劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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頼れる相手がいないから仕方ない……


八雲からの問い

 七月十日、水曜日の早朝。達也は久しぶりに、八雲の寺を訪れていた。

 

「……要するに、『鬼門遁甲』の破り方を教えろということだね?」

 

「そうです」

 

 

 体術修行の為では無い。手詰まりの状況を打開する為、古式魔法の大家である八雲の教えを請いに赴いたのである。しかし八雲の答えは、冷たいものだった。

 

「自分にそれを要求する資格はないと、君は知っているはずだけど」

 

「知っています。それを曲げて、お願いしています」

 

 

 達也も断られるのは予想していた。簡単に引き下がるつもりも無いので、彼は特に表情を変えずに間髪入れずに頭を下げた。

 

「フム……何故だい?」

 

 

 八雲がそう尋ねた意図は、達也には理解出来なかった。八雲が何に興味を以てそう尋ねてきたのか、今の達也には窺い知ることが出来ない。

 

「九島光宣に攫われた水波を取り戻す為です」

 

 

 理解出来ないから、これしか答えようがない。

 

「分からないなぁ……」

 

 

 八雲は別に、達也を嬲っているわけではなかった。彼は本心から首を捻っている。それは達也にも、何となく感じられた。

 

「桜井水波嬢の為に、君が何故、そこまでする必要があるんだい? 道理を曲げて知識を求めているんだ。大きな対価を請求されると分かっているだろうに」

 

「水波は身内ですから」

 

「違うね。彼女は単なる使用人だ」

 

 

 その一言は不思議な程、達也を動揺させた。八雲の言い分に怒りを覚えたのではなく、何故動揺したのか達也本人にも理解出来ない衝撃で、達也は言い返すことが出来なかった。

 

「君の家族は深雪くん一人のはずだよ。君は、深雪くんさえ守れればいいはずだ」

 

「それは以前の俺です。今の俺は、深雪だけを守れればいいと言い切れる程、周りとの関係を断っているつもりはありません」

 

「そうだとしても、水波嬢は君の婚約者ではないはずだ。特例を認められているとはいえ、あくまでも妾の扱いだ。十師族の次期当主が道理を曲げてまで救い出さなければいけない相手だとは思えない。何故君はそこまでして水波嬢を助け出そうとしているんだい?」

 

「それは……」

 

 

 水波を取り戻す理由なら、今思いつくだけでも三つある。一つ目は、彼女は家族でなくても、この二年、家族同然の存在だった。二つ目は、水波が現在の状況に陥ったのは、達也と深雪をベゾブラゾフの魔法から守ったからだ。三つ目は、深雪が水波を取り戻したいと願っているから。

 しかしそれは、八雲を納得させることも、八雲に借りを作ってまで為さなければならないと問われれば、達也は即座に頷けなかった。

 

「水波嬢は、穂波女史ではないよ」

 

 

 達也が自分の行動理由を探しているところに、八雲からこの一言が発せられ、達也は息を詰まらせる。

 

「――当然です」

 

 

 そう、当然の事だ。当然、理解していたはずの事だった。だがその一言は、達也の心に大きな衝撃を与えた。

 

「そうかい?」

 

「………そうです」

 

 

 八雲からの念押しに、即答できないくらいに。達也が内心動揺している事に、八雲が気づかないはずもない。彼は少し考え込むような仕草を見せ、何か思いついたように口を開いた。

 

「フム……やはり、君の求めには応じられない。どうしてもと言うなら、頭を丸めなさい。出家して僕の弟子になるんだったら、いくらでも教えてあげよう」

 

 

 八雲の弟子になれば、俗世との関わりを制限される。水波を助け出すどころか、深雪たちを守る自由もなくすことになる。達也に頷けるはずはなかった。

 

「……分かりました。今日はこれで失礼します」

 

「そうかい? 弟子になる決心がついたら何時でもおいで。そうすれば『鬼門遁甲』だろうがそれ以外の術式だろうが、僕が知っている事なら教えてあげるからさ」

 

 

 達也が出家するはずがないと八雲も理解している。理解しながらこの言い回しなのだから、八雲も相当人が悪いと言える。

 達也は一礼して八雲を一瞥もする事なく九重寺の石段を下っていく。それを見送りながら、八雲は自分の顎を撫でながら笑みを浮かべていた。

 

「(達也君本人も気付いていなかったのか、彼は水波嬢の中に穂波女史を重ねているようだね……あの時は深雪くんだけを守れば良かったはずの達也君が、唯一心開いていた相手。気にしないようにしていても気になってしまうのかもしれないね)」

 

 

 八雲は穂波が達也の初恋の相手であると確信している。達也本人は頑なに否定している節があるが、水波に穂波を重ねて見てしまうのは仕方がないことだ。何せ水波の見た目、得意魔法、動作の一つ一つが穂波に通じるものがあるのだから。

 達也の姿が見えなくなるまで石段を見詰めていた八雲は、身を翻して寺の中へと歩を進める。久しぶりに顔を出したが何もせずに帰っていった達也に疑念を懐いた弟子は少なくないが、八雲が何も言わずに寺の中へ姿を消したのを見て、弟子たちは朝稽古を続ける事に専念した。

 

「(近い内に、達也君と対立する事になるかもしれないな……魔法在りきなら僕の方が有利だろうけども、今の彼には枷がない……僕を殺す事に躊躇いを持っていないとなると、かなり厳しい戦いになるかもしれないな)」

 

 

 今の達也を止められる人間はそう多くない。そう考えながら八雲は、出来る事なら対峙したくないと願うのだった。




八雲が教えてくれるわけないよな……

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