劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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これはさすがに許されないだろ


密入国の手引き

 十七時過ぎ、国防軍の捜索隊が樹海から引き上げた。達也の動向はあえて「視」ないようにしていたから分からないが、隠蔽結界への干渉は十五時過ぎを最後に途絶えている。今日のところは見つからなかったと、光宣は一息ついた。

 光宣がいるのは寝室を兼ねた書斎で、周公瑾が自分用に調えた部屋だ。ここには周公瑾が生前仕事で使っていた事務機器や通信機器も置かれていて、それらは今も動いている。

 マスコミは周公瑾の死を報道しなかった。元々著名人ではなかったし、彼は老化しない身体の秘密を守る為に長期間身を隠す事がたびたびあったから、彼が経営していた横浜中華街の店はオーナー不在でも営業を続ける体制が整備されていた。それに当局は、大亜連合からの非公式亡命ブローカーだった周公瑾の死亡を、密入国ルート摘発の目的で巧妙に隠蔽していた。

 そういった事情が重なって、周公瑾の取引相手は彼の死を知らなかった。その為に今でも、周公瑾宛の依頼が彼のアカウントに飛び込んでくる。光宣が使っている部屋でも、それを受信・暗号解読する事は可能だった。

 そのメッセージが周公瑾の端末に届いたのは、光宣がデスクの前で伸びをしている最中だった。彼は熱意の無い表情でデコードされた文面に目を通す。光宣には周公瑾の仕事を引き継ぐ意思は無いから、熱心になれないのは当然と言える。

 しかし、一読し終えた後の光宣は真剣な顔つきになっていた。もっともそれは、商売っ気が生まれたからではない。内容が単なる亡命の依頼ではなかったからだ。そのメッセージは、大亜連合軍の秘密工作部隊から寄せられた依頼だった。

 

「工作員の潜入を支援して欲しい、か……確かこの署名は大亜連合軍特務部隊の指揮官である陳祥山のものだったな。となると、潜入させたい工作員は『人喰い虎』呂剛虎か……」

 

 

 最初に関心を惹かれたのは、このメッセージが日本に大きな損害をもたらす陰謀の存在を示しているからだった。国益の観点からも放置できない、と光宣は思ったのだ。しかし彼はすぐに思考の方向を反転させた。人間ですらなくなった自分が祖国愛を語ったところで相手にされるはずがない。それよりもこの陰謀を時間稼ぎに利用できないかと考えなおしたのだ。

 大亜連合の陳祥山は、小松基地への潜入を手助けして欲しいと求めている。それ以上の詳細には触れていなかったが、大亜連合の国家公認戦略級魔法師である劉麗蕾が日本に亡命していて、現在小松基地で保護されているのは今や公然の秘密だ。日本政府は公式に認めていないが、その事実はスクープの形でネットの世界を飛び回っている。大亜連合の狙いは劉麗蕾の奪還、あるいは暗殺だろう。

 

「(劉麗蕾といい、アンジェリーナ・クドウ・シールズといい、他国の国家公認戦略級魔法師は日本が好きなんだな)」

 

 

 光宣は劉麗蕾だけでなく、リーナも日本に滞在している事を把握している。こちらも日本政府は頑なに認めていないが、リーナが四葉家に――もっと言えば達也に匿われている事は政府内だけでなく国防軍内でも把握されている事である。もちろん、四葉家は『USNAの国家公認戦略級魔法師アンジー・シリウス少佐』など匿っていないの一点張りであり、日本政府もUSNAから『アンジー・シリウス少佐の引き渡し依頼』があったなど言えないので、リーナの方は進展が無いと言い切れる。

 もう一度メッセージに目を通し、光宣は先程の二択の中では後者の方が可能性が高いと考えたが、そのどちらであろうと国防軍が陳祥山の企みを阻止しようとするのは確実だ。呂剛虎の密入国が成功すれば、派手な戦闘へと発展するに違いない。

 達也は過去に、陳祥山や呂剛虎と因縁がある。彼らの跳梁を、完全に無視する事は出来ないはずだ。彼の注意が部分的にでもそちらへ逸れれば、ここから次の隠れ家に移動する機会が得られるかもしれない。

 

「(今日のところは諦めてくれたみたいだけど、何時までも達也さんの『眼』を誤魔化し続けられるとは思えないしな)」

 

 

 光宣は既に、この場所に留まり続けるのは不可能だと判断していた。『仮装行列』も『鬼門遁甲』も、そう長くは達也を阻めない。光宣にはそんな予感があった。光宣は周公瑾のサインを使って、陳祥山に承諾の返事を送った。

 しかしこの光宣の考えには、大きな思い違いがあった。それはたとえ達也と陳祥山、呂剛虎との間に浅からぬ因縁があるからと言って、劉麗蕾が狙われただけで何の関係も無い達也がそちらに目を向けるはずがないという事に気付いていない。もし達也との関係がもう少し深ければ――水波が光宣側についていたのであれば、このような見落としは無かっただろう。国防軍の目は逸らせることは出来るかもしれないが、光宣が警戒しているのは国防軍ではない、達也一人だ。いくら大勢の目を逸らす事が出来たとしても、たった一人の目を逸らせなければこの作戦は意味を成さない。

 光宣はそのような考えを持つ事が出来ずに、呂剛虎の密入国成功の知らせを心待ちにしながら、この館を捨てる準備を進めるのだった。




たった数日でどれだけ罪を重ねれば気が済むのか……

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