劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1989 / 2283
それでも感知できる凄さ


一瞬の出来事

 背もたれに体重を預け、半眼にした目を虚空に向ける。達也は地下の研究室ではなく最上階に設けられている自分の部屋で、物思いにふけっていた。彼が研究を中断したのは、水波が閉じ込められている――と達也は考えている――隠れ家の隠蔽結界に異変が生じたからだ。異変と言っても、達也にとって不利な変化ではなく、水波を救出する為にはむしろ状況が好転したと言える。

 結界に生じた、小さな穴。内部が見通せるようなものではなく、結界そのものの機能も損なわれていない。少なくともこの部屋がある調布から情報次元経由で観測して、隠れ家の場所を真に特定できるような綻びではなかった。

 だが「千丈の堤も蟻の一穴から」という。この場合は諺としての意味より元々の意味に近いだろう。先程見つけた小さな穴から、水波の居場所を隠している結界『蹟兵八陣』が潰えるかもしれないのだ。

 問題は、その「穴」が生じた理由だった。結界の経年劣化によるものという可能性もゼロでは無いが、それはこの際、考慮から外すべきだろう。葉山に確認を取ったところ、少なくともマークしている団体が動いたという情報はない。詳しく調べるという話だったが、葉山と達也の中では結界に穴を空けたのは九重八雲だと確信している。

 しかし確実に八雲だと分からなければ、手出しは難しい。下手に刺激して八雲との戦闘になれば、その隙に光宣に逃げられてしまうからだ。

 問い合わせの電話を終えてから、もうすぐ一時間になる。八雲の動きがすぐに調べがつくとは達也も思っていなかったが、予想していたよりも時間が掛かっている。しかし、催促しても逆効果にしかならないだろう。彼はいつでも出動可能なように飛行装甲服『フリードスーツ』を着用しヘルメットも手元に置いていたが、そろそろ「この格好のまま研究室に戻るか」という気分になっていた。

 達也が二度目の異変を感じたのは、ちょうど「地下に戻る」と決めたタイミング、午後四時を十分前後過ぎたところだった。

 

「(結界が破れた!?)」

 

 

 達也は約一時間前に異常を感知した時点から、光宣と水波を隠している『蹟兵八陣』の結界を継続的に監視している。相手に気付かれないよう、遠くからの観測だ。この「相手」は光宣だけでなく、結界に穴を空けた何者かも含まれる。そして今、別の何者かが結界を破って中に侵入したのを、達也の『精霊の眼』は捉えた。

 隠蔽結界『蹟兵八陣』は瞬く間に修復されたが、達也はその短い時間で明瞭に結界の内部を「視認」した。遠くからだったので侵入者の正体までは分からなかったが、結界の焦点になっている「屋敷」の情報は「視」えた。

 

「(今度こそ、座標を特定した)」

 

 

 生憎結界に隠された隠れ家の場所を見極めるのが精一杯で『仮装行列』を無効化する魔法を行使する余裕は無かった。二人の現在位置を正確に把握するには至っておらず、追跡用のマーカーも撃ち込めなかったが、それでもこれは大きなチャンスだ。

 達也は大急ぎで動画電話を操作し、スリーコールを待つまでもなく画面が、お辞儀している花菱兵庫の上半身を映し出す。

 

『――達也様。兵庫でございます。先程お問い合わせいただきました件は、まだ確認が取れておりません。まことに申し訳ございません』

 

「いえ、その件ではありません」

 

 

 先回りして謝罪する兵庫に、達也は急かせているわけではないと遠回しに伝えた。そして兵庫が再び無用な謝罪をする前に、達也は本題に入る。

 

「たった今、九島光宣の隠れ家に何者かが侵入したのを観測しました」

 

『先ほどお報せいただいた一件とは別口ですか?』

 

「別人でしょう。先程の者より結界の破り方が雑でしたから」

 

 

 雑と言っても達也に嘲る意図はない。彼には破れなかった結界を突破したのは(おそらく)事実。あくまでも先刻結界に穴を穿った者と比較しての話だ。

 

「結界の綻びは既に塞がっていますが、隠れ家の所在は特定しました」

 

『では、現地に向かわれるのですね?』

 

「ウイングレスを使います」

 

 

 移動手段を告げることで、達也は兵庫の問いかけを肯定した。『ウイングレス』は飛行装甲服『フリードスーツ』とセットで運用するように作られた電動二輪だ。『エアカー』と同じ仕組みの飛行機能を備えているが、長距離を飛ぶには向いていない。

 

『然様でございますね。時間は掛かりますが、陸路の方が当局を無用に刺激せずに済むと思われます』

 

 

 週初の月曜日に、達也は『エアカー』で調布と巳焼島を往復し、フリードスーツで高尾山の西側まで飛んでいる。この派手な無断飛行は、国内航空を所管している役人を相当刺激しているにちがいなかった。また、魔法の無許可使用でもある。法が厳正に適用されれば、何時逮捕されてもおかしくない。無闇に当局を刺激すべきではないという兵庫の言葉は、達也の考えと一致していた。

 

「何か分かったことがあれば、スーツの無線にお願いします」

 

『かしこまりました。お気をつけて』

 

 

 丁寧に一礼する兵庫に会釈を返して、達也は動画電話の通話スイッチを切った。




一瞬の勝機を逃さぬように動く達也

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