劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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朝からバチバチに……


早朝のトレーニング施設

 一緒に運動、と言っても達也と深雪とではトレーニングメニューが異なる。だがたとえ違うメニューとはいえ達也と二人きりというのは、深雪にとって余計な事を考えなくて済む時間だった。だがこの施設はあくまでも四葉家の物であり深雪個人の物ではない。従って、二人以外の人間がこの施設にやってくることだってあるのだ。

 

「あら、深雪さんがここに来るなんて珍しいわね」

 

「夕歌さん……貴女もあまり関係ないのではありませんか?」

 

「私だって最低限鍛えておかないといけませんし、この場所に用があるのは千穂さんですから」

 

 

 夕歌のガーディアンである桜崎千穂が身体を動かしに来たついでに夕歌も軽めのトレーニングをしに来ただけなのだが、深雪にとって完全に招かれざる客となってしまった。

 そもそも夕歌の生活拠点は四葉ビルではなく新居の方なのだが、水波の護衛や連絡役として深雪の側で生活する必要があったので、ここ最近は四葉ビルで生活している。このトレーニング施設にだけ関していえば、深雪よりも夕歌たちの方が利用頻度は高い。

 

「深雪さんは達也さんと朝の運動をしていたのかしら?」

 

「えぇ、達也様に誘っていただいたので」

 

 

 言外に『達也と二人きりの時間を邪魔された』と告げると、夕歌は苦めの笑みを浮かべる。夕歌にも千穂にも、達也のような特別な眼は無いので、何処に誰がいるかなど分からないので、責められるいわれはないのだ。

 

「水波さんの行方だけど、あの後いろいろと手を尽くしてみたけど分からないままなの。後で達也さんに伝えておいてもらえる?」

 

「ご自身でお伝えすればよろしいのでは?」

 

「部屋にまでお邪魔したら、パラサイドールの二の舞になるかもしれないでしょ? 私はまだ、氷漬けになりたくないので」

 

 

 現在進行で深雪の機嫌が悪くなっているので、部屋にまでついていったら冗談では済まなくなる。夕歌は割と本気でそう思っているのか、表情からは冗談めいた雰囲気は伝わってこない。だがもちろん夕歌は冗談で言っているのだが、深雪はそれを見破れなかった。

 

「分かりました。達也様にはお伝えしておきます」

 

「えぇ、お願いね」

 

 

 深雪が少し気まずそうに目を逸らしたのを受けて、夕歌は自分のポーカーフェイスも捨てたものじゃないと内心ほくそ笑む。これが達也相手だったらいくら神妙な面持ちをしていたとしても、冗談だとすぐに見破られていただろう。

 

「それじゃあ、私はあっちの方で身体を動かすから、深雪さんも続きをどうぞ」

 

 

 深雪と夕歌はそれ程対立していたわけでもなく、比較的に分家内でも友好な関係を築いていたと言える。だが親しい間柄というわけでもないので、一緒に運動しようとはどちらも言わない。深雪も心得ているので、夕歌が遠ざかっていくのを引き止めたりはしなかった。

 

「達也さんの封印を解いたからか、深雪さんの方も凄みが増してるのよね……下手に刺激したら冗談じゃなく氷漬けにされてしまいそうなほどに……」

 

 

 深雪との距離が十分に開いたところで、夕歌は全身に込めていた力を抜く。いくら達也の婚約者という立場を手に入れたとはいえ、自分はあくまでも分家の人間。本家の人間である深雪に対して少なからず劣等感を懐くことはあったが、恐怖感を懐いたことは今までなかった。だが今の深雪は光宣を見逃したことを悔いているのか、水波が攫われてしまって余裕が無くなっているのかは分からないが、手加減が出来なくなっているように夕歌には感じられている。

 

「それだけ大事な人なら、しっかりと手元に置いておけるようにすればよかったのに……」

 

 

 深雪にとって水波は単なるガーディアンではない事は、夕歌も理解している。自分にとって千穂もその前のガーディアンもあくまでも楯でしかない。だが深雪にとってガーディアンと言えば、母親のガーディアンであった穂波、最も愛する相手である達也、そして水波と、家族に等しい間柄の人間という認識になっている。四葉家の人間としては間違った認識かもしれないが、普通の人間としては自分より深雪の方に好感が持てると夕歌も思っている。

 だがその水波が目の前で攫われてしまい――半分は自分が光宣を見逃そうとしたのが原因だと、恐らく深雪は思い込んでいる――他人に気を配る余裕が無くなっている。それが夕歌の感じた『凄み』に繋がっているのかもしれない。

 

「先ほどから何を気にしているんですか?」

 

「なんでもないわ。それより、もう良いの?」

 

「えぇ。朝から激しい運動をして、貴女に自由に動かれたら大変ですから」

 

「そんなことしないわよ。私だって現状は理解しているんだから」

 

 

 先代のガーディアンの目を盗んで個人行動をしていたことを知られているので、夕歌は千穂の指摘を完全には否定しない。だが状況判断は出来ていると告げるだけで、千穂の心配は杞憂でしかないと告げたのだ。

 

「その割には、深雪さんと何かあったように見えますけどね」

 

「ちょっとからかっただけよ。あれ以上刺激すると大変だから、早々に退散したけど」

 

「大丈夫なのでしょうか?」

 

「平気でしょ。達也さんがついているんだから」

 

 

 何かあっても達也なら何とか出来ると、夕歌は本気でそう思っている。彼女ほど達也の事を信用していない千穂は、少し咎めるような視線を夕歌に向けたが、すぐに無意味だと思い直してため息を吐いたのだった。




結局は達也頼み

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