劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1968 / 2283
正体というか、最初からバレバレでしたが


林の正体

 劉麗蕾の護衛部隊隊長として一緒に亡命してきた大亜連合の林少尉の正体は、新ソ連軍の工作員である。敵軍のスパイが組織の要所に紛れ込んでいるというのは、珍しい話ではない。特に地続き、長い国境線で接している国同士では。

 珍しくないから、何処の国でもスパイの潜入には注意を怠っていない。大亜連合軍も最高レベルの警戒を払っていた。国家公認戦略級魔法師・劉麗蕾の護衛を選ぶにあたっては、自白剤を使い洗脳を施し、有望な女性軍人を何人も人格破壊に追い込んでまで徹底的に検査している。

 だがスパイを送り込む方も、それは計算に入れている。諜報と防諜は常にいたちごっこだ。そしてこのケースでは、新ソ連の方が上手だったという事に過ぎない。具体的には林少尉の能力が、大亜連合軍のスパイ対策よりも強力だったという事になる。彼女の能力は催眠術。意識操作の魔法ではない、単なる催眠術だ。この魔法に比べればありふれた技術が特殊能力と呼べるのは、その技術レベルが異常に高いからである。

 林の催眠術は、意識操作の魔法に遜色ない深さで被術者の心に食い込む。自他を問わず、自他は問わず、自白剤の強制力すら撥ね退ける程に。彼女は自己催眠によって大亜連合の意識検査をパスしていた。

 彼女の技が魔法だったなら、大亜連合軍は細工に気が付いたに違いない。敵魔法師の侵入は、国家に限らずあらゆる武装勢力が最大限に警戒している。林が低レベルとはいえ魔法師だから余計に、大亜連合軍は魔法以外の偽装手段に気付けなかった。

 魔法ではない催眠術のメリットはもう一つある。魔法に対する耐性とは無関係という点だ。劉麗蕾一行が使っている宿舎には、魔法師の警備員がついている。国家公認戦略級魔法師とその護衛部隊の監視役だ。魔法による攻撃力よりも対魔法防御力、精神干渉系魔法に対する耐性を優先して選抜されていた。だから、林の術が魔法によるものなら通用しなかったかもしれないし、そうで無くても早い段階で露見していたかもしれない。

 

「基地の中ではどうしても手に入らない物があって……ほんの一時間ほどで良いんです。外出許可をいただけませんか?」

 

 

 劉麗蕾が一条茜と一緒に早めのお風呂を使っている時間に、宿泊棟の警備を担当していた兵士は林隊長からそのような申し出を受けた。二人の兵士は困惑に顔を見合わせる。買いたい物は何かと林に尋ねると、大亜連合の女性にとって必須の物だという。自分たちが代わりに買いに行くと兵士の一人が申し出たところ、「恥ずかしいから」と断られた。そう言われてしまえば、それ以上の押し問答は何故か憚られた。もう一人の兵士が「何故こんな時間から」と質問すれば、「劉麗蕾少尉が入浴している最中なら一条将輝に無理矢理連れ去られる心配がない」と返す。兵士は二人ともその答えに何故か納得してしまった。

 結局、監視の兵士は自分たちが店の前まで同行する事を条件に林の外出を許可してしまう。基地司令部に許可を取る事も無く。

 小松基地のゲート係員は、呂剛虎の襲撃に備えて外部からの侵入者に対する警戒態勢を強化し、劉麗蕾の保護に神経を尖らせていた。だからなのか、林が基地ゲートから外に出ても監視の兵士が同行しているからという理由で、それ以上の注意は払われなかった。基地の将兵、スタッフにとっては、戦略級魔法師・劉麗蕾のおまけなど然して気にする価値が無いというのが本音だったのだ。

 

「(こんなにあっさりと抜け出せるなんて、日本の魔法師は大したこと無いわね)」

 

 

 もちろん、見張りの兵士たちが信じやすい人間だったから――というわけではなく、彼らは林の術中にはまり思考が上手く機能していないのである。そうで無ければ、基地司令部に許可を取らないなどという事はしないし、大人しく運転もしていないだろう。

 

「(ここの基地にいる兵士だけではなく、日本の軍人にとって『一条将輝』は英雄だと思われているから、あんなことを言えば普通は怒鳴られるでしょうけども)」

 

 

 林がそう考えているのは、つい先日新戦略級魔法を使って新ソ連軍を撃退したばかりの将輝が、劉麗蕾の意思を無視してどこかに連れ去るなどという事があり得ないと、彼女自身も分かっているからだ。将輝は確かに別の場所に連れ出した方が良いと提案したが、彼はあくまでも提案しただけでそれを実行しようと動いたわけではない。劉麗蕾も自分を心配してくれての発言だという事は分かっているのか、将輝の妹である茜と順調に親交を深めている。

 林にとって、劉麗蕾と一条兄妹の距離が縮まるのはあまり嬉しい展開ではない。だからあえて将輝と反発して見せる事で、劉麗蕾の将輝に対する嫌悪感を増長させようとしていたのだが、それもあまり上手くいっているとは言えない状況だ。

 だからでは無いが、冷静に見ればこんなことあり得ないと思われるような行動を取ってまで、外出しているのだ。もし呂剛虎を警戒していなければ、基地ゲートの係員に不審に思われただろうし、そもそもこんな無茶をしてまで外出する必要は無かったと思いつつ、彼女は早く目的地に着けと内心焦り続けるのだった。




そもそもなぜ誰も疑わなかったのか……催眠術では片付けられないと思うんですよね

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