藤林長正を河口湖畔に確保した拠点まで連行した黒羽貢は、息子と娘から激しい突き上げを受けていた。
「お父様。理由を仰ってください。何故達也さんに援軍を出せないのですか?」
「何度も言っているとおりだよ。達也君は既に米軍の非合法工作員部隊を撃破し、機動隊の追跡を振り切っている。もう援軍は必要ない」
「ですがまだ、九重八雲先生の妨害を受けているのでしょう? 必要か不要かに拘わらず、助けに行った方が良いと思います」
達也の状況を黒羽家は『千里眼』と『順風耳』の異能力者を動員することで掴んでいた。『千里眼』は遠隔視、『順風耳』は遠くの音を聞く異能で、どちらも物理的な信号を知覚する能力でしかない。彼らに八雲の幻術を破る技量は無かったが、時折達也が八雲の幻術を破ることで、監視の彼らにも達也が誰と戦っているのか確認できていた。
そして黒羽家が入手した情報は、逐次本家にも伝えられている。現状において関係者の中で、事態の推移を知らないのは、恐らく深雪だけだっただろう。
亜夜子はまだ冷静さを欠いていない口調で父親に問いかけたのだが、亜夜子の言葉を受けて、文弥が強い口調で訴え始める。
「姉さんの言う通りですよ! 達也兄さんにとって今、最大の敵は時間です。勝ち負けより一刻も早く切り抜けることを、達也兄さんは望んでいるはずです! 僕たちが助けに行くのは、決して無駄ではないと思います!」
「文弥、確かにお前の言う通り、今の達也君にとって真の敵は時間だ。しかし彼の前に現実の敵として立ち塞がっているのは当代最高の忍術使いと呼ばれている男だ。数が多ければ良いというものではない。お前が行くことで、かえって達也君の妨げになるかもしれない」
文弥の抗議を、貢は一見厳しくもっともらしい理屈で却下しようとしている。口惜しそうな文弥の表情を窺えば、それは上手くいったかに見えた。
「お父様、私はそうは思いませんわ」
しかし貢の理屈では亜夜子を納得させることはできなかった。文弥は亜夜子が何を言うのか気にする余裕がない精神状態だったが、貢は亜夜子が何を言いだすのかに集中していた。
「九重先生は忍術使い。『忍術』が得意とする分野は、精神干渉系の幻覚魔法です。精神干渉系に適性が無い私ならともかく、精神干渉系魔法に高い適性を持つ文弥は達也さんの御力になれるはずです」
「それは、そうかもしれないが……」
亜夜子の言い分に、貢は思わず言葉を詰まらせる。彼は基本的に親馬鹿なので、息子と娘の能力を誰よりも高く評価している。彼も本音では、文弥なら八雲に対抗できると考えていた。だから自分の本心を突かれた格好になる亜夜子の理屈を否定することは、相手が娘であるだけに、貢にとって難しかった。
「それに我が家には、甲賀の流れを汲む『忍術使い』が大勢います。文弥だけでは荷が重くても、お父様の部下を貸していただければ九重先生の足止めくらいはできると思いますが」
これも貢が腹の底で考えている通りだ。彼は答えに窮して、とうとう本当の理由を打ち明ける羽目になってしまう。
「ダメだ。真夜さんに――本家の御当主に止められている」
「御当主様が!?」
貢の曝露に、亜夜子と文弥の声が重なる。それだけ貢の告白は双子にとって衝撃が強いものだったのだ。
「何故ですか!?」
これも、二人同時の問いかけだった。双子ならではのシンクロなのかもしれないが、ここにいたのが深雪だったとしても、二人と同じタイミングで同じ言葉を発したかもしれない。それくらい、真夜の命令は不可解な点があるのだ。
「……理由までは聞かされていない」
貢の声から微かな不満を感じ取って、文弥は父親が本当に理由を知らないのだと覚った。父としても不本意なのだろう。それが理解できたから、文弥はそれ以上の追及ができなかった。しかし亜夜子はそれで引き下がるほど素直ではなかった。
「そうですか。では直接、ご当主様に理由をうかがいます」
「姉さん!?」
亜夜子の暴挙を、文弥は止めようとした。いくら次期当主の婚約者とはいえ、今の立場は分家の娘。本家当主の考えを問いただすなど、失礼極まりない行為だ。もしかしたら、真夜が亜夜子を罰すると言い出すかもしれない行動だ。文弥でなくても止めるのが普通だ。しかし貢は、娘の我が儘を止めなかった。
「そうだな……。亜夜子になら、御当主も本当のことを話してくださるかもしれない」
「父さん!?」
てっきり自分と一緒に姉を止めてくれると思っていた文弥は、貢の反応に驚き身体ごと貢に振り返る。その所為で押さえていた亜夜子の腕を離してしまった。
「お許し、ありがとうございます、お父様。では、電話を掛けて参りますので」
文弥の拘束から解放された亜夜子は、そう言って立ち上がりこの場を去っていく。
「姉さん、待ってよ!」
内心では真夜の真意が気になりながらも、自分たちの立場を考えて自重していた文弥も、慌てて立ち上がりその後に続いた。
「文弥さんはお父様とお話ししていれば良いんじゃないかしら?」
「そんなこと言わないでよ!」
自分の後をつけてくる弟に、亜夜子は冷たく言い放ったが、その表情は笑っていた。
達也大好き姉弟ですから