劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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水波も同じなんだろうな


気持ちの代弁

 達也を想う深雪の恋には「血の繋がった兄妹」という大きな障碍が横たわっていた。それでも深雪は、自分の恋心を捨てきれなかった。今、兄妹ではなく従兄妹だということで婚約者という地位を手に入れ、想いを隠さなくても良くなったのは、深雪にとって奇跡そのもの。だが仮に「禁断の恋だ」と責められ、詰られ、別の男との結婚を強制されても、結局深雪は達也への想いを捨てきれなかっただろう。何時までも心の中に秘め続けたに違いない。

 

「ではやはり、水波ちゃんは光宣君を好きになって、私たちよりも彼を選んだという事でしょうか……」

 

 

 水波が懐いていた達也への想いがあの場面になって光宣の方へ傾いたとは深雪は思っていない。だがもしも、光宣への想いを断ち切る為に達也に想いを打ち明けたとしたら。そんな考えが頭を過り、深雪は再び自分を責める。

 

「私は甘すぎたのでしょうか?」

 

「水波に、光宣に対する好意を捨てるよう命じられなかったからか?」

 

 

 達也の反問に、深雪は頭を振る。達也に視線で問われ、深雪は少しためらってから口を開いた。

 

「私は……光宣君に『コキュートス』を向けるべきだったのでしょうか?」

 

 

 それは「光宣を自分の手で殺すべきだったのか」という問いに等しかった。深雪の『コキュートス』を受けても、厳密に言えば死ぬわけではない。『コキュートス』は精神活動を永続的に停止させる魔法。この魔法を受けた者の精神は、二度と活動を再開しない。夢すらも見ない。それは他人から見れば、死んでいるのと何も変わらない。本人は過ぎゆく時間に取り残されて、止まったままだ。これも死と変わらないだろう。

 

「俺が同じ状況に置かれて、パラサイトを葬る術を持っていたとしたら、俺は光宣を殺しただろう」

 

 

 達也を見詰める深雪の眼差しが彼に近づく。ソファから身を乗り出したわけではなく、眼差しだけが迫ってきたように達也は感じた。だからといって、達也が舌をもつれさせる事は無い。

 

「だがその前に、警告はしたと思う。逃げろと告げたお前と違って、投降するようにだが」

 

 

 達也に固定された深雪の目が一瞬泳ぐ。光宣を捕まえるのではなく逃がそうとしたことに、深雪も全く後ろめたさを感じていないわけではなかった。

 

「そして結局、深雪と同じ状況に直面しただろう」

 

「……そうですか」

 

 

 深雪がフッと目の力を緩めて頷く。達也でも同じ結果だったと聞かされ、少しは慰めになったのだろうか。

 

「それに」

 

 

 しかし達也の言葉は、それで終わりではなかった。深雪が勢いよく顔を上げる。彼女の瞳には、不安が宿っている。次に何を言われるのか怯えている、だが逃げ出す事も出来ずにただ見詰める。

 

「俺がその場にいたなら、お前を止めていただろう――水波と同じように」

 

「水波ちゃんと、同じ……?」

 

 

 深雪が大きく目を見開く。達也の言葉が信じられないというより、彼が何を言っているのか分からなかった。

 

「深雪。俺はお前に、人殺しをさせたくないよ」

 

 

 達也の、優しい声。深雪が目を見張ったまま、のろのろと両手で口を塞ぐ。

 

「水波は光宣を背中に庇った。俺はお前を背中で止めるだろう。俺と水波の、光宣に対する感情の違いだ。だが根底にある願いは、きっと同じだと思う。お前に人殺しをさせたくない。顔も名前も良く知っている、一度は親しくした相手を手に掛ける哀しみを、お前に与えたくない」

 

 

 見ず知らずの敵の命と、知人・友人の命は等価ではない。達也は言外にそう告げている。人道主義的な正義の観点から見れば、とんでもない主張だが、深雪はそれを真実だと思った。それが真実だと、深雪は感じた。

 

「四葉家の人間としては、お前は間違ったかもしれない。だけどな、深雪」

 

「はい……」

 

 

 達也が深雪の瞳を覗き込む。深雪は両手を下ろして、達也の呼びかけに答える。

 

「俺にとっては、間違いではない。お前は間違っていない。そう思っているよ」

 

「――っ!」

 

 

 深雪が再び、今度は勢いよく両手で口を覆う。深雪の両目から涙がこぼれる。達也は立ち上がり、深雪の隣に移動した。

 

「我慢する必要は無い。何故水波がお前を止めたのか分からず、ずっと自分を責めていたんだろうが、もうその必要は無い。水波はお前を裏切ったのではなく、お前を助けたんだ」

 

「はい……はい!」

 

 

 深雪が達也に抱き着く。達也は深雪を、肩ではなく胸で受け止める。深雪は達也の胸に顔をうずめて、小さく嗚咽を漏らし始めた。

 しばらく泣いていた深雪だったが、時間の経過と共に嗚咽は小さくなっていく。泣いてスッキリしたのだろうと達也は思っていたが、嗚咽の代わりに小さな寝息が聞こえ始めて、達也は自分の勘違いに苦笑した。

 

「水波が連れ去られてからずっと、気を張っていたからか。疲れていたんだろうな」

 

 

 抱き着いたまま寝てしまった深雪の髪を、達也は優しく撫でる。このまま彼女を部屋まで運びベッドに寝かせるのは簡単だが、傍を離れたら深雪が起きてしまうのではないか、また不安になるのではないかと考え、達也は深雪をベッドに運び、そのまま自分もその隣で寝る事にしたのだった。




緊張が解けると一気に疲れが出るんですよね

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