劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

1997 / 2283
本来なら達也が勝てるんですけどね


結界内での攻防

 達也が青木ヶ原樹海に到着した時、時計の針は午後五時を少し回っていた。場所は月曜日に、十文字家の追跡隊が光宣の逃走車両を見失った地点。達也があの時、幻術を破って最初に発見した細い道に、新しい轍が刻まれているのを彼は認めた。

 

「(ここで正しかったのか)」

 

 

 微かな苦みを伴った思考が、達也の意識の中に湧き出した。隠れ家の精確な座標を特定した今なら分かる。この道で正しかったのだ。あの日、もう少し粘り強く探していれば――

 

「(……いや、詮無い課程だな)」

 

 

 日付が変わるまで探しても、あの時は正しい道を見つけられなかっただろう。今日は先に結界を破った者がいるから、達也にもゴールが見えたのだ。目的地から逆にたどらなければ、そこにたどり着く経路が分からない。少なくとも達也にとってこの結界は、そういう難解な迷路だった。

 達也は路肩に電動二輪『ウイングレス』を駐め、徒歩で樹海の中に踏み入った。バイクを駐車した場所から光宣の隠れ家まで、直線距離でおよそ七百メートル。自分の足で走っても、大して時間は掛からない。道がくねっているであろうことを考慮に入れても、十分足らずでたどり着けるだろう。

 達也が着用している四葉家製の飛行装甲服『フリードスーツ』には、独立魔装大隊が開発した『ムーバル・スーツ』のようなパワーアシスト機能は備わっていないが、機械的なパーツが少ない分軽量に仕上がっている。総重量は二十キログラム未満。このていどの重さなら魔法を併用しなくても達也は苦にしない。普通の高校生陸上選手が競技会で走るのと同程度の速度は出せる。彼はゆっくりと走り出し、徐々にスピードを上げていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也の接近を、光宣は『精霊の眼』ではなく『蹟兵八陣』のセンサー機能で察知した。

 

「(来たか!)」

 

 

 彼はまだ、水波と共に隠れ家の中にいる。達也を迎え撃つ為に、ではない。『蹟兵八陣』の結界は魔法的な探知を妨げる。『鬼門遁甲』の固定型陣地結界『蹟兵八陣』は、最早達也の侵入を阻み得ないかもしれないが、結界の外にいるよりは達也に見つかりにくいはずだ。達也が結界内に侵入した瞬間が勝負のタイミング、光宣はそう決めていた。

 『蹟兵八陣』が達也の「視力」を妨害している間に、水波のエイドスをコピーして貼り付けたガイノイドを、光宣のエイドスのコピーを自分に貼り付かせた九島蒼司が運転する車で、結界の外に逃がす。達也がそれに引っ掛かってくれれば、その隙に光宣は水波を連れて反対方向へ逃走する。もし引っ掛からなければ――正面衝突も覚悟する。

 ここを切り抜け、小田原まで行けば『仮装遁甲』を使用する地理的な条件が整う。『仮装遁甲』は『仮装行列』と『鬼門遁甲』の複合魔法。光宣が今日半日で組み上げた即興の術式で、彼以外に知る者はいないはずの魔法だ。幾ら達也でも、未知の魔法をすぐに見破るのは不可能に違いない――光宣は祈るようにそう思った。パラサイトである自分には、祈る神が存在しないと知りながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 中距離ランナー並みのスピードで駆けていた達也は、微かな、だが無視し得ない違和感を覚えて立ち止まった。まるで弱い足払いを掛けられたの如く、足を踏み下ろした位置をわずかにずらされた気がしたのである。

 

「(ムッ? これが『鬼門遁甲』の効果か……)」

 

 

 『鬼門遁甲』は方位を欺く魔法。それは以前から知っていた達也だが、「方位を欺く」とはどういうことなのか、それを実感したのは初めてのような気がした。

 おそらく、バイクに乗っていては気付けなかっただろう。魔法でアシストしながら走っていても、分からなかったかもしれない。自分自身の足で踏みしめる地面を感じながら進んでいたからこそ、僅かなズレに気が付けたに違いない。もっともその感覚も、達也だからこそ感じられたものだった。

 

「(それも行く先が分かっていてこそか)」

 

 

 今回は目的地が特定できている。曲がりくねった道を、常にゴールの位置を確認しながら進んでいるから、方向をずらされた時、それが勘違いでないと確信できた。

 

「(つくづく厄介な魔法だ……)」

 

 

 東亜大陸流古式魔法『鬼門遁甲』の威力を、達也は改めて見せつけられた思いだった。彼一人の力では、この結界を破るのはまだまだ難しかっただろう。九島家の意図が何であるにせよ、今はそれに助けられている格好だ。達也は遂に『蹟兵八陣』の境界を踏み越えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也の侵入を感知するのと同時に、光宣は指向性近距離無線機のスイッチを押した。

 

「(来た!)蒼司兄さん、出発してください」

 

『分かった』

 

 

 通信機から明らかに不満げな、それでも反抗の気配はまるでない応えが返る。結界が、外に抜け出す車の反応を伝えた。光宣の『精霊の眼』は、自分のエイドスコピーを纏った蒼司と水波のエイドスコピーを張りつけられた女性型アンドロイドが予定のコースに乗ったのを「視認」した。

 

「(後は、達也さんが上手く引っ掛かってくれれば!)」

 

 

 まだ屋敷内に潜入を許したわけではなかったのだが、光宣は思わず息をひそめて、結界が伝える達也の動向を見詰めた。




さすがに樹海ごと消し去るのはマズいし……

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