劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1994 / 2283
水波は大きな思い違いをしている


水波の悩み

 九島家親子の話し合いが行われているダイニングから席を外した水波は、寝室に割り当てられている部屋に移動した。着替えと、寝る為だけに使っている部屋だが、クローゼットとベッド以外にも、古風なライティングデスクと小さめのアップライトピアノ、それに本棚が置かれている。

 水波はそのライティングデスクとセットになっているクラシックなデザインの椅子に座った。キャスターなど付いていない猫足の椅子だが、華奢な作りで動かすのに苦労しない。ただ、水波のような大柄ではない女性が座るには問題ないだろうが、体重が九十キロとか百キロとか立派な体格だと、腰を下ろさない方が無難だろう。そういう椅子だ。

 ライティングデスクは天板を手前に開いて使うタイプの物だ。だが水波は天板を閉じたまま、横向きに座ってぼんやりしていた。

 本棚には今時珍しい紙の書籍がぎっしりと詰まっている。日本語の本と、漢語の本が半々だ。日本語の書籍の中には前世紀以前の文学全集も含まれていて、水波にはかえって目新しい。彼女はこの屋敷で、気分転換には、もっぱらダイニングで読書をして過ごしていた。

 だが今は、本棚に手を伸ばそうともしない。考え事で、何も手に付かない状態だ。

 

「(私はいったいどうすれば良いのでしょうか……私は達也さまと深雪様のお側に一生お仕えすると誓った身でありながら、そのお二人を裏切って光宣さまに手を貸してしまった……これは許されることではないでしょう。たとえ達也さまや深雪様がお許しになってくださったとしても、四葉家の方々が私のことを裁くべきだと言い出してもおかしくはありません。調整体として四葉家に尽くす為に創られた私が、四葉家次期当主の邪魔をしたのですから、そう思われても仕方ありません)」

 

 

 水波は特例で達也の側にいることを認められているのだが、それでも自分に自信が持てないでいた。そこに現れた光宣を庇ったことで、水波は完全に四葉家から狙われていると勘違いをしていたのだ。

 

「(達也さまが必死に私たちを追いかけているのは、光宣さまが取り込んだパラサイトを滅する為と、私を取り戻して処断する為に違いありません……今はまだ光宣さまが使っている結界術を破れずにいるようですが、近い内に達也さまならば突破できるでしょう。そうなれば、光宣さまだけではなく私も……)」

 

 

 そこまで考えて、水波は無意識のうちに自分の身体を抱きしめていたことに気が付いた。自分が何に怯えているのか、それを自覚したような表情を浮かべる。

 

「(私は許されるべきではないのでしょう……達也さまと深雪様を裏切り、光宣さまの好意を利用して生き永らえようとしている……人であることも魔法師であることもどちらも捨てられずにいる私を、光宣さまは何時までも待つと言って下さっているというのに……)」

 

 

 光宣の気持ちは、水波も素直に嬉しいと感じている。自分とは釣り合わないであろう美少年が自分の事を好いてくれているのだ。たとえ想い人がいたとしても心が揺らいでしまうのは、水波の年齢なら仕方がないのかもしれない。彼女はほのかとは違い、思い込んだら一直線という性格ではないのだから。

 だが心のどこかで、水波は光宣のことを拒絶している。そうで無ければとっくに光宣の申し出を受けてパラサイトになっていたとしてもおかしくはない状況だ。帰れないと分かっているのだから、希望を残してる意味はない。

 

「(私は、心のどこかで許されることを望んでいるのでしょうか……? 許されるようなことではないと思いながら、達也さまと深雪様なら許してくださると思っている……?)」

 

 

 そんな自分に都合の良い考えが頭を過り、水波は慌てて頭を振りその思考を追いやる。そんなあるわけない希望に時間を取られている余裕は、今の水波には無いのだ。

 

「(私が国外に行ってしまえば、さすがの達也さまでも追いかけてくることはできないでしょう。そうなれば光宣さまは達也さまに討たれることなく過ごすことができる……私も、あの生活に未練がなくなるのでしょうか……)」

 

 

 いきなり告げられた国外逃亡。水波の理性は「行くべきではない」と告げている。同行を断れば解放すると、光宣は言ってくれている。「達也や深雪に合わせる顔がない」と思う一方で、「帰りたい」という気持ちは水波の中に、確かに存在する。

 理性も気持ちも、出している答えは同じ。それなのに、水波は迷っていた。それは、彼女が思い違いをしているという面が大きい。

 

「(たとえ解放されたとしても、私があの場所に帰れるはずがない。帰れたとしても、以前のような生活ができるわけもなく、四葉本家で処断までの時間を過ごすだけでしょう……人としても、魔法師としても未来などあるはずがないのです)」

 

 

 達也の治療法では魔法を失う可能性があり、光宣の方法では人として生きていくことができなくなる。光宣の方法は確実に人ではなくなるが、達也の方法は改善の余地が残っており、魔法を失うことなく生活できるかもしれないと言われていた。実際、達也が施されていた封印と理論上は同じなので、威力は衰えるが魔法を失うことはなかった。

 だが水波は、咄嗟に達也と光宣のどちらを選ぶべきか決断できずに、二つの可能性しかなかったはずの未来に、三つ目の絶望的な未来を作り出してしまったと後悔しているのだった。




三つ目の選択肢は選びたくないな……

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