劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

2010 / 2283
この程度読んでいても不思議ではない


達也の指示

 深雪の許にピクシーから再び連絡が届いた時、時計の針は午後六時を五分すぎようとしていた。

 

『深雪様。よろしいでしょうか』

 

「ピクシーね。報告してちょうだい」

 

『光井様の・移動が・止まりました。誘拐犯の・アジトに・到着したものと・思われます』

 

「ほのかは無事なの?」

 

『光井様は依然として・薬物の影響下に・あるようですが・それ以外のダメージは・感知できません』

 

「そう……」

 

 

 深雪がホッと安堵の息を漏らす。ほのかにメディカルセンサーが取り付けられているわけではなく、ピクシーは医学的な情報を受信しているのではない。だがピクシーは距離に関わりなく、ほのかから想子の供給を受けている。その副産物として、ほのかのコンディショニングを相当程度詳細に知ることができるようだ。

 普段はほのかのプライバシーを尊重して、達也も深雪もピクシーからその情報を聞き出すことはない。だが今は非常事態だ。拉致被害者が身体的に危害を加えられていないという報告は、その安否を気遣う深雪にとって安心をもたらすものだった。

 

「ピクシー、ほのかを閉じ込めている場所の、正確な位置情報は分かるかしら」

 

 

 魔法とは本質的に、物理的な距離の制約を受けない。裏を返せば、魔法的なつながりだけでは相手との距離や方向を導き出せない。しかしピクシーは、パラサイトと人型機械の融合体。想子レーダーと同じように、自分が受信する想子波の方向と距離、自分が供給を受ける想子流と関連付けながら認識できる。

 

『地図データと・照合中……。照合が・完了しました。データを・お送りしますか』

 

「ええ、お願い」

 

『かしこまりました』

 

 

 その応えと共にデータ受信のサインが点り、音声のみの通信だった端末のディスプレイに地図が表示される。

 

「受け取ったわ。引き続き、監視をお願い」

 

『はい・深雪様。監視を・続行します』

 

 

 深雪はリモコンでピクシーとの通信を切った。最初に電話を受けたのは自分の部屋だったが、今はリビングに移動している。深雪はソファから立ち上がり、振り返って背後に控えていた男性に目を向けた。

 

「兵庫さん」

 

「はい、深雪様」

 

「すぐに車を出せますか」

 

 

 花菱兵庫が恭しい口調で応え、深雪は端的に兵庫へ問い掛けた。だが兵庫はこの問いかけに答えなかった。

 

「恐れながら、深雪様はご自身で光井様の救助に向かわれるおつもりですか?」

 

「そうです」

 

 

 質問に質問を返すという、従者らしからぬ言動をとった兵庫だったが、深雪は特に気分を害した様子を見せずに頷いた。

 

「いけません」

 

「いけない、とは? 行くな、ということですか?」

 

「然様でございます」

 

「貴方が、私に命令すると?」

 

「命令ではございません。達也様からの指示でございます」

 

「達也様の?」

 

「はい。この様な些事で深雪様の御身を危険に曝すわけにはいかないと」

 

「些事? 兵庫さん、貴方はほのかの――婚約者の一人の危難を些事と達也様が仰ったというのですか」

 

 

 冷え冷えとした声がリビングに響く。深雪は決して大きな声を張り上げていない。だが彼女の声は、特に音響を考慮していないはずの部屋の中に谺した。兵庫は恐れ入ったように頭を下げたが、恐れている様子は無かった。

 

「深雪様が自ら御手を煩わせるほどの価値はございません。何となれば、これより私が出向いて片付けて参るからでございます」

 

「兵庫さんが?」

 

 

 深雪が訝し気に眉を顰める。兵庫が達也の執事になる前に海外の民間軍事会社で経験を積んでいるという、彼のキャリアは深雪も知っている。だが深雪は兵庫が実際に戦ったところを見た事も無ければ、そんな話を聞いたこともない。

 それ以上に疑問を覚えたのは、深雪の目から見て兵庫の魔法師としての技量は、大したものではないという点だ。深雪には兵庫が、自信たっぷりに語るほどの戦闘力を持っているとは見えなかった。

 

「はい。私にお任せください」

 

 

 恭しく深雪に向かって腰を折る兵庫。兵庫を見る深雪の目付きは厳しいままだ。真夏のリビングが冷房によるものではない冷気に覆われているような気がして、先ほどから沈黙を守っていた――深雪の静かな迫力に沈黙を強いられていたと表現した方が良いかもしれない――もう一人の同席者が慌て気味に口を挿んだ。

 

「深雪、私も彼に付いて行くわ。それなら良いでしょう?」

 

「リーナ、貴女が?」

 

「ええ。私の強さは、深雪も知っての通りよ」

 

「エリカに肩の骨を折られ、私の魔法力に圧倒されかけて、達也様に真正面から挑んで負けた貴女の実力なら、良く知ってるわよ」

 

「喧嘩売ってるの!?」

 

 

 深雪の冗談に本気で喰ってかかるリーナ。その反応を見て冷静さを取り戻したのか、深雪は一度咳ばらいをしてからリーナを見詰めた。

 

「ほのかを攫った相手が誰だか分からないのよ? もしUSNAの工作員だったらどうするの?」

 

「ステイツの工作員が、どんな理由でほのかを攫うのよ?」

 

「それは、そうだけど……」

 

 

 このまま事態が進めば、USNAの非合法暗殺部隊・イリーガルMAPホースヘッド分隊と『アンジー・シリウス』であるリーナが首都のすぐ側で激突するという、ややこしい事態に発展すると理解している兵庫は、どうにかしてリーナの同行を阻止しようとしたが、それを未然に防止したのは、マンションの電話ではなく、深雪の携帯端末が鳴らした受信のコール音だった。

 

「はい……エリカ?」

 

 

 電話の相手の名を聞いて、兵庫は二人に見えないように安堵の息を漏らしたのだった。




リーナ涙目……

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