劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1995 / 2283
暗躍するのにこんなピッタリな人はいない


八雲の報せ

 処断されると思い込んでいながら尚、水波は達也と深雪の許に戻りたいと願っている。そして光宣の好意に返答する勇気が出せずにいる自分に苛立っていた。

 

「(……最低だ、私……)」

 

 

 主である達也と深雪を裏切っておきながら、あの人たちの許に帰りたいと願うのか。光宣に答えを返さず、曖昧な関係のまま、必要とされる心地好さに浸っているのか。考えれば考える程、自分が卑怯な人間に思えてくる。彼女の精神状態が回復不能なレベルまで墜落しなかったのは、突如室内に生じた人の気配に、警戒心を最高レベルまでかき立てられたからだった。

 

「――っ! 誰ですか!」

 

「ごめんごめん」

 

 

 いや、「かき立てられたお陰だった」と表現するべきかもしれない。水波が感じた気配は不思議なことに、まず声だけが彼女の意識に届いたのだ。

 

「驚かせちゃったみたいだね」

 

「僧都さま……?」

 

 

 水波は思わず、何度もせわしなく瞬きを繰り返した。正面から声が聞こえた、その後に、八雲の姿が見えるようになったのだ。

 

「いつの間に……」

 

「たった今だよ。ノックをしなかったのは申し訳ないけど、あっちに気付かれたくなかったからね」

 

 

 そう言って八雲は、ダイニングの方角へと顔を向ける。八雲が光宣だけではなく真言たちにも気づかれたくなかったのだろうと、水波はそれだけで理解した。

 

「いえ……考え事をしていただけですので、別に」

 

 

 乙女の部屋に無断侵入だ。本当は、簡単に許してはならないことだが、驚愕で心が麻痺していた水波は怒ることができなかった。

 

「それよりも、僧都さまはお帰りになられたのではな……?」

 

 

 先ほど八雲は「一つ約束して欲しい」と言った。それに光宣が応じたことで、八雲の用件は終わったのではないか。水波はそう考えたのだった。

 

「君に報せておきたいことがあって」

 

「私にですか?」

 

 

 水波が思った通り、光宣に対する用件は終わっていた。それとは別に、八雲は自分にさせたい事があるようだと水波は受け取った。だいたいにおいて「報せる」という行為は、その知識に沿った行動を取らせる為のものだ。

 

「達也くんはミッドウェー島にある米軍の監獄から数人の魔法師を連れ出して欲しいという依頼を受けている」

 

「それは……! いくら達也さまでも、難しいのではないでしょうか」

 

「能力的には問題ないよ。達也くん自身にも利益がある話だ」

 

 

 アメリカ軍の監獄を破るなど、水波には無謀としか思えない。だが達也の力量は、自分よりも八雲の方が良く知っているだろうと、水波は考えなおした。しかしそれが自分とどう関係するのか、水波には全く見当がつかない。水波のそんな表情を見て、八雲が人の悪い笑みを浮かべた。

 

「ただ、場所が場所だ。達也くんもなかなか踏ん切りがつかないようでね。まっ、無理もない。達也くんはこの依頼がもたらす本当の利益をまだ理解していないみたいだから。婚約者の一人である可愛い女の子に頼まれたというだけでは、遥々ミッドウェー島まで遠征する気にはなれないのだろう」

 

 

 ニヤニヤと笑いながら、八雲は「可愛い女の子」を強調した。だが水波は繰り返された地名で、八雲が何を言おうとしているのか覚った。

 

「……僧都さまは先程、光宣さまの行き先はミッドウェー島だと仰いました」

 

 

 水波の言葉に、八雲が「おっ?」という感じで軽く目を見張る。

 

「私が光宣さまに付いて行けば……」

 

「達也くんは、追いかけるだろうね」

 

 

 八雲の笑みが「ニヤニヤ」から「ニヤリ」に変わる。

 

「――ミッドウェー島まで」

 

「……そう、でしょうか」

 

「ああ、間違いないよ。そして達也くんはミッドウェー島で、ついでに監獄破りの依頼を片付けるだろうけど」

 

「……それは達也さまにとって、大きな利益になるのですね?」

 

「達也くんと深雪くんの未来を保障する縁の一つになると思うよ」

 

 

 八雲の答えは、水波の期待を上回るものだった。

 

「分かりました。正直申しまして迷っておりましたが、僧都さまのご助言で決心がつきました」

 

「助言のつもりは無かったんだけど、お役に立てたのなら何よりだ」

 

 

 それで話は終わりだと思っていた水波だったが、未だ八雲がニヤニヤとしているのが気に懸かり、思わず八雲を見詰めながら首を傾げる。

 

「どうかしたのかい?」

 

「いえ……僧都さまは何故この事を私に言いに来たのかが気になりまして」

 

「それは簡単だよ。君が行けば達也くんの利益になり、それは日本の利益に繋がる」

 

「はぁ……」

 

「それに、思い違いをしている美少女に、本当のことを教えてあげたくてね」

 

「本当のこと……?」

 

 

 水波は「美少女」ではなくそちらに引っ掛かった。自分の容姿に自信が持てていないのもあるが、それ以上にそちらに気を取られたのだろう。

 

「達也くんたちは君を処断したいとは考えていないよ。達也くんも深雪くんも、必死になって君を取り戻そうとしているんだ。家族なんだろ?」

 

 

 八雲は達也が水波のことを「家族」だと表現した事を水波に告げる。その一言だけで、水波は自分がどれだけあの二人に思われていたのかを理解し、八雲に向かって深々とお辞儀をする。彼女が顔を上げた時、八雲の姿は既に無かった。




水波もだいぶ覚悟が決まっただろうな

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