劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1924 / 2283
誘拐されても給仕をするメイドの鑑


ぎこちない空気

 光宣が目を覚ましたのは朝七時過ぎという、早くも遅くも無い時間だった。達也相手に全力で魔法を行使していたのだから、もう少し寝ててもいいような気もするが、まだ完全に達也を撒いたとは思えないので普段通りの時間に目が覚めてしまったのだろう。

 達也のように朝身体を動かす習慣はないので、光宣は現状を整理する事に集中し始める。

 

「(とりあえず昨日は達也さんから逃げおおせたようだが、達也さんがあの程度で諦めるとは思えない。水波さんをこのまま僕に委ねてくれるはずがない)」

 

 

 光宣はこの後の事を考えながら寝室を出て、顔を洗いダイニングへ向かった。そこで彼は、思いがけない光景に立ち竦んだ。

 

「おはようございます」

 

 

 テーブルのセッティングをしていた水波が振り返って光宣に朝の挨拶を贈る。不意を突かれて一瞬立ち尽くしたが、光宣はすぐに反応を示す。

 

「……おはよう」

 

 

 硬直から何とか立ち直り、不自然にならないギリギリのタイミングで――光宣から見れば何とか誤魔化せたタイミングだったが、水波からしてみれば不自然な間があったことには変わりない――挨拶を返し、光宣は多少引きつり気味の笑みを浮かべた。

 光宣は水波の存在を忘れていたわけではない。むしろ彼女の事を考えていたからこそ驚いたのだ。客観的に見れば誘拐犯でしかない自分に対して挨拶を交わしてくれるとは思っていなかったのもある。

 だが一番の原因は、同じ年齢の少女がエプロン姿で朝食の支度をしてくれているというのは、美形すぎて周りの女子から敬遠され、結果的に彼女いない歴が年齢と等しい光宣には十分にショッキングな出来事だったのである。

 

「朝食のお支度はできております。すぐに召し上がりますか?」

 

「う、うん、お願い」

 

 

 少しセリフを噛みながら、光宣が答えを返す。光宣の動揺には一切指摘を入れず、水波は朝食を運ぶためにキッチンに引っ込んだ。

 

「(今の僕はみっともなくなかっただろうか? 突然の事で動揺して噛んでしまったけど、水波さんは気にしなかったんだろうか?)」

 

 

 そんな懸念を懐きつつ、光宣はテーブルの前に座る。昨日まで水波の側にいたのは達也であり深雪だ。光宣から見てもあの二人の所作は美しく、自分のように動揺してセリフを噛むような事は無いように思える。――深雪に関していえば、達也の前で動揺したりするのだが、光宣はその光景を見た事が無い。

 

「(もし僕が達也さんのように大勢の人と婚約を許されたとして、果たして僕は達也さんのように堂々としていられるだろうか?)」

 

 

 水波一人を相手にしただけでここまで動揺するのだから、他の女性も同時に相手にしなければならないと考えただけで、光宣は顔が熱くなるのを感じ、慌ててその思考を放棄する。

 そんな事を考えている光宣を不審がることもなく、水波はテキパキとテーブルに朝食の茶碗と汁椀と皿を並べている。

 

「お待たせいたしました」

 

「……いただきます」

 

「はい、どうぞ」

 

 

 今度は噛まずに食事開始の挨拶を口にした光宣に、水波は言葉少なく、ただし決して無愛想ではない口調と表情で応えた。水波も光宣の向かい側に座って両手を合わせる。小声で「いただきます」と呟いた後、箸を手に取った。

 光宣は水波から苦労して視線を外した。彼も幼い頃は姉と一緒に食事をしていたはずなのだが、同じくらいの年齢の少女が同じ食卓を囲んでいる光景は、何故か彼の心を強く掻き乱していた。光宣はパラサイトすらねじ伏せた意志力を発揮して、自分の食事に専念する事にした。

 向かい合って箸を動かす光宣と水波の間には、殆ど会話がなかった。光宣は近年、一人で食卓に着くことが多く、食事中に会話を楽しむ習慣が身に付いていない。水波は元々口数があまり多くない上に、二年前まで使用人として食事は仕事の合間に素早く摂る生活を続けていた為、食卓での会話が得意ではなかった。深雪のガーディアンとして司波家で生活するようになってからは、深雪が話しかけてきた時に答える事はあったが、自分から何かを話すような事は無かったので、このような状況でも何かを話そうという思考は働かなかったのだ。

 何となくぎこちない雰囲気のまま、二人が箸を置く。この食卓でパラサイト化が話題に上がる事は無かった。水波の意思は未だに決まらず、光宣は水波に「強要されている」という印象を持たれることを恐れていた。

 

「少し、外を見回ってくるよ」

 

 

 食後に出されたお茶を飲み干した光宣は、そう言いながら席を立った。水波に好意を懐いているからこそ、このダイニングの空気は居心地が悪かった。

 

「はい、お気をつけて」

 

 

 居心地が悪いのは水波も同じだ。いくら強要しないと言われていたとしても、何時光宣の中のパラサイトが活性化し、光宣の意思を呑み込んでしまわないとも限らない。その考えは水波もしっかりと持っているのだ。

 

「(深雪様や達也さまがこのまま引き下がるとは考えられませんし、早いところ決断してしまわなければならないと分かってはいるのですが……)」

 

 

 水波は今までの人生で、あそこまでストレートに好意を伝えられたことはなかった。達也と深雪の側で一生暮らしていくと心に決めていながらも、光宣の想いに揺らいでしまった自分がいる事に、水波は何とも言えない恐怖を抱いているのだった。




水波も乙女ですからね……その気がなくても揺らいでしまうでしょう

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。