劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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深雪ってひょっとしてムッツリ?


ちょっとした勘違い

 一高からは八時前に「本日も休校」との正式な通知があった。一時限目の開始は朝八時だから、もし「本日から授業再開」と告げられても間に合わない時間だったが、再開する場合は「午後から」などの配慮が当然あったに違いない。

 午前九時、一旦各々の部屋に戻って心身のコンディションを整えた達也と深雪は、四畳半の和室に膝を突き合わせて座った。二人とも正座だが、衣服や装身具、敷物などに特別な品はない。達也は半袖のTシャツに薄手のアンクルパンツ、深雪はサマーニットのワンピース。深雪のワンピースはボディラインが露わになるなかなか刺激的な代物だが、彼女が達也と二人きりの時に挑発的な恰好をするのは今更だ。達也は眉一つ動かしていない。

 普段使われていない部屋だが、ゴミも埃も見当たらない。二人は座布団を使わず、清潔な畳の上に直接座っていた。達也の表情は平静そのものだが、対峙する深雪は目元が少し赤い。

 

「普段着で良いとのお言葉でしたので、この様な恰好で参りましたが……達也様、その、ぬ、脱がなくても宜しいのですか?」

 

 

 恥ずかしげな声で、それでも達也から目を逸らさずに深雪がこう尋ねたのは、今年の二月に同じようなシチュエーションを経験しているからだ。

 師族会議が開催されていた箱根のホテルを狙ったテロ事件の首謀者であり、それ以前から配下の周公瑾を通じて日本に反魔法師工作を仕掛けていた顧傑の潜伏場所を探すために、達也はイデアの「景色(形色)」を視る能力『精霊の眼』を全開にした。顧傑を見つけ出す為には、自身が持つ情報知覚能力の全てを投じる必要があると達也は判断した。しかし彼は深雪の身に迫る脅威を見張る為に、常時『精霊の眼』のキャパシティの少なくない割合を彼女に向けている。その分のリソースも捜索に充当するには、少しの間、深雪から「眼」を離しても大丈夫だと、自分を納得させなければならなかった。

 それには「視覚」以外で深雪を守っているという実感が必要だった。その為に達也が選んだ手段は、深雪の存在を肌で感じるというものだ。具体的には、自分は水泳用のハーフパンツのみを身に着けて下着姿の深雪を背後から抱きしめるという、些か非常識な真似を達也は採用した。あの時はその甲斐もあって、顧傑を見つけ出す事が出来た。今回も同じ成果を得ようとするなら、同じプロセスを踏まなければならないのではないかと、深雪は考えたのである。

 決して、下着姿を達也に見てもらいたいと思ったのではない。達也も、そんな誤解はしなかった。

 

「そのままで大丈夫だ。あの時と違って、今の俺には封印が掛かっていない」

 

「そ、そうでした……」

 

 

 しかし達也の答えを聞いて、深雪は強い恥じらいを覚えた。自分がはしたない露出狂のように思えて達也の顔を見ていられなくなる。彼女は太腿の上で両手を握りしめて俯く。長い髪の隙間からのぞいている深雪の両耳は、先端まで真っ赤に染まっていた。

 

「(あの時の達也様と今の達也様の能力の違いは、私が一番分かっていたのに……達也様にはしたない子だと思われてしまったらどうしましょう……)」

 

 

 心の中で自分の事を責めている深雪を見ている達也の表情も、何となくきまり悪そうだ。顧傑の行方を探ったあの日、必要だった事だったとはいえ、深雪にこういう顔をさせるような真似をしたという自覚はあるのだろう。感情は乏しくても、彼は羞恥心を持たないわけでも理解しないわけでもない。

 

「捜索を開始する」

 

 

 このまま時間が経過しては、お互いにますます気まずくなるばかりだ。達也はあえて事務的に――というより軍隊調にそう告げて、目を半眼に閉じた。完全に瞼を閉ざさなかったのは、肉眼で深雪を見つめ続ける為だ。顧傑の時は視界を完全に情報次元へ移さなければいけなかった。通常の意味で目が見えない状態だったから、触覚によって――肌と肌の触れ合いで深雪を感じている必要があった。それ以上に、単なる視覚では深雪に危機が迫っていないと確信出来なかった。だが今は違う。こうして向かい合っているだけで、『精霊の眼』を敢えて向ける必要が無いと理解出来る。物理次元と情報次元の両方を、最大限まで知覚出来る。

 彼は間近に座る深雪の姿を見ながら、情報の次元へ視線を伸ばした。探し求める対象は水波のエイドス。彼女に縁が深い「物」を用意しなくても、達也自身に水波と結ばれている「縁」がある。その「縁」を辿って、達也の「視力」は空間の隔たりを超えた。

 達也が水波のエイドスを捜索している間、深雪はただただ達也の前で座っているだけだ。何時ものように見つめられて照れるという事は無く、彼女の表情も真剣そのものに変わっている。

 

「(私が光宣君を逃がした所為で、水波ちゃんは攫われ、達也様はしなくてもいい苦労をしているのですから、私もしっかりしなくては)」

 

 

 達也から「悪くない」と言われ、漸く自分を責め続ける事はしなくなったとはいえ、それで自分がしたことが許されたとは深雪も思っていない。自分があの時光宣だけを停めるよう魔法を使えば、それで全てが片付いていたのだと。

 深雪がそんな事を考えていられたのは、捜索を開始してから、五分足らず。正面に座る達也が水波の「情報」を視界に捉えたのだと、深雪にも理解出来たからだ。




見せたかったようにしか思えない……

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