劣等生の兄は人気者   作:猫林13世

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着々と進んでいく


出国に向けて

 巳焼島、午後二時。達也は島の北東岸に新しく建設したばかりの港、その埠頭に立って海を見ていた。水平線に隠れて見えないが、彼が目を向けている先、接続水域にUSNAのヘリコプター駆逐艦『マシュー・C・ペリー』が停泊しているはずだ。達也はそれを警備隊から聞いて――警備隊は駆逐艦の艦長から通信を受けて知った――、埠頭に出てきたのだった。『マシュー・C・ペリー』は三日前、ワイアット・カーティスが達也に約束した駆逐艦だ。十九世紀半ば、日本に開国を迫った「黒船」を率いた提督の名を戴く艦を寄越したことに他意はない、と思われる。

 達也は見えないはずの軍艦を見物する目的で埠頭に立っているのではない。彼の右隣では、小型艇が出港準備を進めている。彼はこの船で駆逐艦へ向かう予定だった。

 

「司波さん、準備が完了しました」

 

 

 真夏の日差しの下で待つこと五分強、船長が達也を呼びにくる。小型艇といっても全長十~二十メートルのプレジャーボートではなく、全長五十メートル、定員二十名の、元々警備艇として建造された船だ。二十人もクルーがいてわざわざ船長が呼びにきたのは、この島における達也の立場を反映している。単に、四葉家直系、次期当主という理由だけではない。彼はこの島に建設されている恒星炉プラントの中心人物だ。それに加えて、今月上旬に攻めてきたパラサイト部隊の主戦力を一蹴した実力を、あの時島に滞在していた人間は知っている。全員が達也に敬意を持っているとは限らないが、彼を軽視できる者は最早いなかった。

 

「危険な航海ですが、よろしくお願いします」

 

 

 達也が船長に向かって、頭を下げる。

 

「承知しております。距離は短くとも決して油断しないよう、クルー全員に言い聞かせてあります」

 

 

 船長が達也に敬礼で応える。ただ彼は、達也が「危険な航海」と表現した意味を、多分正確には理解していない。武装していない船で他国の軍艦まで接近する、一般的な危険だと考えていたに違いない。達也はここでも詳しく説明せず、もう一度頭を下げて小型艇『落陽丸』に乗り込んだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 達也は東道が用意し八雲から受け取った公用旅券で出国手続きを済ませている。正確に言えば、旅券を受け取った時点で法的な手続きは完了していた。名目は「トーラス・シルバーこと司波達也が技術協力でUSNAに赴く」こと。達也がディオーネー計画に参加していたら、多分この形式になっただろう。無論今回は、ディオーネー計画とは関係ない。核融合炉に関する技術を同盟国・USNAに提供するということになっている。

 駆逐艦『マシュー・C・ペリー』は、重要な技術協力者の護衛で派遣されている建前だ。達也が乗っている小型艇とUSNAの駆逐艦は東へ併走し、日本海溝に差し掛かった辺りで達也が『マシュー・C・ペリー』に移乗する渡航計画になっている。

 東道青波の協力が得られたことで、達也の出航は書類上、何の問題もないものになっている。書類に記載されている内容は目的も目的地も嘘なので法的には大問題だが、それが発覚するのは事が終わった後だ。今の時点では、未遂罪に問う証拠が無い。とはいえ沿岸警備隊が領海内で臨検を行うのは、警備艦の権限内だ。警備艦『粟国』が『落陽丸』に臨検目的で停船を命じるのは、表面的におかしくはない。

 駆逐艦『マシュー・C・ペリー』は巳焼島の海岸線を基準とする領海のすぐ外に停泊している。『落陽丸』が沿岸警備隊に停船を命じられた位置は、領海と接続水域の境界線の僅かに手前だ。そして警備艦『粟国』は『マシュー・C・ペリー』と『落陽丸』の間に西から割り込むような航路で接近している。達也は『落陽丸』の甲板上で『粟国』の接近を見詰めていた。

 

「司波さん、甲板は危険です。キャビンに戻られた方が……」

 

 

 後方から達也に話しかけたのは、近づいてきた船長だ。そのセリフは言葉だけでなく、声も心配そうなものだった。確かに少々波が高い。台風が小笠原諸島の西を北上しているので、その影響だと思われる。体勢を崩すほど大きく揺れているわけでは無いが、船長から見れば達也は海の素人だ。万が一のことを懸念しても無理はなかった。

 

「分かりました」

 

 

 ここで船長に余計な精神的負担を掛けても仕方がない。達也は大人しく、彼のアドバイスに従った。達也に与えられたキャビンは左舷にある。警備艦は北上する『落陽丸』の西から、つまり左舷側から近づいているので、窓からその様子が見えている。もっとも、たとえキャビンが右舷にあっても達也は観察に不自由しなかっただろう。かれは『粟国』の情報を、甲板上で視認していた時から継続的に「眼」で追跡している。達也は肉眼と『精霊の眼』で、警備艦が止まらずに突っ込んでくるのを認めた。

 

「(……偶然にしてはできすぎだ。本家からこの部屋の位置がリークされていたのか?)」

 

 

 達也は特に慌てることなく、そう考えた。警備艦『粟国』は、舳先を達也のキャビンに向けながら真っ直ぐに突っ込んでくる。彼は何もせずに、それを見ていた。




普通は平然としてられないって

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