劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1988 / 2283
彼には彼の考え方がある


八雲からの申し出

 水波からの問いかけは他に誤解しようのないものだったが、光宣はその問い掛けに対する答えを持ち合わせていなかった。

 

「……ゴメン、それはまだ分からない」

 

 

 情けなさが、光宣の心を満たす。その思いから解放されたいと願うあまり、光宣はレイモンドとの思念回線を開こうとした。しかしその前に、答えは光宣の知らない声で返ってきた。

 

「北西ハワイ諸島。ミッドウェー島か、その隣のパールアンドハーミーズ環礁だと思うよ」

 

「誰だっ!?」

 

 

 光宣が椅子を蹴って立ち上がる。倒れた椅子が派手な音を立てたが、光宣にそれを気にしている余裕はない。食堂にいるのは光宣と水波だけ。この屋敷にいるのは、光宣と水波だけのはずだった。僧形痩身の男など、ここにいるはずは無かった。結界破りを見過ごしたばかりか、この部屋に侵入されたことすら、光宣は気づかなかった。

 

「八雲僧都さま!?」

 

 

 光宣とは少し性質が異なる驚きの声を上げながら、水波が立ち上がる。いつの間にかこの部屋に立っていた僧形の男性は、達也が「八雲師匠」と呼び深雪が「八雲先生」と呼ぶ、忍術使い・九重八雲だった。

 

「うら若い乙女に僧階で呼ばれるのは、何だかこそばゆいね」

 

「……すみません」

 

「いや、構わないよ。これはこれで、良い感じだ。ところで水波くん。そちらの彼氏が戸惑っているよ」

 

「カ、カレシ……」

 

「初々しいねぇ。達也くんでは望めない反応だ」

 

 

 八雲のからかいに頬を真っ赤に染めて俯いた光宣を見て、八雲は微笑まし気に目を細めた。その隣では水波が少し批難めいた視線を向けてきているが、八雲はそっちには反応しなかった。

 とはいえ、自分を正体不明にしておいては話もできない。その程度の常識的な思考回路は、八雲にも備わっている。

 

「九島光宣くんだね? 僕は九重八雲。仕事は坊主、正体は『忍び』だよ。無断で上がり込んだことは勘弁してほしい。忍び込むのは僕たちの性みたなものだからね」

 

 

 他の忍者――『忍術使い』に聞かれたら憤慨されそうなセリフだが、軽い口調に反して八雲は大真面目だ。それが伝わったのか、あるいはふざけた言い回しに毒気を抜かれたのか、光宣は少しだけ警戒を解いた。

 

「……僕のことはご存じのようですが、一応、自己紹介を。九島光宣、パラサイトです」

 

 

 光宣の自己紹介は、一種の挑発だったが、八雲にその程度の挑発が利くはずもなかった。

 

「うん、知っているよ」

 

「――すみません、さっきの話ですけど」

 

 

 空回りの羞恥心を覚えるような反応をされ、気恥ずかしさをねじ伏せるように光宣は看過できない疑問に話題を移した。

 

「アメリカ軍のパラサイトが僕たちをミッドウェー島に連れて行こうとしている、と言うのは本当ですか」

 

 

 光宣は無意識に、水波も同行すると決めつけていた。そのことに光宣は気が付かないし、水波も気付いていなかった。

 

「ミッドウェーとパールアンドハーミーズのどちらになるかは、僕にも分からないな」

 

 

 恍けた口調の答えだが、ミッドウェー島とパールアンドハーミーズ環礁の二箇所まで、八雲は候補を絞り込んでいるのだということを、光宣は誤解しなかった。それが真実ならば、あまりにも驚異的な諜報能力だということも。

 

「いった……どうやって……」

 

 

 それを知ったのか、という問いかけを、光宣は最後まで口にできない。最後まで息が続かなかった。

 

「どうやって、かぁ。もちろん、内緒だ」

 

 

 しかし八雲の返答はあくまでも軽い。ウインクでもしそうな雰囲気だ。水波は既に、肩の力を抜いている。八雲の態度に、緊張を維持できなくなっていた。だが光宣は、誤解しようにも無い程緊張し、警戒を続けていた。

 

「それより、本題に入ろうか。僕は、君が一人で船に乗っても二人で逃避行を続けても、どちらでも構わない。ただこの国を出るなら、一つだけ約束して欲しいんだ」

 

「……水波さんを攫って行ってもいいんですか?」

 

「無理強いはしないんだろう? だったら僕が止める筋合いじゃない。馬に蹴られて死ぬつもりも無いし。それに、パラサイトである君がこの国からいなくなるのは、僕たちにとって歓迎すべきことだからね」

 

 

 意味ありげな複数人称。だが今の光宣には、それを気に掛けている余裕が無かった。

 

「――約束、とは?」

 

 

 八雲の態度に脅迫的なところはまるでない。だが表情や態度とは別のところで、光宣はジワジワトプレッシャーを受けていた。その重圧が今や、光宣の意思を押し潰そうとしていた。

 

「仮装行列の術式、ノウハウを秘密にして欲しい。誰にも教えないのは当然として、術を盗まれることもないように細心の注意を払ってもらいたい。これを約束してくれるなら、僕の方も君の逃避行を邪魔しないと約束しよう」

 

 

 言い換えれば、八雲の申し出を拒めば達也に、あるいは他の光宣を捕らえようとする勢力に協力するということだ。

 元々光宣に、逃亡先で『仮装行列』を広める意思は無い。他のパラサイトに自分の手の内を明かすつもりも無かった。

 

「――約束します」

 

 

 光宣にとっては自分の予定に口約束の拘束力を付け加えるだけのことだ。八雲の申し出を受け入れないという選択肢は、存在しなかった。




八雲はそっちがメインだからな……

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