劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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この二人も順調だよな


恋人と相談

 明日の移動に備えて荷造りをしている修次の部屋に、ノックの音が響いた。ベッドとクローゼットで部屋の半分が埋まる狭い部屋だ。修次は三歩で扉の前に立ち、「どうぞ」の声と共にドアノブを押した。外開きの扉が隙間を広げ、廊下に立つ女性隊員の姿が露わになる。恋人の渡辺摩利だ。

 

「シュウ、入って良いだろうか」

 

「もちろんだよ」

 

「お邪魔します……」

 

 

 摩利の口調が躊躇いがちだったのは、夜も遅く、かつ明日の準備で修次も忙しいと思っていた所為である。

 

「摩利はもう、荷造りは終わったのかい?」

 

「もちろん、終わっているぞ」

 

「着替えを手当たり次第に突っ込んだだけじゃなくて?」

 

「し、失礼だな。あたしだって女だぞ」

 

「ごめんごめん。でも別に、女性だからと言って整理整頓が出来なければならないというルールは無いと思うけどね」

 

 

 修次の謝罪は笑いながらのものだ。これに摩利が怒らなかったのは、惚れた弱みと、彼の言い分が完全な誤りではないからだ。自分が「片付けられない女」であることを摩利は自覚している。だがここは軍の宿舎だ。自分のアパートのように、だらしなく散らかすわけにはいかない。だから彼女は毎日、洗った衣服、乾かした歯ブラシやヘアブラシをその都度鞄にしまい込んでいたのだ。

 摩利は謂わば、毎日旅支度をしていたようなもの。明日の準備が短時間で終わったのは、そういう事情によるものだった。

 

「それより、何か相談事?」

 

 

 修次は笑いを消して摩利に尋ねる。彼としては何も用事が無くても恋人の顔は見たいし、野暮用抜きで会いに来てくれる方が嬉しい。しかし彼の恋人は真面目だ。出動中のこんな夜遅くに、ただ遊びに来るはずはなかった。

 

「シュウの意見を聞きたくて……明日の出動だが……あたしたちの目を逸らす為の陽動という可能性は、無いだろうか?」

 

「……呂剛虎の侵入がデマだと?」

 

「それは本当かもしれない。でもなぜその情報がここに送られてくるんだ?」

 

「その点は僕も不思議に思っていたよ。情報源が発信元を隠した不正メールだ。内容自体も、何処まで信用して良いか分からないと思っている。じゃあ摩利は、九島光宣の捜索を邪魔する為に密告のメールは送られてきたと考えているんだね?」

 

「あたしは……九島光宣は、まだ青木ヶ原樹海に潜んでいると思っている」

 

「何故? あんなに探したのに?」

 

「十文字が不確かな情報を寄越すとは、あたしには思えないんだよ、シュウ」

 

 

 摩利の視線は床を向いている。修次と目を合わせて主張できる程、自信はないのだろう。だが彼女の口調は、前のセリフよりも力強いものだった。

 

「……今の十文字家当主は、摩利の同級生だったね。彼の事は良く知ってる?」

 

「プライベートはほとんど知らない。趣味とか、食べ物の好き嫌いとかはさっぱりだ。だけど、無責任な発言はしないヤツだってことは、良く知っている。あいつは、知らない事は知らない、出来ない事は出来ないと言う。十文字が『九島光宣は青木ヶ原樹海に逃げ込んだ』と言うからには、九島光宣は樹海にいる。あたしたちが知らない魔法で身を隠しているに違いない――シュウ、あたしには、そう思えてならない」

 

「そうか」

 

 

 顔を上げて修次と視線を合わせた摩利を見て、修次は摩利の眼差しを受け止めたまま、穏やかに頷いた。

 

「僕は十文字家当主の為人を知らない。摩利がそう言うのなら、十文字克人氏からもたらされた情報は信頼に値するのだろう。九島光宣が未知の魔法で隠れているという摩利の意見も、大いにあり得ると思う」

 

「シュウ……」

 

「何と言っても九島光宣は、老師を倒した『九』の魔法師だ。『九』の秘術を自在に使いこなす力の持ち主なのかもしれない。でも……」

 

「でも?」

 

「たとえ陽動だとしても、明日の出動は、辞退出来ない」

 

「……命令だから?」

 

「もちろん、それもあるよ。でもそれ以上に、呂剛虎が侵入した可能性があるなら放ってはおけない。やつとは因縁がある」

 

 

 二年前の、横浜事変の直前、修次は呂剛虎と一戦交えた。結果は痛み分けだったが、あの時倒していれば、その後の魔法協会関東支部襲撃で多くの日本人魔法師が犠牲になる事は無かったし、その際に摩利が危険な思いをする事も無かった。修次はそう考え、後悔していた。

 

「もし本当に密入国しているなら、今度こそ仕留める」

 

「……そうだな。因縁なら、あたしにもある」

 

 

 摩利もまた、呂剛虎と矛を交えている。横浜事変の前と、当日の二度。いずれも摩利たちの勝ちに終わったが、それを自分の実力とは、摩利は考えていない。一度目は修次がつけた傷が開いて生じたすきに乗じたものだし、二度目に止めを刺したのは真由美だ。どちらの戦いでも自分は手玉に取られていた、という口惜しさを摩利は心に秘めている。

 修次程の強い思いではないが、再戦を望む気持ちは摩利の中にも確かにあった。

 

「考えてみれば、あたし個人には九島光宣を捕らえる理由が無い。軍の命令でなければ、最初から積極的に関わろうとはしなかっただろうな。そういう意味でも、新しい命令が優先か」

 

「そうだね。同時に、両方に対処する事は出来ない。優先順位をつけるとすれば、呂剛虎が先だ」

 

 

 修次が出した結論に、摩利も頷いた。




光宣の思惑は少しずつ崩れていく……

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