もうすぐ午後六時になろうという、夕暮れ時。夏至を過ぎてもまだまだ日の長い時期ではあるが、空が雲に覆われている所為で薄暗くなってきている。
「夕立が来るかもしれないね」
「家で傘を貸しましょうか?」
最寄駅から美月の自宅に向かう川縁の道を、美月と幹比古は並んで歩きながらそんな会話を交わしていた。
「上がっていっても大丈夫ですよ。父はまだ帰ってきてないはずですので」
そう言って美月がクスッと笑う。幹比古が美月を自宅まで送っていくのはこれが初めてのことではなく、美月の両親に「ご挨拶」も済ませている。その際、美月の父親の幹比古に対する態度は随分厳しいものだった。美月の母親が後で「大人げない」と窘めた程だ。幹比古は「柴田さんも女の子だし、仕方がないのかな」と苦笑い交じりに自分を納得させたが、苦手意識が根付いてしまったのは否定出来なかった。
「い、いや、もう遅いし。家の前まで送っていくだけにするよ」
「そうですか?」
美月は残念そうな表情を見せた後、もう一度笑みをこぼした。美月の笑顔に、幹比古が瞬間的な硬直に見舞われる。しかしすぐに、幹比古も照れくさそうな笑みを浮かべた。第三者にはむず痒くなるような、ほのぼのとしながらもくすぐったい雰囲気を醸し出しながら、美月と幹比古が川に沿った土手の道を歩いていく。
付き合っていながらも互いにこれ以上踏み込めない関係を続けている二人だが、本人たちはこれで十分だと言っているし、周りもせっつくのを止めたので進展はない。手が触れようものなら互いに顔を真っ赤にして謝り合うだろうと、エリカからだけではなく雫や香澄たちからもからかわれているのだが、それは本人たちも自覚している。
だが幹比古も美月も、今の雰囲気で十分満足しており、これ以上先に進むのは高校を卒業してからでも遅くはないと考えている。そんな美月の考え方を知っているのか、美月の母親も「仕方がない」と言いたげな目で二人を見詰めたこともあった。今の二人を見れば、同じような目をするだろう。
その「良いムード」を壊したのは美月の母親ではなく、予定外に早く帰宅した父親でもなく、不気味なオーラを纏った三人の男だった。近所の暇人が談笑しながら散歩している、といった態で近づいてくる三人の人影に、美月と幹比古は顔色を変えて同時に足を止めた。
不気味といっても、見た目はいたってまともだった。年齢は三十代から四十代前半。暴力的な気配を放っているわけでもない――その逆だ。気配が薄く、嘘くさかった。
幹比古はその異常を彼らが身に纏う偽装の空気から、美月は眼鏡越しにも分かるまがまがしい色のオーラから見抜いた。身構える幹比古とその背中に隠れる美月の反応に、三人の男たちは一様に感心の表情を浮かべた。
男の一人がいきなり、水平に飛んだ。「跳ぶ」のではなく「飛んだ」のだ。幹比古は慌てて、美月を背中で押しながら道の端に避ける。よろけた美月を片手で支えた幹比古が顔を上げた時には、その男に駅へと続く道を塞がれていた。起動式の展開を視認させない程の早業。それだけでこの三人が、強く、危険な魔法師だと幹比古には分かった。美月も直感的に彼らの危険性を覚った。
前に二人、後ろに一人。男たちに挟まれて、幹比古は体勢を彼らに対して横向きに替えた。川を背負う向きだ。背中には美月を庇っている。
「何か、用ですか」
右に二人、左に一人、後ろに川、前に空き地。幹比古は美月の自宅へと続く道に立ちはだかる、右手の二人に問い掛けた。答えを――話し合いを期待してのことではない。ここは人里離れた山奥ではなく、端の方とはいえ住宅街の中だ。住民が警察を呼んでくれることを期待しての時間稼ぎだった。しかし、男たちから答えは返ってこなかった。
幹比古が左手を勢いよく振り下ろす。袖口から飛び出した金属製の扇を、幹比古はタイミング良くキャッチした。幹比古専用のCADであるそれを片手で軽く開き、扇を構成している金属製の短冊を一枚、右手の人差し指で押さえる。
幹比古と美月の周りを、風が巡り始めた。渦を巻く風が、幹比古の左側から吹き付けたエアロゾル混じりの風を遮断する。
エアロゾルの正体は、自由意思を麻痺させる薬物の霧。勘で放った魔法が、男たちの攻撃を遮断した。男たちの顔色が変わる。鼻歌混じりの気楽な表情、分かり易く言えば「相手をなめた顔」が、戦いに挑む顔つきになる。
「何者だ!」
幹比古に、薬物の成分までは分からなかった。だが攻撃を受けた確かな事実、そこに潜む紛れもない悪意を認識した幹比古は、鋭い声で誰何した。
彼の叫びは、反射的な問いかけだった。今度も答えが返ってくるとは期待していない。だが予想に反して、毒気流の攻撃魔法を放った左の男が、幹比古の問いかけに答えた。
「ホースヘッド」
「(ホースヘッド?)」
答えが返ってきたことにも意外感を覚えたが、男が答えた単語に心当たりが無かった幹比古。その疑問が意識を捕らえ、敵への集中を損なう。そこに、隙が生まれた。
ラブコメは途中で終わりました