劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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今生の別れじゃないのに……


暫しの別れ

 七月二十日、土曜日。今日は一学期最後の日だが、達也は今日も登校しないつもりだった。だからといって彼は、朝遅くまで惰眠を貪ったりはしない。午前六時半。達也は何時も通り深雪と、それに最近始まった日常だがリーナとミアとの四人で、朝の食卓を囲んでいた。

 

「達也様、どうぞ」

 

 

 登校前だというのに、深雪が朝食を終えた達也に自分の手で淹れたコーヒーを差し出す。達也は「ありがとう」と応えてカップを受け取り、すぐに自分の唇へと運ぶ。

 

「美味い。深雪が淹れてくれたコーヒーをしばらく飲めなくなるのは辛いな」

 

 

 達也の言葉を聞いて、席に戻った深雪が寂し気に俯く。リーナは次のセリフを予想して思わず姿勢を正していたし、ミアは最初から綺麗な姿勢で座っているので、リーナのように姿勢を正す必要もない。

 

「今日、予定通り、巳焼島から北西ハワイ諸島に向かう」

 

 

 ワイアット・カーティス上院議員が駆逐艦を向かわせると約束したのは、今日の午後だ。あれからカーティスとは連絡を取っていないが、彼が寄越したスケジュールに狂いがなければ、今日の夜にはミッドウェー島へ、そしてパールアンドハーミーズ環礁へ向けて出航することになる。

 

「……はい」

 

 

 深雪の声は少し辛そうだ。単に寂しさを堪えているのではなく、達也のことが心配なのだろう。だが心配しているのは達也も同じ。

 

「リーナ、ミアさん。俺が留守の間、深雪を頼む」

 

「ええ、任せて。その代わり達也、ベンのことをお願い」

 

 

 達也がリーナに深雪の護衛を依頼し、リーナが達也にカノープス救出を頼む。すでに何度も交わされた約束をこの場でもう一度確かめ合うのは、達也が午前中に――二人が学校から帰ってくる前に巳焼島へ出発するからだ。

 

「お任せください。深雪さんもリーナのことを、しっかりと見ておきます」

 

「ちょっとミア、その言い方だと私にも不安があるように聞こえるのだけど?」

 

「あらリーナ。貴女、自分の能力に何の不安も懐かれないと思っているのかしら?」

 

「どういう意味よ!」

 

 

 確かにリーナの戦闘能力に関してだけ言えば、何の不安もないだろう。だが彼女の私生活やそれ以外の能力は、平均かそれ以下と言わざるを得ない酷さがある。具体的には、料理全般は戦力外と言われても仕方ないくらいだ。

 

「そんな感じに仲良くやってくれていれば、俺も何の不安もなく行ける」

 

「達也まで! ……頼んだわよ」

 

 

 急にリーナが真面目なトーンに変わり、達也の表情も険しさを増す。

 

「任せろ。カノープス少佐のことも、水波のことも」

 

「はい……。お願いします、達也様」

 

 

 一抹の不安を隠しきれない深雪の髪を優しく撫で、達也は部屋へと戻っていく。深雪とリーナも変身の時間を考えるとそろそろ家を出なければいけないので、深雪は朝食の片づけをミアに任せ、魔法を掛けてもらう為に自室へと引っ込んだのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 生徒会室で変身を解いて教室へ入ると、無事に退院したほのかと雫が出迎えてくれた。だがその表情は何処か暗い。

 

「おはよう深雪」

 

「おはよう? 何かあったの?」

 

 

 何故ほのかと雫が暗い表情をしているのかが分からない深雪は、率直に尋ねる。深雪の問いに答えたのはほのかではなく雫だ。

 

「朝藤林さんから聞いたんだけど」

 

「何を?」

 

「達也さんが密出国しようとしているのを、国防軍が必死になって止めようとするって話を。達也さんの密出国って、水波を取り戻しに行くってことだよね?」

 

「そうね。何の問題も無ければ、今日の夜には達也様を乗せた船が北西ハワイ諸島へ向けて出航する手筈になっているわ」

 

 

 こんな話を周りに聞かれたら大変なので、深雪は小声で話している。雫の方も周りへの警戒を怠ってはいないので、「達也が密出国を――」の辺りから小声で話している。

 

「何の問題もって……密出国自体問題だらけだと思うんだけど」

 

「その辺りは問題にされないようになっているわ。まぁ、国防軍の方々がそれを知らなくても仕方ないのかもしれないけど」

 

 

 達也の出国を合法化したのはこの国を動かしている黒幕の人間なので、国防軍の人間――佐伯や風間が知らなくても無理はない。深雪が自信満々に言うので、ほのかも雫も一安心したという表情を浮かべたが、すぐにほのかが不安げな表情に戻る。

 

「いくら達也さんとはいえ、危なくはないの? 水波ちゃんを攫ったのって、パラサイト化した光宣くんなんでしょう? パラサイト化したってことは、USNAで増殖したパラサイトたちと合流してるってことだよね?」

 

「達也様ならその程度問題にならないでしょうね。ただまぁ、いくら合法化したとはいえ黙って出国させてくれるかどうか……」

 

「何か不安があるの?」

 

 

 深雪の表情が僅かに曇ったことを見逃さなかった雫が、深雪に問いかける。その視線からは、韜晦は許さないと言っているような雰囲気が漂って来ていた。

 

「達也様の自由を妨害しようとしている人が、国防軍の中にいるらしいのよ。その人が何か余計なことを企んでいなければ良いのだけど、って話よ」

 

「達也さんを縛り付けるのは、むしろ損失だと思うんだけど」

 

 

 雫のセリフに、ほのかも全面同意する。達也の力は一ヵ所に縛るよりも自由にしておいた方がその威力を最大限に発揮できるのだから、佐伯個人が達也を縛り付けるのはむしろマイナスであると、雫やほのかでも分かることを佐伯は理解できていないのだと、深雪は改めて佐伯に嫌悪感と憐みを覚えたのだった。




学生でも分かることが理解できない軍人って……

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