゲットにする魔法を受ける事も躱す事も出来ず、防ぐのみ。だが波やエネルギー、空気弾を放つ魔法であれば、躱して反撃に転じるのも不可能ではない。

 

「(しかしその為には、今の間合いは遠すぎる)」

 

 

 術式解体の欠点は射程距離が短いこと。原則として、魔法は物理的な距離に縛られない。空間的な隔たりが魔法の妨げになるように見えても、それは術者が懐く『遠い』という認識が魔法を届かなくしているだけに過ぎない。

 だが術式解体は、距離に関する原則の例外だ。この魔法――というより想子操作技術は、本当に物理的な距離の制約を受ける。限界値は術者によってまちまちだが、その距離を超えると途端に想子流が減衰して想子情報体破却の効果を失ってしまう。達也の場合、現在の限界は三十メートル前後。術式解体としては破格の射程距離だが、他の魔法に比べればやはり見劣りする。

 この場に限っても、アークトゥルスは達也との間に五十メートル以上の隔たりをキープしている。先程、十メートル未満の間合いまで接近して放った術式解体はあまりダメージを与えられなかったように見えたが、それでもアークトゥルスを警戒させるに足る攻撃ではあったようだ。

 何としてもこの距離を縮めなければならない。たとえ多少のダメージを被る事になるとしても、有効な攻撃手段が術式解体しかない以上。精神体に分解魔法は通用しないのだから――。

 

「(――何故通用しない?)」

 

 

 アークトゥルスの魔法を無効化しながら、達也の脳裏にふとそんな疑問が浮かび上がる。

 

「(『分解』が使えないのは、精神の構造を認識出来ない身体。精神は霊子情報体。俺には、霊子が形作る構造は「視」えない)」

 

 

 文字通りの自問自答。それは達也にとって分かり切った、己の限界だった。だがこの時、彼の意識は自身の答えに納得しなかった。

 

「(俺は人体を分解できる。だが俺は人体の構造を直接視認しているわけではない。細胞の一つ一つ、細胞を更生する一つ一つの分子とその結合を顕微鏡的に見て理解する事は、俺には出来ない。俺は人体以外の物質も分解できる。それだって、分子結合を直接認識してはいない。機械を部品に分解する際も、パーツの組み合わせを透視しながら解体しているのではない。俺は物質の情報を記録している想子情報体を「視」て、その構造を理解して、それを分解しているだけに過ぎない)」

 

 

 それは別段、卑下すべき事ではなかった。魔法とは、そういうものなのだから。




そもそも誰も真似出来ないから……

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