互いの攻撃を受け、二人ががくりと膝を折る。柳はそのまま床に両膝を突き、達也は崩れ落ちることなく体勢を立て直した。『再成』によって、ダメージを無かったことにしたのだ。両膝に加えて左手を床に突き、右手で胸を押さえて額に脂汗を滲ませる柳と、目を見張って立ち竦む彼の部下の横をすり抜けて、達也は部屋の奥に進む。佐伯のデスクへ。
達也の視界が塞がれる。風間が彼の前に立っていた。風間が何時動いたのか、達也には分からなかった。達也は停止ではなく、前進を選択した。
達也と風間が交差する。達也の身体が、宙を舞った。達也が佐伯のデスクに叩きつけられる。デスクの天板ではなく前面に衝突して達也の身体が床に転がる。風間は、振り返らない。達也は風間の方を向いて、何事もなかったように立ち上がった。
「……肉を切らせて骨を断つ、か」
「いえ、相討ちでした。ただ、俺にはダメージを消す手段がある。その違いです」
風間の言葉に、達也が事実だけを伝える口調で応える。よく見れば、風間の両足は細かく震えている。彼は倒れそうになっている身体を懸命に支えていた。
達也は投げられた瞬間に、掴まれた腕を作用点にして振動波を送り込んでいたのだ。柳に浴びせたのより、ずっと強力な振動魔法だ。いくらフラッシュ・キャストでも、一瞬で発動を終えるというわけにはいかない。そんなことをしていれば、受け身を取る時間的な余裕が無くなる。自動的に作動する自己修復能力があるからこそ可能な真似だった。
達也が振り返り、佐伯へ手を伸ばす。佐伯は咄嗟に、拳銃を隠した引き出しに手を掛けた。だが達也の興味は彼女に向けられていなかった。
達也の手が、デスクのコンソールに到達した。予想を外されて、佐伯が硬直する。扉のロックを解除し、達也が身を翻す。
「師匠に勝ったのは、まぐれではなかったか」
「あれは俺の負けです。まだまだ、師匠には勝てません」
扉に向かう達也の背中に、風間が話しかける。達也はその問いに応えながら、柳の横を通り過ぎた。柳は動けなかった。いや、動かなかった。
達也が司令官室を後にする。扉が閉まるのと同時に風間が片膝を突き、彼の許に二人、柳の許に一人、部下が駆け寄った。
達也が去って、およそ二分。呼吸を整え、風間が立ち上がった。
「柳少佐を医務室に連れていけ」
「ハッ」
柳は素直に部下の肩を借りて、司令官室を出ていく。
「お前も下がれ」
「分かりました」
一人残った下士官も、風間が下がらせる。司令官室は、佐伯と風間の二人きりになった。
「……中佐、本気を出しませんでしたね?」
「手は抜きませんでした」
佐伯は質問の形を取りながらも、風間を非難するような口調だ。風間は、本気を出さなかったという指摘については、否定しなかった。相手を殺さず、建物も調度品も壊さず。こんな条件の下で「本気」は出せない。それは柳も、達也も同じだ。
相手と同じ条件で、風間は許される範囲内の全力で達也を取り押さえようとした。その結果の敗北だ。「本気を出せなかった」などという負け惜しみを口にするのは、風間にとって恥ずべき醜態。同時に命令を果たせなかったのも事実だ、上官の非難に、それ以上反論するつもりはなかった。
「……逃げられてしまったものは仕方がありません。逮捕令状を取るのは無理ですから、密出国だけは阻止するように、今後は監視を強化します」
風間を責めても愚痴にしかならないと佐伯も分かっているのだろう。彼女は自分に言い聞かせるようにそう言って、今の一件を不問とした。
「ありがとうございます。ところで閣下、これはどうするのですか?」
風間がデスクに置いたのは、達也がぶつかった衝撃で床に落ちていた「退役届」だ。佐伯はその封筒を手に取ると、無言でデスク横のシュレッダーに放り込んだ。
「よろしいので?」
「本人も言っていたように、彼は正規の士官ではありません。元々国防軍に正式な籍は無いのですから、退役届自体が無意味な物です」
「では、達也の階級返上については、黙殺すると?」
「いいえ。本日付けで特務規則に基づく『大黒竜也特尉』の登録を抹消させます」
佐伯の決定は、風間にとって意外なものだった。彼は「よろしいので?」と同じフレーズをもう一度使って、上官の真意を確かめた。
「忠誠心の無い兵士は、いても有害なだけです。軍の後ろ盾が必要ないと言うなら、思い通りにさせてあげましょう」
佐伯のセリフは、達也に対する思い遣りから出たものではない。彼女の声は、今にも怒りで震えだしそうだった。
「独立魔装大隊の面々にも、今後司波達也への協力は禁止します。中佐からも厳しく伝えておいてください」
「分かりました」
「……ご苦労様でした。中佐も念の為医務室へ向かってください」
自分の中の怒りを何とか鎮めようとしているのか、佐伯は風間もこの部屋から追い出すようにそう付け加える。佐伯の気持ちが理解出来た風間は、敬礼をしてから部屋を辞し医務室へ向かう。
「初めから達也に忠誠心などなかったのだがな」
誰に聞かせるでもない独り言を零し、風間は司令官室から医務室までの道のりを普段の倍以上の時間をかけて移動したのだった。
倒れなかったのだけは立派だ