劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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この方法が正解らしい


別の侵入者

 八雲の姿がダイニングから消えて約一時間が過ぎ、テーブルの上はきれいに片付いている。にも拘らず、水波はまだ、光宣の前に座っていた。光宣に引き止められているのではない。単にすることが無くて、座っているだけだった。

 水波は寝室よりもダイニングにいる時間の方が長い。家事をしていない時間は、大抵ダイニングテーブルの前に座っている。何時もと違うのは光宣の方だ。水波は口数が少なく、光宣は世間話が苦手。異性に対して口下手になるのは二人とも同じ。ただ沈黙が苦にならない水波に対して、光宣は会話がない静けさに気まずさを覚えて書斎に引っ込むのが常だった。

 しかし今日の光宣は、目の前から食器がなくなり、十分以上会話がなくなっても、テーブルの前から動かなかった。本来であれば光宣には、じっと座っている時間はない。彼はこの隠れ家から明日にでも移動すると決めたのだ。逃避行に大荷物を持っていけないが、それでも最低限の身の回りの品は欠かせない。着替えも、この屋敷の物を持っていくことになる。逃亡先が外国であれば、念の為偽造パスポートも作っておいた方が良いだろう。少なくとも移動中に入手できるよう、手配する必要がある。

 時間を無駄にできないということは、光宣も理解していた。それでも具体的な行動に移れずにいるのは、八雲の来訪――侵入があまりにもショッキングだった所為だ。

 光宣は「この屋敷の隠蔽結界が破られることはない」などと思っていなかった。『鬼門遁甲』も『仮装行列』も、より強力な魔法、より高度な魔法技術をぶつけられれば無効化されてしまう。それが分かっているから、光宣はこの隠れ家に見切りをつけたのだ。

 だが八雲は『蹟兵八陣』の結界を破るのでも解くのでも、正しい手順で通り抜けるのでもなく、光宣にも分からない隙間から潜り込んだ。あまりにも、レベルが違う。もし八雲が追手に加わっていたなら、光宣はとうに捕らえられていたに違いない。そして達也と八雲の関係を考えれば、そうなっていない現状の方が不思議だ。

 

「(一体全体、九重八雲は何を考えているのか。どういう思惑があって、自分を泳がせているのか)」

 

 

 そんな疑念が、先ほどから光宣を捕らえて離さないのだ。彼がその迷いから抜け出したきっかけは、隠蔽結界に対する新たな攻撃だった。

 

「結界を抜けられた?」

 

 

 正体までは不明だが、結界を部分的かつ一時的に無効化して、内部に侵入した者がいる。結界を構成している魔法の構造式を破壊するのではなく、逆位相の波をぶつけて中和したのだろう。今度は、それが分かった。中和による無効化だから、それを止めれば結界は機能を取り戻す。侵入してしまえば、中和術式を維持する必要は無い。現に隠蔽結界は元に戻っている。

 

「……お客様ですか?」

 

 

 その問いかけを受けて、光宣は正面に座っている水波が不安げな表情を浮かべてることに気付いた。光宣は心の中で呟いたつもりだったが、声に出てしまっていたらしいと思い至る。

 

「大丈夫。誰であろうと水波さんに手出しはさせないから」

 

 

 自分の独り言が水波を不安にさせているのは、光宣にとって不本意なことだった。その気持ちが言わせたセリフだ。そしてその言葉を嘘にしない為に、光宣の意識は既に侵入者へと向かっている。

 彼は自分のセリフが熱烈な口説き文句になっていると認識していなかった。また、だからなのか、水波が薄らと頬を赤らめているのにも気付いていない。彼は侵入者の気配に神経を集中していた。

 

「(光宣さまのセリフに深い意味など無いはず……現に光宣さまは私ではなく、お客様に意識を向けていますし)」

 

 

 何時も通りの光宣なら、自分のセリフが相当恥ずかしいものだったと気付き、視線を彷徨わせてもおかしくはない言葉だったが、彼は虚空に意識を向けて何処かを睨みつけている。もし彼が何をしているのか分からなければ、かなり怪しい行動に見えるだろうが、水波はこの行動を見慣れていた。光宣だけではなく、達也も偶にやっているのを見た事があったからだ。

 

「(恐らく光宣さまも達也さまと同じ『眼』を行使しているのでしょう。常人には出来ない方法で相手を探る……敵として考えたらこれほど恐ろしい『眼』は無いでしょう)」

 

 

 水波は『精霊の眼』の性質を詳しくは知らないし、達也と光宣との『精霊の眼』が厳密に言えば違うものだということも知らない。だが光宣が何をしているのかは理解しているつもりだった。だから彼女は何も言わずにただ座って光宣を見詰めている。

 結界が突破されたのに光宣が気付いてから、約五分。光宣は席を立ち、ダイニングの扉へ歩み寄る。結界を抜けた者が、屋敷内に侵入を果たしたことは分かっていた。

 光宣が扉を開ける。侵入者の正体も、光宣は『精霊の眼』で把握していた。

 

「どうぞお入りください。こんなところまで来てもらえるとは思いませんでしたよ――父さん」

 

「邪魔するぞ」

 

 

 九島家当主にして光宣の父親、九島真言は特に驚いた様子もなくダイニングに足を踏み入れた。光宣も知られているのが当然だと言わんばかりに真言を招き入れ席に戻った。




八雲のレベルが違い過ぎただけで、真言もなかなか

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