劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1996 / 2283
覚える必要のない罪悪感


小さくない罪悪感

 光宣は真言との話し合いに十五分前後の時間を費やした。逃亡に九島家の手を借りることそのものについてはすぐに決まったが、細かい段取りを詰める必要があったのだ。父親の真言と次兄の蒼司を送り出し――真言はそのまま帰途についたが、蒼司は結界のすぐ外に停まっている乗用車で待機だ。

 光宣は水波の部屋に向かった。躊躇いを乗り越えて、扉を叩く。中から「少々お待ちください」という応えがあった。バタン、というまるでスーツケースを勢い良く閉じたような音が漏れ聞こえた。

 

「(荷物を纏めているのだろうか? 帰宅する為に? それとも、僕と一緒に日本から出て行く為に?)」

 

「お待たせしました」

 

 

 光宣が自分に都合のいい解釈を思い浮かべた、丁度のタイミングで扉が開かれ水波が中から顔を見せる。

 

「あっ、あぁ、ごめん」

 

 

 水波と顔を合わせて、光宣は反射的に謝ってしまう。しかし当然、水波には何に謝罪されているのか分からない。小首をかしげる水波を見て、光宣の鼓動はますます激しくなった。

 

「ええと……」

 

「光宣さま」

 

 

 何とか呼吸を整えて、用件を切り出そうとする光宣だったが、それを水波の声が遮った。

 

「人を捨てるのか、魔法を捨てるのか。私はまだ、結論が出せません」

 

 

 本当はとっくに結論は出ているのだが、水波はそんなことを微塵も感じさせない表情で光宣に告げる。もし光宣が達也のように人の心の裡まで見透かすような視線を向けてきていたら、水波も動揺してぼろが出たかもしれないが、光宣は水波の言葉を疑っている様子はない。

 

「そう……」

 

 

 光宣は落胆を隠そうとしたが、完全には果たせなかった。彼の声には、閉じ込めきれなかった本音が滲みだしていた。その分かり易い態度に、水波の心は少しだけ痛んだ。

 

「(私は、こんなにも私のことを想ってくださっている光宣さまを利用しようとしているのですね……ただ私が許されるための手土産を用意する為だけに……)」

 

 

 先ほど八雲から聞かされた、達也のミッドウェー島襲撃計画。それが達也や深雪の――つまり四葉家の利益に繋がると聞き、その決断を促す為にだけに光宣に付いて行くと決心した水波だったが、光宣を利用することに完全に納得できていなかったのだ。

 

「だから、もうしばらく考えさせていただけませんか」

 

「えっ……?」

 

 

 心の中の葛藤を見せずに続けた水波の言葉で、光宣の表情は押し殺した失望から隠し切れない期待へと反転する。

 

「(あぁ……光宣さまは本当に私のことを想ってくださっているのですね……)」

 

 

 ただ付いて行くというニュアンスを匂わせただけで、ここまで喜ばれるのは水波の良心に多大なるダメージを与える。だがそれでも、水波は続きを言わなければという思いに駆られた。

 

「何時までも、とは申しません。それでもよろしければ、ご一緒させてくださいますか?」

 

「良いよ、もちろん! 喜んで!」

 

 

 光宣の顔が歓喜に輝く。ただでさえ人間離れしている美貌が、芸術と光明を司る青年神の如き輝きに彩られた。その美に圧倒されながら、水波の心は先程から感じている痛みを覚える。

 

「(光宣さまは私の発言を心から信じてくださっている……私が心の中で貴方を利用しようとしているなどと考えもせずに……)」

 

 

 迷っているというのは、嘘では無い。水波は自分が無用の存在になることを恐れていた。誰の役にも立てずに、誰からも必要とされない。それを水波は、盲目的に怖がっている。偏執的な恐怖とも言えるだろう。それこそが水波にとって最悪の未来だ。

 

「(僧都さまが仰られた『家族』という意味……達也さまがそう仰られたのなら、たとえ魔法力が低下してもお側にいられる)」

 

 

 魔法を失った自分は、もう「深雪様」の役に立てないかもしれない。人間であることを辞めた自分は、もう「達也さま」と「深雪様」の側にいられないだろう。

 彼女は光宣が自分のことを本当に必要としてくれているとは、思えずにいる。自分を治そうとする光宣の本気は疑っていない。だが今は本気でも、それがずっと続くとは思えない。今は、自分を側に置きたがっているが、しかしそれも

何時まで続くか分からない。

 

「(自分と光宣さまでは、釣り合わない。自分に光宣さまの心を掴むだけの魅力があるとは、とても思えない)」

 

 

 だから水波は迷っている。迷っているふりではなく、本当に決心がつかない。ここで光宣と別れるか、もう少し光宣の行動を見てから判断するかの決心がつかないのだ。

 だが八雲から聞かされた「達也と深雪の未来を保障する」という言葉が、光宣と一緒に行くという決断の決め手になっているのも確かだった。

 

「(光宣さまは純粋に自分を案じてくれているというのに、私はそんな光宣さまの好意を利用しようとしているなんて)」

 

 

 それが水波の心に小さくない痛みを与えている罪悪感の正体。もしかしたら光宣は本気で自分のことを想ってくれているのかもしれない。だから人間であることを辞めてまで自分のことを治療しようとしてくれているのかもしれない。その考えが、水波の心を酷く痛めつけるのだった。




真面目だから仕方ないんですけどね

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